陸王、あぶない刑事

12月24日、日曜日。

クリスマスイブ。だがそれが一体なんだというのだ?

それにしても7時の寺の鐘で目が覚めたことがないのに、何故鳥の声で目が覚めたのか? 随分と自然に目が覚めた感じがして二度寝には苦労する。

結局は他に思いつかなくて、午前中から業務に行ってしまった。で、久しぶりにツキがなく負け。というのも、ある程度打ち込んだからなのだが、今日のところは結果は伴わなくてもまずまずよい立ち回りをした気にはなる。つまり、やるべきことをやったという感じ。

帰宅後昼寝をしようと思ったがなかなか存外に眠くならず、有馬記念やら皇后杯やらを見てから半ば強制的に昼寝。で、例によって6時半近くに母のところに行く。すると、母はホールの四人掛けのテーブルに一人でぽつんと座って手元をじっと見ていて、まるで何かにじっと耐えているようだった。その姿は、今日のクリスマスイブでもっとも孤独な人のように見えた。つまり、僕なんかよりも母はずっとずっと孤独なんだと。今日は爪切りを持って行って母の足の親指の爪を切った。

母のところから帰宅後、納豆で夕飯。今日が賞味期限だから。それからドラマ「陸王」の最終回を見た。なんていうか、これはどう考えてもこうなるだろうという結末で、予定調和の極致みたいなものなんだけれど、それでもまんまと面白いと思って見てしまうのが不思議。まあある意味ハリウッド映画とかもそうなんだけど、こうなって欲しいという思い通りの展開と結末にはそれなりの快感がある。ただ、この「陸王」だけじゃなく池井戸作品全般に言えるのだけれど、ここまで大企業を悪にする必要が果たしてあったのだろうか。主人公サイドを善とするための悪がどうしても必要なのだろうか。そうじゃなくても同じかそれ以上のカタルシスを得る方法はいくらでもあると思うのだが。

それからアマゾンのプライムビデオで何故かいまさら「あぶない刑事」を2話分見る。リアルタイムで見てないから。これ、音楽が同業の友人志熊なので、なんかいろんな意味でこそばゆい。1986年なのでどんな方向から見てもあらゆる意味で80年代なのである意味しょうがないのだが、80年代AOR大好きな志熊の趣味があまりにももろに出ているのでちょっと見ていてこっちが恥ずかしくなる。デヴィッド・フォスター丸出しのエレピのイントロとか聴こえてくると他人事ながら恥ずかしくて穴があったら入りたくなる。ちなみに僕より四つほど年上の志熊とはこの1986年来の友人なのだが、不思議なことに今に至るまで一度も一緒に仕事をしたことがない。打ち合わせだけなら星の数ほどしているのだが。たぶんそれも同業だからだと思う。会うたびに仕事ちょうだいと言われ続けたけれど、考えてみればそれは僕自身の仕事なのである。このドラマのサントラはコアなファンがいて最近CDのボックスセットが発売されたらしい。当時しんちゃんの愛人だった(と思われる)平塚の下手糞な歌が聞こえてくるとこそばゆくて居心地が悪くなる。中には大学の同級生で学生時代に僕がバックでギターを弾いていた小山水城が歌っている曲もあるはずだが、2話までにはまだ登場しなかった。水城のデビューアルバムのアレンジはしんちゃんだった。しんちゃんと志熊は同級生。まあそんなわけで僕にとってはいろんなしがらみがある音ばかりが聞こえてきて。ああこれ歌っているのはあれで、という具合に。

外は雨が降っている。明日からしばらくは大荒れの天気になるらしい。大雪になるとも。

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