タイムラインの消滅

2月6日、土曜日。

今日はなんといっても衝撃的だったのはツイッターがタイムラインをアルゴリズムを導入して時系列表示ではなく人気のある投稿などを優先表示させるように変更する予定だというニュース。相場関係者が「ツイッターは終わった」とつぶやいたせいもあって、このニュースを最初見たときに気が動転してストレスでしばらく煙草を吸いまくりたくてしょうがなかった。

というのも、相場の経済指標の結果などの情報をすべてツイッターでいち早く入手しているからであり、時系列表示でなくなるとその速報性というものがなくなってしまうから。前述の「ツイッターは終わった」という発言もそういう主旨だ。僕の場合、相場だけではなくあらゆるニュースもツイッターのタイムラインから手に入れているわけで、気分的には現在の僕にとってツイッターがすべての情報源であると勘違いしてしまいそうなほど依存している。それだけツイッターの情報量と速報性というものは高いわけであったのだけれど、それがフェイスブックやグーグルプラス、タンブラーみたいな他のSNSと同じような方向性になってしまうのではと考えると、まさにツイッターはツイッターではなくなる、ということに思えた。

実際のところ、時系列表示されることによってタイムライン上に時間が形成されるのであって、だからこそ「タイムライン」と呼ばれているわけなのだが、それが時系列ではなくなるということはタイムラインというもの自体が消滅することに他ならない。今日の情報によると早ければ来週からでも変更されるらしいということだが、本当にツイッターはその存在を他のSNSから差別化していた速報性と情報量を捨ててしまうのだろうか。だとしたらまさに愚挙としかいいようがないが、かといって日中頭をよぎったようにツイッターなしでは何の情報も得られない、相場も出来ないというわけでは(冷静に考えれば)必ずしもない。

しかしながらやはりツイッターがツイッターらしさをなくしてしまうとすれば実に寂しい。大袈裟ではなくて人生における楽しみをひとつ奪われる感じがする。それぐらい情報ツールとしてのツイッターは優れていた(というか今のところはまだ優れている)。

それでなくてもツイッターの仕様がどんどん変わり、字数も大幅に増えて他のSNSやブログとの差別化も出来なくなっていくような嫌な気配が漂っていただけに、今回の発表は衝撃的だった。

本当にタイムラインは消滅するのだろうか。

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昨夜は日記にも書いたようにあまりにも眠かったので久々に酒を飲まないで1時過ぎには寝たのだけれど、どういうわけか、気分的なものなのか寝つきが悪かった。それでも7時間近くは眠れたのだけれど、日中眠くてかなわず。業務に行ったのだがあまりの眠気に途中でギブアップ。帰宅後ソファで昼寝をしようとしたがやはり寝つきが悪く少しうとうとするぐらい。最近本当に昼寝が下手になっている。昼寝を試みるとどういうわけか精神的にダメになり、頭の中が負の観念で一杯になってしまうのだった。

夕方近くなって母のところに面会に行った。まだしばらくは静養室でしか面会出来ない。それでふと気づいたのだが、考えてみると最初に特養に入ったころの統合失調症による波がかなりあったころの母と今の母では顔つきが全然変わった。つまり大分穏やかにまともになった。目つきや表情とかがまるで違う。話すことも最近はかなりまともになって落ち着いてきた。

最近の自分自身の傾向としては、何故か朝早く目が覚める(もちろん当社比)のと煙草の本数が増える傾向にある。精神的に余裕がなく、それとは矛盾するようだが時間のあるときに何をしたらいいのか分からなくなって呆然とする。本当に、何をしたらいいのか分からなくて愕然としてしまうのだった。まるで生き方を忘れてしまったみたいに。これもまた、うつ病による抑うつ状態なのだろうか。

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