忸怩、鍵のかかったドア

じくじ【忸怩】[名](スル)深く恥じ入ること。

なんとなく昨日の日記の続きのようになってしまうが、実際問題として今日は昨日の続きのような日であったし、日々というものは大概そういう風に存在する。やっていることもそうで、起きた時間も7時、業務を終えて帰宅したのが3時ごろ、さほどの症状もなく、頓服を1錠飲んで昼寝、1時間ちょっとで目が覚める。夕食後、日本茶を飲んでいると、急に頭痛が来て、それと同時に手が痺れ始める。ひとまず頭痛薬を飲んで、頭痛を和らげるために氷枕をしてソファに横になった。しばらくすると頭がきんきんに冷えて頭痛が気にならなくなり、ついでに身体も冷えてきたのでもういいだろうと起き上がると、頭痛は消えていた。で、なんとなくギターを弾き始め、1弦と2弦の開放弦のオスティナートで、A△9-Am9-D13-Bm11/E7というコード進行でしばらく即興で弾き、俺は天才なんじゃないだろうか、などと思い、それからこれまたなんとなくUKの物凄く下手糞だがちょっと気になるオルタナ・ロックのバンドをひとしきり聴いた。このバンドはプログレとハード・ロックの要素が強く、僕はクラシック上がりなので、中途半端にクラシックを使うプログレというのが大嫌いなのだが、このバンド(Muse)は95%は酷い代物なのだが、残りの5%がちょっと気になる。で、そのちょっと気になる部分を聴きたくて聴くのである。その5%は、ある種の出鱈目、もしくはいい加減で突拍子もない部分。要するに僕の中の引き出しにない部分が突然現れたりする。それが少々興味深い。だが、僕にはこういう曲を書けと言われても到底書けないだろうし、いまだに現場にいてこのバンドのデモテープが送られてきたら、少し悩むかも知れないがゴミ箱に捨てるだろう。そんなわけなのでアルバム1枚分聴くと頭に毒が蔓延したので、頭の中を掃除するためにナンシー・ウィルソンの「I’m In Love」とジャニス・イアンの「Love Is Blind」を聴いた。この辺まではまだよかった。問題はその後だ。昨夜のようにすることがなくなり、何をしたらいいのか分からなくなり、完全に煮詰まってしまった。散々あれこれ考えたが、どうにも出口というものが見つからない。もう1度ギターを弾く気にもなれない。しょうがないので内心忸怩たるものがあるが田舎の母親に電話して、長電話と言うほどではないが僕のそういった状況に関して漠然と話をした。これでようやく時計は10時を回った。腹は空いていないのだが何故か食欲はあり、どうせ何もすることが思いつかないので24時間営業のスーパーに買い物に出た。雨上がりの街は森閑としていて、ときおり車が通り過ぎ、遠くを仕事帰りの人たちを乗せた電車が走り去るぐらいで、それらが通り過ぎると夜はひっそりと佇み、僕の覚束ない足音だけがする。空気は澄んで、寒いが清清しく、この中に放射線が含まれているとは想像できない。とにかく僕はスーパーに辿り着き、トマトとコールスロー、ドレッシング、それに惣菜をひとつ買った。

時間は前後するが、昼間帰宅する道すがら、昨夜書いたように何故僕の頭の中から言葉が消えたのか考えた。で、それを探るために自分の頭の中に潜入を試みた。すると、そこは空っぽではなく、鍵のかかったドアがあった。ドアは頑として開かず、僕は鍵を持ち合わせていない。今の僕の頭の中はそういう状態なのだ、ということが分かった。

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