8月18日、金曜日。
蝉の鳴き声も夏の終わりを告げているように聞こえる。確かにあのクソ暑い夏は過ぎ去りつつある。
こういうのに憧れていた時期があって。つまり1983年ごろなんだけど。
Brock Walsh – Paper Doll (1983) https://t.co/BsFGvhdXLc
— Sukeza (@anykindoflove) August 18, 2017
バブルのころに環八の用賀のインター付近にあった、イエスタデイズとかプレストンウッドとかからもう随分遠いところに来た。もちろん駒沢通りのウィングスからもだ。時間軸としてもパースペクティヴとしても。あのころの店も、20代だった僕も、確かに存在していたのかさえ怪しくなっている。あまつさえ、僕は生まれる前には存在していなかったのだ! なんてこった。
夏の終わりを意識し始めると、オートマチックに雪に閉ざされる冬が近づいている気がする。もちろん気がするだけなんだけれど、少し涼しくなってTシャツ1枚でちょうどいい陽気になって、蝉の声を聞きながらもう冬のことを考えるなんて。つまりはようやっと僕もこの山形の人間になろうとしているということなのかもしれない。さすがに5年目ともなるとクソ暑い夏と雪に閉ざされる冬のローテーションが身に沁みてくる。それもそのはず、考えてみれば冬だけは4ヶ月もあって1年の3分の1を占めているのだから。それ以外の季節はただ通り過ぎるだけのように思える。しかしながら、毎日は束の間の集積で出来ている。僕らは常に束の間を生きている。
今日の夢、前半はある日、巨大な建物の中に僕を含めた人々は隔離され、恐らく国家によって外界との接触を禁じられる。その中で僕を含む一部のクリエーターは独自性のある音楽を構築しようとするが、当局に制御されてしまう。7時40分にトイレに目が覚める。二度寝すると、次の夢を見た。やはり→
— Sukeza (@anykindoflove) August 18, 2017
→隔離された世界に僕はいるのだが、拾ってきた猫だか犬だかを大事に抱えて歩く。それは猫でもあり犬でもあるという、、ある意味象徴的な存在だった。その猫だか犬だかが誰かに蹴っ飛ばされたという。ああもっとしっかりと抱いてなければダメだ、と思ったところでドアチャイムの音で9時18分起床。
— Sukeza (@anykindoflove) August 18, 2017
なんで起こされたのかというと、来週の月曜日にごみ当番なので裏の人が箒を持ってきたのだった。そんな風に、それなりに寝たはずなのだが、業務から帰宅した午後になってまた昼寝しまくる。例によって相場のチャートの上下にアラートを置いて寝たのだけれど、まず1時間ぐらい寝たところでガスの集金に起こされた。普通ならそこで起きるはずがあまりにも猛烈に眠かったのでまたベッドに潜り込んでしまい、立て続けに二度目の昼寝。目が覚めてみるともう5時近かった。で、相場のチャートを見ると、寝ていた間に見事にドル円が下がっている。なんていうか、昼寝している間にすべての物事から取り残されたような気分だった。
それでもそこから気を取り直してそれなりにトレードをやったつもりではあるし、夜になってからも指標後にそれなりにやったつもりになっていたのだが、実際は大した回数はやっていなかった。
開け放した窓から虫の声がサラウンドで聞こえてくる。相変わらず夜になると右目が見えにくくなるが、どうやらドライアイっぽい。それにしてもなんで右目だけなんだろう?