早起きとは何か

11月18日、金曜日。

というわけで早起きしてみた。アラームを使わずに8時10分に起きた。やればできる。もうちょっと頑張ればごみを出せる時間だ。つまりごみを出せる時間じゃないということは、世間一般の基準では早起きではないということなんだろう。そういえば一度、7時半ごろに町内会費を集めに来られて玄関で寝間着姿で頼むから勘弁してくれと言ったことがあった。朝の7時半に人の家を訪ねるというのは、警察が逮捕に踏み入るとかいうのを除いて、僕の基準では非常識という認識だった。それまでの自分の人生を鑑みて、ということだけれど。ただ考えてみれば朝9時からの会社に勤めたこともあったのでそれなりに早起きしていた時期はあったのだろう。ただし、その会社は遅刻を連発して新記録を作った挙句に一年で辞めたわけなんだけれども。

というわけで人並みの時間に起きたので東京市場の寄り付きから相場のトレード開始。しかし10時半ごろになってノーポジションになったときに猛烈に眠気が襲ってきて、結局ベッドに潜り込んで1時間ちょっと寝てしまった。こういうのはどう解釈したらいいんだろう? 8時10分足す1時間ちょっとで9時半ごろに起きたことと同じ計算になるのか? 根本的にそういうことじゃないのか? よく分からない。ただこれを書いている今深夜1時を回っていて、まだすぐに寝るつもりはないので、早起きしたから早く寝るという思考回路は僕の中にはない。僕の頭の中では「寝る」と「起きる」は別個に存在している。ただもうひとつ、「眠い」というのもあることは確か。

ここ最近気になっているのは、いつの間にか煙草を吸うペースが1時間に2本になっていることで、これでは計算上1日30本以上になってしまう。いやもっとか。8時間寝るとして32本。大体計算は合ってる。現に昼前に起きた昨日は煙草を吸い始めたのが昼過ぎからだというのに本数はむしろ増えた。何を言いたいかというと要するに早起きをするとその分煙草が増えてしまうのではないかと。早起きイコール早寝とならないということは。ただ実際問題として先日実家に戻ってからの一日の最高本数を更新してしまって27本、つまりああ今日は煙草が増えたと思っても25・6本でなんとか収まる。もちろん自慢にはならない。晩年の父は一日17本で、肺気腫なのに煙草をやめられない父に電話で意志が弱いだのへったくれだのと言っていたのだが、なんのことはない、自分の方がよっぽど意志が弱い。ああ今日は煙草が増えそうだと思ったらすぐに、前もってツイッターで「本日のルール。今日は何本吸ってもオーケー」などとツイートして先に言い訳をする始末。その上で市川崑は90歳過ぎても一日百本吸ってただの、倉本聰はだの筒井康隆はだの、誰それの親戚は毎日60本吸って90まで生きただの、あれこれと免罪符ばかりを探す。とはいうものの、なんとか多くても26本程度に収まっているのは、「何本吸ってもオーケー」と宣言したからといって闇雲にバカバカと無制限に吸っているわけではないのである。いや、これも自慢にならないな。

早起きに話を戻すと、困ったことに明日(日付が変わったから今日)から土日なわけで、土日というのはまったくもって早起きする理由がなく、むしろ休日の午前中というものがことのほか苦手で何をしたらいいのかさっぱり分からなくなる。ということで、明日の朝は一体どうしたらいいんだろう? つか、一体僕は何時に起きるのだろうか。

むむ、ちと眠くなってる。これが早起きというものなのか。うーん。

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