9月6日、日曜日。

一言で言って、世界中が雨のような気がする一日だった。ツイッターのTLでも、テレビをつけて天皇杯を見てもどこもかしこも土砂降り。

朝起きてみると、昨日までのほぼ絶望的な疲労感は大分薄れていた。それでもやっぱり、午前中に1時間ちょっとソファで寝てしまった。昼寝後の例に習い、午後はしばらく顔が青ざめる感じが抜けなかった。ようやく疲労感を気にしなくてもいいようになったのは夜になってからだ。

これまた例によって精神的に煮詰まる。そこで、人は何故煮詰まるのかというようなことを考えた。この場合の人というのはもちろん自分のことだけれど。で、ふと演繹法と帰納法という言葉が頭に浮かび、どちらもよく自分が理解出来ていないことを唐突に思い出した。そこからの本日の思考の流れをツイッターに呟いたものを列挙しておく。

ここで大事なのは最後の2つで、要するに昔の自分と今の自分のどこが違うかというと、煮詰まっている自分というのは途中で行き止まりに辿り着いたと思ってしまうところに問題がある。かつての自分の発想というのは、一見行き止まり、手詰まりに見える地点から果たして何が出来るかというものだった。どうやら近頃は壁に突き当たったルンバみたいにある地点で行ったり来たり、あるいはすごすごと引き返してしまい、その先、つまり「解決するお楽しみ」へと進めなくなっていた。本来その「地点」というのはスタート地点であったはずなのだ。そういう発想自体を自分自身が失念していたような気がする。つまり、「ダメだ」と思った時点で一歩も進めなくなってしまうのだ。

というようなことには気づいたのだが、かといって一朝一夕に物事や自分の精神状態が劇的に解決するわけでもない。実際、昨日から書き始めた小説もどうやらスタート地点を間違えているような気がして、なかなか先に進むことが出来ない。

今日は母に泣かれてしまった。夕飯を食べてから母のところに行ったので7時ごろになってしまったが、母はここ(特別養護老人ホーム)に来たのは間違いだったと涙を浮かべた。それを言われるのが一番辛い。特養に入れることを決めたのは母の意志ではなく、僕と弟である。さらに言えば僕らが進んで決めたことではなく、言いだしたのは町だった。僕らには病院か特養かという選択肢しか残されていなかった。とにかく母が可哀想で、僕はつい、我慢することはない、どうしても嫌だったらうちに戻ってくればいいと言ってしまう。現実問題としてそれは無理な相談なのだが、そういうときの僕は母を救うためならばすべて(つまり自分の人生だ)を捨てても構わないと思ってしまう。僕が帰る間際まで母は涙ぐんでいた。僕は車で帰宅する間中、母を連れて帰り、24時間自分が面倒を見ることは果たして可能だろうかと考えていた。自分はそれに耐えきれるだろうかと。3度の食事を母のためにお粥を作り続けることは出来るだろうか。不可能ではないが現実的でもない。母と僕のどちらが我慢するかという究極の選択のようにも思える。母の言うように「間違い」というわけではないのだろう。しかし、正しいかどうかというと僕の心は揺らぐ。結局は「仕方ない」ということにすべては行き着いてしまうのではないか。

いつまで経っても答えは出ないし、それはつまり、答えがとっくに出ているということでもある。

今日は午後から左胸がちくちくと痛み、煙草のせいなのかそれとも肋間神経痛なのかよくわからなかったが、夜になって鎮痛剤を飲んだら治まったところをみると後者だったのだろう。

雨は降り続き、夜は更けていく。解決策はまだ思いつかない。ただ明日に持ち越すだけだ。人生なんてそんなものだ。もしかしたら、人生そのものが単なる寄り道に過ぎないかもしれないのだ。

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