乖離

9月4日、日曜日。

気がつくともう深夜2時になろうとしている。何がどうなっているのか、自分でもよく分からない。朝目が覚めたら10時前だった。なんとなくではあるが、今日は業務に行かないようにしようと思った。日中は暑くて書斎の冷房を入れた。間欠的に眠気に襲われる。基本的に日中は「あずみ」の続きを読んでいたのだが、気がつくとソファで寝ている。正確なところは分からないけれど、日中だけで二三度は昼寝してしまったと思う。

夜は今日もYouTubeでBSマンガ夜話。なんというか、一昨日から見始めたものの入ってくる情報量が圧倒的に多くて、読んでいない漫画も読んだような気になったりする疑似感覚もあるけれど、現実のこの二三日の自分の生活とあまりにも乖離しているような気がしてならない。いろんな薀蓄や分析が大量に流れ込んでくるんだけれど、実際の僕自身の一日はまるで空っぽな気がする。つまり、知識だけを詰め込んで実体験が伴わないという、まるで思春期の若者のようだ。情報だけでおなかが一杯になってる。インプットばかりが多くてアウトプットがない。なんかこういうのって精神衛生上あんまりよくないんじゃないかとか、ある種の不健康さであるような気がだんだんしてくる。しかし、情報を得れば得るほど、貪欲にさらなる情報を自分が求める。

ある意味、インプットするのは方法論としては簡単だ。問題はいかにアウトプットするか。アウトプットして初めて、インプットされた情報が自分自身とリンクするんじゃないかという気がする。

「あずみ」は36巻まで来た。残すところあと12巻。しかし目下の問題は図書館から借りているジェイムズ・エルロイ「背信の都」上巻をまだ半分も読んでいないのだが、明日返却期限ということだ。読みたいので例によって予約がなければ延長しよう。という具合に、寝てばかりで何をやっているのかさっぱり分からない日々を過ごしているわりには、何かと忙しい気もするから不思議だ。

さっきの続きだけれど、インプットとアウトプットを同時進行させるのは難しいのかな? つまり今はインプットする期間で、アウトプットする時期というものはまた別に存在するのかな?

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