4月21日、木曜日。
どうやって目が覚めたのかいまひとつ定かではないけれど、なんとなく気合いで8時過ぎに起きる。昨夜は寝る前に意識して安定剤を飲まなかった。
そんなわけで東京市場の寄り付きから相場のポジションを取れたのだけれど、これが裏目に出て朝っぱらからストップを食らう。その後ポジションを取り直して、なんとか午前中のうちにストップを食らった分を取り戻す。
昼食後、朝起きられないせいで出せなかったゴミが大分溜まっているので、計4袋を車に積んでゴミ処理場に持って行く。ゴミ処理場は最上川を越えたところにある。堤防沿いを走っていると、果樹園がちょうど花盛りだった。
白い花はさくらんぼだと分かるんだけど、このピンクの花は何の花なのだろうか。桃かな?
180円也を払ってゴミを出し、そのままなんとなく車でドトールに向かう。カフェラテを持って喫煙席に入ると、先客が一人。午後に行くとどういうわけかいつも見かける男。これまでの遭遇率は約8割。もしかして毎日来てるのだろうか。歳のころは30代後半ぐらい、オタクっぽいおっさんという風情。真ん中のカウンター席の端っこに座って、いつもイヤフォンをしてノートPCとスマホに向かっている。何故この男を覚えているかというと、四六時中休むことなくひっきりなしに貧乏揺すりをしているからだ。とにかく気になってしょうがない。見ないようにしようと窓際のソファ席に座るも、どうしても視界に入る。男はときどき薄ら笑いを浮かべたりして(非常に不気味だ)ひたすら貧乏揺すりをしている。もしかすると本人は音楽を聴きながら足でリズムをとっているつもりなのかもしれない。というか、たぶんそうだろう。だが傍目から見ればそれは貧乏揺すり以外の何物でもない。今日の貧乏揺すりは右足を縦に振りながら、左足を横に振るというなかなか技術的に高度な貧乏揺すり、余計に気になる。うざい。なんでたまにしか来ない僕がいるときにいつもいるのか。こいつを見かけるたびに暴力的な衝動に駆られる。実をいうと、もう数か月ほど前になるが久々に小説を書き始めたときに冒頭にこの男を登場させ、頭をテーブルに叩きつけるという書き出しを書いたのだった。
そんなことを思い出していると、驚いたことに貧乏揺すり男が席を立って出ていった。ちょっとびっくりする。何しろこの貧乏揺すり男、いつもやたらめったら粘るのだ。僕がいる間に途中退席したのはもしかしたら初めてかもしれない。ようやく視覚的なストレスから解放される。
すると、闇雲に暴力的な眠気が襲ってきた。本を読もうと思って来たのに、結局うとうとして終わってしまった。ついでに隣接した本屋を見て回るが、これまでの経験上これはと思った本があっても頭の中と手帳にメモするにとどめる。というのも、新刊であれば気になる本のほとんどは図書館にあるから。山形の片田舎の小さな町の図書館ではあるが、結構新刊のいいところは網羅している。そういう意味ではたいしたもの。
そんなわけで、車で20分かけて行ったのに貧乏揺すりにいらいらした挙句にただうとうとしただけで帰る。一体何しに来たんだ、という感じ。
一旦帰宅後、母のところに面会に行き、帰りがけにスーパーで買い物をして帰宅。夕方から夜にかけてはまた相場。本日のところはこつこつというかちまちまとセコく利益を重ねる。我ながらチキンだなとは思うものの、このやり方だと大怪我はない。夜まで順調に来たのだが、最後に待ちきれずちびって失敗したのが何故か悔しくてしょうがない。トータルではそれなりの日当程度は叩いた。
それはともかく、夜10時ごろになるとまた手足が冷えて参る。書斎の室温は20度もあるのに。今日も先に手が冷えて。ビタミン不足なのか運動不足なのか自律神経なのか、それともそれら全部なのか。