足を切る

1月5日、火曜日。

7時台に目が覚めたのだけれど、昨日寝不足だったこともあって三度寝か四度寝して9時半前に起床。午前中雪がちらついていたのだが今日も積もらず。もう1月5日だというのにまったく雪がない山形。

今日は先日の母のCT検査の結果を聞きに県立中央病院へ。何故か道が混んでいて11時半をちょっと過ぎてしまう。ほとんど待たずに診察室に呼ばれた。

女医はCTで撮影した画像を3D化したものを見せた。すると医者が言うように母の膝から下の血管が映っていない。血流が悪くて映らないのだ。右足の足首は脈音がはっきりと聞こえるが左の足首はほんのかすかにしか脈音が聞こえない。これは左足の静脈血栓のせいではなく、動脈硬化によるものだという。なので、急に血流が悪くなったわけではなくて、何年もかけて悪くなったものだということ。驚いたのは、足の先を怪我すると治りませんと言われたことだ。血の巡りが悪くなっているので、切り傷とかでも治らないのだという。それで感染症とかを発症すると足を切らなければならないという。女医が盛んに何度も足を切る、足を切ると母の目の前で言うので本当に気が滅入った。僕はただでさえ母に感情移入しすぎる嫌いがある。このときは自分が足を切られることを想像するというよりも、母が可哀想でならなかった。

薬をひとつ出されることになったが、それが何の薬かは失念してしまった。いずれにせよ、バイパスの手術をするのも無理だといいうことで、薬を飲み続けてとにかく足に怪我をしないようにする、ということらしい。あまりにも女医が足を切ると何回も言うので、もはや母はいずれどこかのタイミングで足を切らなければならない運命にあるような気がしてくる。それは避けられないことなのだと言われているような気がした。

まったくなんていうことだろう。確かに血圧の薬は長年飲んでいたけれど、統合失調症を発症するまで母は大きな病気をしたことがなかった。もちろん酒も煙草もやらない。そんな母がどうしてと、物凄く理不尽な思いがした。

病院からの帰り道にドトールに寄って昼食。喫煙席にはいかにも田舎者といった風情の初老のおっさん二人組が大声で話していてうるさかった。彼らはあまりにも訛っていて、まるで外国語を喋っているように聞こえた。母のこともあり、僕は苛ついた。彼らは骨の髄まで訛っているように思えた。

帰宅後、夕方近くなり物凄く眠くなった。それでコタツで一眠り。相場のポジションを持ったがユーロドルでやられた分をドル円でなんとか取り戻してやっとこさイーブン。それ以降はやる気なし。

母のことが気がかりで気分が重いまま。もし母が足を怪我したら、と気になって仕方がない。足を切るということがどういうことなのか、そればかり考えてしまう。こういう場合、人はどうやって自分を納得させればいいのだろうか。どうやって穏やかな心を保てばいいのだろうか。いずれは慣れるのかな。弟がいつか言ったように、なるようにしかならないと。

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