御霊灯

5月29日、日曜日。

夕方、隣組長をやっている近所の人がやってきて、かつてうちの裏手のプレハブで一人暮らしをしていた老婆が亡くなったと知らせてくれた。以前この日記で強風で梯子や壁代わりの波板が飛ばされたと書いたあの家である。台所の窓からちょうど見えるそのプレハブに御霊灯が灯されていることに気づいた。しかし、たぶん今夜も誰もあの家にはいないと思う。僕が実家に帰ってきた3年前は、老婆はまだそのプレハブの家に一人で(正確には猫と一緒に)住んでいた。いつの間にか姿を見かけなくなり、施設に入ったと聞いていた。確かうちの母と同い年かそれ以上なので、一人では冬の雪かきひとつとっても尋常じゃなく大変だったと思う。

それにしてもこんな小さな田舎町の狭い町内会で、毎年葬式がある。僕が実家に戻ってからのこの3年の間だけでも、父を除いてこれで6人目である。こういうことを平均していいものかどうか分からないけれど、平均すると年に2回は葬式があることになる。ここの町内会は全部で28戸しかないのだから、それを考えると結構なペースにも思える。それはただ単に高齢化が進んだからなのか、それとも本来そういうものなのかは判別しかねる。ただ実際、坊主と葬儀屋はコンスタントに繁盛する商売だなと妙な感慨を覚える。

昨夜は3時近くに寝たにもかかわらず、今朝は8時半過ぎに起きてしまった。昨日11時過ぎに起きたので多少の危機感を覚えたせいかもしれない。お蔭で午前中は眠かった。放っておくと寝てしまいそうなので業務に行ったのだが、どうにも酷い状態でこれが続くようであればもうこの店は業務に使えないかもしれない。ひたすら状態は悪化するばかりで、したがって客足もそれに伴って着々と減っていて、日曜日なのに閑古鳥が鳴いている。正直現状の還元率のままでは、いずれ店として立ちいかなくなるのも時間の問題だろう。

午後はスカパーのオンデマンドでJリーグの鹿島対甲府の試合を見た。鹿島が4-0の完勝、山形県出身の土居聖真が2得点。鹿島びいきとしては面白い試合だった。その後浦和の試合も見ていたら、冒頭の近所の人が知らせに来たのだった。

母のところに面会に行って帰宅後の夜は、夕飯を食べながら川崎F対磐田の試合を後半から。その後アマゾンのプライムビデオで映画のさわりだけ見て、ドラマ「ゆとりですがなにか」を見る。

おっと書くのを忘れそうになったが、もちろん今日も寺の境内で縄跳びをした。今日の最高は38回。どっちにしても数回試みただけで肺病病みの老人みたいにぜいぜいと息が上がるし口の中がかっらからに乾く。

という感じで不思議なことに今日は昼寝をせずに済んだ。Jリーグの試合を何試合か見たので、それなりに日曜日らしい日を過ごしたのかもしれないが。いずれにしても、気がつくとなんだか葬式慣れしている自分がいるような気がする。ちなみに、今回は町内会の手伝いは要らないということで、葬儀は6月1日ということなのだが、たぶん今回は出席しないと思う。なぜならば、前述のように今は裏手の家に誰も住んでいないから。正確を期すれば近所の人ではなくて、元近所の人ということになる。ただこういうときの自分自身の慣例というか性分として、葬儀に出ないといくばくかの罪悪感を覚えることになるのだろう。

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