11月14日、月曜日。
来年の手帳を買った。というのも、3ヶ月後の2月に病院のCT検査の予定が入ったので、忘れないように書き留めておくためだ。今日は3ヶ月ごとの悪性リンパ腫の予後検査の日だった。8時半ごろに目が覚めて眠いなあと思った次の瞬間に2時間経過していたので、朝食後すぐに病院に向かった。いつものように血液検査をして、今日は診察をそれほど待たずに済んだ。
なんだか気がつくと血液検査は問題ないというのが当たり前になってしまって当然と思っている自分がいて。次回は一年に一度のCT検査。考えてみると首の付け根に腫瘍を見つけてからもう5年近くになる。あのとき腫瘍に気づかなかったら、あのとき帝京大学病院に行かなかったら、僕はもう死んでいたかもしれない。あのとき僕は既にステージ3だったし、PET検査(放射性物質を入れた造影検査)の画像を見ると上半身のいたるところが癌細胞だらけだった。肺の中にもあったし膀胱の辺りまで癌細胞はあった。脾臓は癌細胞で倍ぐらいにパンパンに膨れ上がっていたし首のところは気管を圧迫するぐらいにまでなっていた。だがしかし、脾臓は痛みを感じないし実際どこにも痛みはなかった。だから首の付け根に腫瘍を見つけなければ気がつかなかった。
帝京大学というと四大としては実にぱっとしない印象を受けるけれど、大学病院としてはいろんな意味で素晴らしい病院だった。施設、つまり環境としても素晴らしいし、何より最先端の治療を受けることができた。入院中、病院の脇を流れる川の向こう岸にある小さな公園に行っては煙草を吸った。病院の一階にあるドトールでエスプレッソのダブルを買って。ちょうど桜の散る季節で、川面は一面桜の花びらで覆われた。今思い出してもそれほど悪い思い出じゃない気がする。たぶんそれは結果がよかったからというそれだけの話なのかもしれないけど、それだけではない不思議な時間の流れ方をしていたように思う。
まだ入院する前、まだガンと確定していないころ、最初に生検のために腫瘍を切除する手術を受けた。手術室には控えめな音量ながらJ-POPが流れていた。女性ボーカルがハスキーな声で歌っていた。手術には女子学生がひとり、見学に立ち会った。2cm大の腫瘍を取り出すと、若い医者はその女子学生と僕に腫瘍を見せた。腫瘍は灰色だった。たぶん手術としてはまったく簡単な手術だったのだろう。鎖骨の上という場所的にもそうだったし、若い医者は手術中に鼻歌でも歌いだしそうな感じだったし、そのバックにはJ-POPが流れていた。そんなわけだから妙に緊張感がなかった。まるで他人事のように思えた。
そういったことから随分時間が経ったのだが、いまだに病院で過ごした時間は不思議と鮮明に覚えていていろんな感覚がよみがえる。抗がん剤治療のために通院していたころ、ある日受付で物凄く気分が悪くなって立っていられなくなり、看護師に大丈夫ですか? と言われて車椅子に座ったこと。聞こえないくらい小さい声でぼそぼそと喋る主治医。抗がん剤治療を終えた後の十条駅までの徒歩十五分の道のりが途方もなく長く感じたこと。なんとか駅のロータリーまで辿り着いて駅前の喫茶店で飲むカプチーノ。なんだかそういったことがいい思い出のように思えるんだ。
新しい来年の手帳のページに検査の予定を書き込む。それは僕にまだ来年があるということなんだ。