祭りの終わり

9月16日、月曜日。

待ちくたびれた。もう誰かを待つのはやめよう。そもそも待つことが何よりも苦手なのに。当てにならない誰かを待つよりは、相場のポジションを持って上がるのか下がるのかを待つ方がずっとましだ。しかし、もしかしたら生きるということは何かを待つことなのかもしれないという疑念が頭のどこかにある。

誰かに期待するのもやめよう。期待するのは自分自身と鹿島アントラーズだけでいい。確かに自分自身に期待するのは勇気がいるし少々無謀な気がしないでもないが、いるのかどうかも怪しい(というか間違いなくいないだろう)神に期待するよりはましだ。

寂しいと思ったら切りがない。それこそうさぎのように死んでしまうのが落ちだ。人里離れた山奥に住んでいるか、それとも無人島にでも住んでいると思うことにしよう。北極圏か南極大陸でもいいが。ギニア高地でもいい。そう考えれば現状でもそれよりはかなりましなはずだ。それにしても今日たまたまYouTubeで連合赤軍のその後というドキュメンタリーを見たら、あの事件から47年経った今、当時の連合赤軍だった連中が今の僕よりも寂しくない人生を送っていることにショックを受けた。もっとも、彼らの年齢になるにはまだ10年ぐらいあるが。

たぶん今の僕はコミュニケーションに飢えているのだと思う。かつての電話病の現代版というか進化形というか。そうはいうものの今の僕は電話をかけられないという以前とは逆の意味での電話病であることは皮肉だ。なんだろうな、いわば死刑囚が文通をしたいと思うようなものなのかもしれない。そういえば中学生のころにフランス人の女の子とスウェーデンだかノルウェーだかの女の子と文通したことがある。当たり前だが返事が届くのに物凄く時間がかかる。今は何もかもが瞬時に届く。それに慣れきってしまったのだろう。たぶん待つことの意味も少しずつ変わっているのだ。ところでフランス人の子の名前は今でも覚えている。彼女の名前はChantal Dupuisだった。さっきググってみたら物凄い数のChantal Dupuisが出てきた。もしかしたらその中に昔僕が文通したChantalもいるのかもしれない。

特養の母の部屋にいるときに気分が悪くなったので45分ぐらいで切り上げて帰宅したら体調はさらに酷くなり、明日死んでも不思議ではないくらいになった。とはいうものの、晩年の父のように救急搬送されて点滴を受けるというほどのことでもない。熱があるわけでもなく、ただ気持ち悪くてだるいくらいでは救急車なんか呼べないし、以前病院の救急外来に行ったこともあるがうつ病による心因性のものでしょうと言われただけで、どうせ同じことを言われるに違いない。いずれにしろ、確かに明日死んでもおかしくないとは思ったが、同時にたぶん明日も自分は生きているだろうと思った。実際、夕飯を食べたら大分ましになった。また胃潰瘍寸前になっただけだろう。

祭りの最終日、夜遅くまで祭りの喧騒が聞こえた。遠くで山本リンダの「どうにも止まらない」が聞こえてきたときには何が行われているのかちょっと見に行きたいような気はしたが、どうせおばさんが腰を振っているのが関の山だろう。

気がつくと祭りの喧騒は止んで、町に静寂が戻っていた。11時を過ぎていた。涼しい夜だ。散歩がてらに歩いて煙草を買いに行こうと表に出たら小雨が降っていた。一瞬考えたが結局車でコンビニに行った。アメリカンスピリットライトを2箱買って店を出ると、駐車場の自分の車の隣に停まっているのは群馬ナンバーだった。ふと、話してみたいな、などと思った。助手席側にはハンガーで背広が吊るしてあった。なんだかそれもちょっと寂しい風景に思えた。

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Life is

9月15日、日曜日。

昨日から地元の祭りが始まっているのだが、去年あれだけやかましかったのに昨日は囃子屋台を一台も見ることはなく、また町も終日静かだった。今日は夕方スーパーに買い物に行った帰りにようやく一台の囃子屋台に遭遇した。祭りの喧騒はしばらく続き、夜の8時ごろに止んだ。

そんなことじゃないかと思っていたが、案の定いいことはそれほど長続きしない。むしろ一夜明けるとどこか色褪せてしまう。鹿島が一試合勝ったからといって、その喜びが永遠に続くわけじゃない。今日は何も起こらなかった。弟が母のところにやってきたがうちには寄らなかった。予想していたように隣組長である裏の人は日曜日なのにわざわざ朝に町内会費を集めに来て、それで起こされた。僕が夜更かしであることを十分知っているはずだし、午後だってなんら問題ないはずなのだが。だがそのことをつきつめると腹が立つだけだ。眠かったので昼寝をしたら2時間も寝てしまい、眠気は取れたもののかえって物凄くだるくなってしまった。夢は見なかった。3時半ごろに母のところに行くと弟は既に仙台に帰った後だった。母が話すのを待つ。だがいくら待っても母は話さない。僕が話すと返事はする。また母が話すのを待つ。ただ沈黙だけが流れる。僕は少々待つのに疲れてしまった。母だけではなく、いろんな人を待つのに疲れてしまった。

夕方帰宅後、まだ自分が何もしていないことに気づく。相変わらずだるい。しかし、というわけで一念発起して玄関脇にいつの間にか生い茂っているススキをなんとかすることにした。軍手をして、最初は引っこ抜こうとしたがススキは物凄く頑強で、とても人間の力では引っこ抜けそうになかった。なので剪定ばさみを持ってきて切った。ついでに地を這うように伸び放題になっていたメギも切った。所要時間9分。これだけで随分と玄関前はすっきりした。もちろん、相対的な話だ。

結局のところ、今日何かをしたかといえばこれだけだ。日中はだるくて何もできず、夜はただひたすら待っていたが何も起こらなかった。何も起こらなくても時間は過ぎる。いつの間にか日付が変わる。なんだか自分を嫌いになりそうだ。今まで自分を好きだったかどうかは定かではないが。気がつくと、ただ待っているだけの人間になっていた。これではまるで蜘蛛だ。順番を間違えるな、と昔上司に言われた。最低の上司だった。もっと前の会社の上司には「とりあえず」という言葉を使うなと言われた。順番を間違えようがどうしようが、とりあえず僕は何かをしなくてはならない。行動を起こさなければならない。生きなければならない。皮肉なことにもしかしたらそれが待つことなのかもしれないけど。

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勝利

9月14日、土曜日。

今日はそこそこいいことがあった。不思議なことにいいことがあった日ほど書くことがないことに気づく。ひとつにはここは自分のプライバシーをすべてさらけ出す場所ではないからだが、その割にはこれまでそこそこさらしてきたような気はする。だがそれにも限度がある。

鹿島 2-0 FC東京。とにかく凄い試合だった。別に勝つと優勝が決まるわけでもないのだが、勝ち点差4の首位(FC東京)と2位(鹿島)の対決、今日勝つのと負けるのでは雲泥の差があった。試合開始早々の先制点を決めたからばかりではなく、ブエノが凄かった。去年までJ2にレンタルに出されていた選手がここまで成長するとは。鹿島の選手が足を攣るところを見たのは一体いつ以来だろう。後半はFC東京に押されまくった。考えてみれば首位のチームだから当たり前なのかもしれないが、FC東京も強くなったなと感慨を覚えずにはいられなかった。あまりにも勝ったときと負けたときのゲーム差が大きいので、見ていてとにかく緊張した。最後の最後まで手に汗を握る試合だった。後半負傷交代した三竿が心配。ともあれ勝った。これで首位FC東京とのゲーム差は1になった。だがそれだけ。優勝するためにはこれからも勝ち続けなければならない。それにしても今日は鹿島の選手の勝とうという気迫が凄かった。

今日は夢にレコード会社時代に好きだったミズサキが出てきた。彼女に関してあれこれ書くのはよそう。それこそ無粋というものだ。彼女は誰かと結婚して子供もいて、たぶん幸せに暮らしている。それから鹿島の三竿も夢に出てきた。もしかしてそれは吉兆だったのかもしれない。

昨日に引き続き11時過ぎに起きて、何もすることが思いつかなくて呆然としていたのだが、意を決して一階に掃除機をかけた。その程度のことにいちいち物凄い決心がいるのだから参る。明日は何の予定もないので、いよいよ庭仕事に多少は手をつけなければ。何しろ知らぬうちに玄関先にススキが生えているので参る。そんなことにも気がつかないとは。

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亡霊

9月13日、金曜日。

今日もあまりいいことがなかった。むしろ失望することの方が多かった。考えてみると、田舎の実家に戻ってからこの方、途轍もなく酷いことばかり続いたことはあったが、いいことはほとんどなかったか、あるいはあってもあまり覚えていない。気がつくとずっと独りだ。

今日はすべてを賭けたつもりで相場のポジションを取ってみたが、結局申し訳程度のプラスになったところで利食いした。でも結果的にそれがベストだった。何故ならそもそもその時間帯のポジションの取り方自体が間違っていたのだから。要するに酷い間違いをせずに済んだというだけだった。今のところ、そういうこともよいことにカウントしないと、いいことなんて何もない。ちょっとした希望を抱くと、それは結構な失望に変わってしまう。しかしながら、なにがしかの希望や期待を抱かないことには何もできない。たぶん幸運というものは、ただひたすら待っているだけではやってこないのだろう。この6年あまり、僕はただ待っているだけなのだ。待つのが一番苦手だというのに。ときどき、自分が一体何を待っているのかすら分からなくなる。たぶんそれはそれほど大層なものではない。例えて言えば、あなたの返事ひとつだったりする。

例え話として亡霊の話をしよう。彼女の名前は旧姓コンノトヨコという。小中学校の同級生だったが、彼女はその奇妙なおかっぱ頭のせいで目立たない女の子だった。だがちょっと気になっていたのは、よく見ると案外と整った目鼻立ちをしていたからだが、当時の僕はそれも気のせいだと思っていた。先日、6月1日の中学の同級会で、彼女と20年ぶりに会った。というか話をしたわけでもないので正確に言えば見かけた。その前に彼女を見かけたのは20年前にたまたま帰省したおりに地元のどこかのスーパーの出口でだった。そのとき彼女を見かけたのは中学卒業以来25年ぶりで、しかもまったく親しくもなかったのに、一発でコンノさんだと分かった。彼女の面影は中学のころとちっとも変っていなかった。同級会の日の日記にも書いたが、それから20年ぶりに彼女に会って驚いたのは、20年前よりもさらに美しくなっていたことだ。彼女は間違いなく美しかった。とても還暦には見えなかった。結局またしても彼女と一言も交わすことはなかった。同級会の帰り道に僕はそれを後悔して、今度どこかのスーパーで見かけたら、名刺を渡そうと思った。そして今度こそ話しかけてみようと思っているのだが、案の定あれ以来一度も姿を見かけることはない。考えてみると彼女と話した記憶は一度もない。本当にゼロなのかは定かではないけれど、限りなくゼロに近いだろう。そしてさらに考えてみると、中学を卒業して以来、コンノさんが僕の前に姿を現したのは20年前と今年の6月の2回だけだ。正確に言えば22.5年に一度しか姿を現さない。そう考えるとまるで亡霊だなと思った。これまでの習いでいくと、次にコンノさんに会えるのは20年後か25年後ということになる。まず第一に、そこまで自分が生きているかという問題もあるけれど、例え会えたとしてもそのときにはもう彼女は美しい亡霊ではなくなっているだろう。見かけるのではなくリアルに会えたとすれば。たぶん、亡霊というのはそういう存在なのだ。

書いてみるとあまり例え話にはなっていないような気がする。簡単に言うと、僕らはいつも幻影を追い求めているようなものだ、ということ。希望は欲望でもあり妄想でもある。それが現実化してリアルになって初めて、いいことになる。つまりいいことというのはこの目で見て、この耳で聞いて、この手で触れられるものなのだ。

だとすると、いいことというのはネット上には存在しないものなのだろうか? ネット上にしかないものはリアルじゃないのだろうか? それとももはやすべてはネット上に存在するのだろうか?

僕に分かるわけがない。何故なら、僕はあなたが存在していることすら知らないのだ。

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煙草でも吸おう。

今日の夢は巨大なレコード会社のビルであちこち移動して打ち合わせをする夢だった。それは自分がかつて勤めていたレコード会社よりも遥かに巨大で洗練されていて近代化されていた。まるでショッピングセンターのようだった。この、巨大なショッピングセンターのような建物の中にいるという夢をよく見る。これは何かのメタファーなのだろうか。だとすると何を示唆しているのだろうか。そういえば以前はもっとこぢんまりとしているが複雑な構造の建物の中にいる夢をよく見た。

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9月12日、木曜日。

急に涼しくなった。朝は寒くて目が覚めた。

今日も2回夢を見た。また昼寝をしたからだ。朝に見た夢は、ヨウタロウとライブのセットアップをしている夢だった。ときどきこういう夢を見る。不思議なのはいつも夢に出てくるのはベースのヨウタロウで、キーボードのヤマザキやドラムのミヤザワやアキヤマはほとんど出てこない。ヨウタロウ以外は知らないメンバー。まあでも、ヨウタロウは僕の生涯を通じての一番の親友なので当たり前なのかもしれない。僕が死んでもヨウタロウは泣かないだろうし、ヨウタロウが死んでも僕はたぶん泣かないだろう。ヨウタロウとは10年ぐらい会わないときがあったし、これまでで自分が一番話を交わしたのはたぶん作曲のI泉さんだ。だがI泉さんは僕より9つも年が上だし、この6年あまり電話で話したこともなく、I泉さんはたぶん意図的に僕と距離を置いている。それが何故かも自分では分かっている。僕はI泉さんをよからぬ世界に引き摺り込んでしまった。そして、I泉さんはもうこっち側には来ないことにしたのだ。たぶん。いずれにせよ、彼らが死んでも僕は泣かないだろうが、酷く寂しい気持ちになるだろう。しかし、自分が今以上寂しくなるというのは、ちょっと想像がつかないのだった。一体どうすればこれ以上寂しくなったりするんだろう?

昼寝をして、こんな夢を見た。

嫌な感じがした。暗い部屋の中に気がつくと母が座っていたというのは、あまりいい予兆に思えなかった。

3時半ごろに特養に行くと、通路の向こうから車椅子に乗った母がちょうどこちらに連れて来られるところで、母は僕に気づくと「ああ、靖」と満面の笑みを浮かべた。それでようやく僕は安心した。母の髪はやっぱり以前よりも白くなっていた。車椅子の母を窓際に連れて行って一緒に外を眺めた。特養の隣にあった家は、母が入院している間に取り壊されて更地になっていた。更地になってみるとその敷地は随分と広く、そしてそこにどんな家があったのかもう思い出せない。それは忘れたというよりも思い出せないのだ。時間というのはそんな風に流れる。

余計なことを書くとあまりにも長くなってしまうので今日はこの辺にしておく。「BORDER」の続きを見よう。

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境目

9月11日、水曜日。

正直昨日のようなつまらない日記を書くことは心苦しい。しかしながら実際問題として毎日あまりいいことはない。ただ生きているだけでありがたいという感じ。時系列順に書いているときは書くことがないときだ。今日もたぶんそんな風になるだろう。それが心底嫌になったら、日記ではなくてただのブログにすればいい。そもそも最初は日記じゃなかった。一時期薬でぐだぐだになって記憶と時間の認識が怪しくなったので、備忘録的に書くようになった。それだけだ。酷いときは記憶が頭の中で時系列順に並んでおらず、一週間とか一ヵ月とかという時間のタームの感覚すら怪しくなった。半年とか一年とかになるとお手上げだ。アルコールと睡眠薬を一緒に飲むと記憶が飛ぶというが、そんな感じ。とはいうものの、もう何年も寝る前に少量の梅酒を飲んでから睡眠薬と安定剤をしこたま飲んで寝ているが記憶が飛ぶことはない。

最初に目が覚めたときに起きたので9時13分に起きた。毎朝起きると台所に行って、手帳に起きた時刻を書く。単なる習慣で、それをしないと気持ち悪い。珍しく夢の中に元妻が出てきたが、夢の中でも僕らの関係はグダグダだった。眠かったので朝食後に昼寝をした。目が覚めると外は物凄い風雨だった。まるで先日の台風が遅れてやってきたようだった。

午後、書斎のPCに向かって相場のトレードをしていると、気がつくと物凄かった雨は嘘のように止んで日が差していた。相場のポジションを早めに利確したのですることがなくなり、今日はいつもより早いが3時に母のいる特養に行った。

ホールで看護員のAさんと擦れ違ったが、彼女は僕の方を見向きもしなかった。なんだかまたしても失恋をした気分になった。母は部屋のベッドに横になっていた。今日の母は髪がめっきり白くなったように見えたが、それが今日になって突然白くなったのか、それともちょっとずつ白くなっていったことに今日まで気づかなかったのかは分からない。たぶん後者なんだろう。帰り際、またしてもホールの出口にAさんの後ろ姿を見かけた。結果的に今日はAさんを二度見かけたのにもかかわらず、なんだかもはや彼女の存在は僕にとってあまり現実的ではないような気がした。どこまで行ってもリアルにはならないような気がした。

昨夜からアマゾンのプライムビデオでドラマ「BORDER」を1話から見直している。やはり面白い。今日は4話まで見たが、次の5話はテンションが落ちることを知っているので飛ばしてもいいのかもしれない。

「BORDER」が面白かったこと、相場のトレードで昨日のストップを食らった分をほぼ取り戻したこと。今日のいいことはそれぐらいか。母のベッド脇でスマホでツイッターを見ていると、母が「靖」と僕を呼んだ。もしかしたらそれもいいことに入れてもいいかもしれない。だがやっぱり今日も中途半端な一日で、これからも中途半端な毎日が続いていく気がする。なんだかこれもリアルじゃない。一体どうすればリアルになるんだろう? 毎日、何もかもすべてを賭けて生きてみるか。そんなことができればの話だが。

村上春樹は毎日規則正しく生活することと言っていたが、もしかしたら自分にとってはそれが一番難しいことなのかもしれない。例えば、日記を書くことすら「僕」になったり「俺」になったりするのだから。

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雨中の試合

9月10日、火曜日。

ごみ当番なのでアラームで9時起床。なんかいい感じの夢を見たのだがいつの間にか内容はすっかり忘れてしまった。自分的に早起きしたので煙草の本数が増える。昼寝は小一時間程度。

W杯アジア予選、ミャンマー 0-2 日本。うーん、最初から凄い大雨でびっくりしたが、ミャンマー相手にもこの先発メンバーで行かなければならないのかという疑問。前半こそ中島と南野のゴールで0-2としたものの後半は決定機はあったものの無得点に終わり、怪我人もなく無事勝ったもののなんかもやもやは残る。先制ゴールを決めた中島だがそれ以外のシュートは全部枠を外している。そういう意味でも物足りない。いずれにしてもめちゃくちゃなピッチコンディションでの試合だったので、怪我人が出なかったことが収穫か。アジアの2次予選は勝たないと洒落にならないという相手ばかりなので見る側もどういうスタンスで見ればいいのかが微妙。

それはともかくとして、この辺はまったく影響のなかった台風だが、ツイッターによると千葉県のほとんどの地域でまだ停電が続いているという情報にびっくり。I泉さんのところは大丈夫なのだろうか。とすると、結構大きい台風だったんだなといまさらながら思う。

相場のトレードは日中ストップを食らう。その後ポジションを取り直し夜に利確して半分ぐらいは取り戻したものの、例によってあと5分が待てなかった。一応自分としては目一杯ポジションを取って頑張ったのでやむなし。

今日はあまり書くことがないので以下次号。

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ヤバいもの

9月9日、月曜日。

長い夢を見た。渋谷か六本木あたりのジャズ喫茶で俺は仕事をしていた。しばらく仕事に没頭していて、会社に行くのを忘れていたので会社に電話をすると繋がらない。何度電話しても会社には繋がらなかった。そのうち作曲のI泉さんが現れた。店内にはちょうどハンコックの「処女航海」が流れていた。そこで目が覚めると、11時半だった。

今日もそこそこ暑かった。ツイッターのタイムライン上では関東方面はもっぱら台風の話題で持ち切りだったが、うちの辺りはまったく影響なし。午後になって、医療保険を請求するための診断書を申し込むために県立中央病院に行った。途中、まだ蝉が鳴いているので驚いた。帰り道は天気雨だった。それが台風の影響だったのだろうか。

それはともかく、ネットでヤバいものを注文した。以前、この日記でツイッター上で大麻を手に入れる方法を書いた(もちろん俺は買ってない)ことがあったが、それと同様でなかなか手に入らないものを手に入れるにはググるよりもツイッターで検索した方が手っ取り早い。

今回何を注文したのかというと薬物である。といっても非合法なものではない。その手の医者に行けば普通に処方されるもの。実はこれを発見したのは昨日のことなのだが、調べてみるとバイアグラのジェネリック製品が存外に安いということを発見したのだった。今回注文したのは100mg4錠入りのものを3個、つまり12錠で1537円だから、1錠あたり120円ちょっと。しかも使うときは半分に割って50mgで服用するので実質1回あたり65円ぐらい。もっと数を増やせば単価はさらに安くなる。というわけで、ユンケルはもとよりリアルゴールドを1本買うよりも安いのだ。っつーか、コーラより安い。なのでこれは一度自分が人身御供になって試してみなければと思ったのだが、考えてみると使う相手がいない。となるといよいよデリヘル……それはともかく、これは個人輸入になり海外から送られてくるので届くまでに日数がかかる。なので、即使ってみるかどうかはともかくとして、薬を割るピルカッターと合わせて2000円ぐらいの買い物だから、ま、いいか的なノリで注文してみた。

これが果たして自分にとって必要なものかどうかはともかく、使った人のレビューとか読むとそれなりにアレだし、使用時の注意として4時間以上勃起が続く場合は医師に相談を、みたいなことが書いてあり、一体どれだけの効果があるのか試してみたくなるのが人情というもの。俺はEDではないが、かれこれ19年前から抗うつ薬、抗不安剤(安定剤)を継続服用しており、それ以来性欲が落ちて心療内科医に何度も相談したことがある。なんとかならないものかと。一時期はかなり悩んだ。ところがこれがケースバイケースで、その後例えばミクシィで知り合った子と国分寺のラブホテルでどうのというときはまったくなんの問題もなかった。とはいうもののそれも数年前の話、おしなべて性欲が減退していることはずうっと気になっていた。それが高じて例えばハリウッドの映画でお定まりの特に必要とも思えないセックスシーンとかが始まると必要以上にげっそりするというようになってしまい、これでは草食どころか草も食べない男子になってしまったのではないかという危惧が心のどこかに常にあった。

などと、必要以上に説明するのも変だな。とにかく、届いたら試してみる世界。試す相手は……ゆる募。

自分が買ったところのリンクを貼ってもいいのだが、興味のある人は自分で探してみればいい。ヒントは、バイアグラの成分はシルデナフィル。つまりツイッターでシルデナフィルで検索してみればいい。

これを機に、果たしてネットではどこまで手に入れられるのか、ということをもう少し探求……以下自粛。

どうでもいいが、明日(つまり日付の上では今日だが)の朝は町内会のごみ当番。

それはともかくとして、前述の薬のレビューを読むと、自分のように抗うつ薬を長期服用していないごくごく普通の人でも、人によっては40代後半ぐらいからEDとまではいかないまでも勃起力の低下を気にする人が随分といるということが判明、そういうものなのかと勉強になった。なんの勉強かはともかく。しかし、俺にはバイアグラなんて関係ないと思っていたのだが、一昨日までは。

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超疲弊

9月8日、日曜日。

途方もなく疲れている。まるで誰かが物凄い怨念をもって俺を呪ってでもいるか、あるいは藁人形に五寸釘を打ち付けているかのように。一挙手一投足、身動きひとつするだけで疲れる。もしかしたら呼吸をするだけで疲れるのではないかと疑念を抱きたくなるぐらいに。

なのでこの日記を書くのも必死だ。だが遺書や遺稿を書くつもりではない。世界はまだ当分終わりそうにない。

幸いにして行き倒れにはならずに生還した。だからこれを書いているわけだが。

今日はとにかく暑かった。スマホによると34度だが体感的にはもっと暑かった。何よりうちの中が尋常じゃなく蒸し暑かった。先日予約を変更した精神科は今日はそれほど待たずに済んだ。いつものことだが、診察というよりもちょっとした人生相談をしてただ薬を処方してもらうだけ。

ルヴァンカップ、鹿島 2-2(2戦合計5-4) 浦和。前半の鹿島はあまりにも酷く、浦和は強かった。とはいうものの、1戦目のアウェイゴールがあるので1点取られても実質はまだリードしているという具合に、試合自体は0-1、1-1、1-2、2-2とまさに手に汗握る展開になったが結果的にはトータルで浦和にリードを許すことは一度もなかった。そして茶の間は窓を開けていても闇雲に蒸し暑く、汗だくになった。

この、久しぶりに汗だくになったことで昨日までの疑似的な失恋による精神的ダメージは気化してなくなったような気がした。とすると、この二日ばかり自分が恋だと思っていたものは幻影だったのだろうか。

そして俺は空っぽになった。

冷房をつけっ放しにしている書斎のベッドに寝転がってドン・ウィンズロウの「ザ・カルテル」を読もうとするのだが、この寝転がって文庫本を読むという行為自体が疲れる。なので続かない。本を置いて眼鏡を外し天井のペンダントを眺める。いや、ペンダントではなくシーリングライトかな、この場合。自分が息も絶え絶えなことに気づく。

冒頭に戻る。以下繰り返し。

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ストーカー

9月7日、土曜日。

いわゆるところの残暑、とにかく暑かった。11時近くに起きて朝食後ツイッターのタイムラインをさかのぼってみると、北中米遠征しているU22日本とメキシコの試合がYouTubeにアップされていたので、昼を挟んで見た。現地(たぶんメキシコ)の実況はヒロキ・アベを盛んに連呼するので、どうやらメキシコでもバルセロナに移籍した安部裕葵はかなり注目されていることが分かる。試合は結局スコアレスドローで終わるのだが、先発した目当ての鹿島勢3人、上田綺世、安部裕葵、町田浩樹のうち上田と安部の二人は後半12分で交代。肝心のU22日本代表だが、特に前半、空中戦にめちゃくちゃ強い上田のポストプレーを狙う意図がまったく見えず、攻撃時の連動性もなく、上田のよさを使えていないというか、上田がボールに触れること自体が少なかった。後半になって3枚替えしてからはようやく多少は連動して攻めるようになったが、こうしてみると結局監督の意図としては前半、つまり先発のメンバーに関しては戦術というよりも個の技量頼みだったっぽい。結句、上田のみならず安部もボールを持ったときに往々にして孤立してしまうことに。おしなべてこの日本は中盤がゲームを作れない。A代表でいうところの柴崎がいない。いかにも急造のチームという印象だった。それにしても、なんでここでサイドバック(3バックだったのでウィングバックか)がオーバーラップしないんだよ!みたいな感じが終始。

などと書いているが、昨日の疑似的な失恋の続きで元気はなく、試合を最後まで見るのも楽ではなかった。そして、なんということか、昨日に続いて今日もまた疑似的な失恋をしてしまうことになった。

4時過ぎに特養に行った。母のところに行く前にまず自分がしたことは、1階の看護員室のドア横に看護員のポートレートが貼ってあるかどうか確かめることだった。すると確かに貼ってあり、Aさんの写真も今まで通りある。つまり、昨日もしかしたら……と思ったことは勘違いだった。看護員室は電気が点いておらず人の気配もなかった。2階に行くと母は車椅子に乗ってホールのテーブルについていた。母を部屋に連れて行ってベッドに寝かせる。じきに母は寝息を立てて寝てしまった。なんだか落ち着かない。確かに看護員のポートレートは今まで通り貼ってあったけれど、本当にAさんはいるのだろうか? という疑問が浮かぶ。とりあえずAさんのポートレートをスマホで撮っておきたいという欲求が湧き、母が寝ている間にエレベーターで1階に降りる。スマホを手にしてエレベーターのドアが開くと、ちょうど看護員室の前で女子職員が誰かと談笑しているところだった。しかもその女子職員に気づかれてしまった。これはいかん、と思いながらとっさにどうしたらいいか分からず、「閉」ボタンを押して2階に戻った。なんてこった、これじゃあ完全に不審者じゃないか、どっちにしても意味不明な行動に見えたことは間違いない。

5時過ぎに母を起こして車椅子に乗せてホールのテーブル席に戻す。1階に降りるとちょうど廊下にAさんその人がいた。Aさんは消えていなくなったわけではなく、まだちゃんと存在していた。というようなちょっとした衝撃を覚えながら「こんにちは」と挨拶を交わす。Aさんは看護員室に消えた。そして僕は看護員室の前で立ち止まり、Aさんのポートレートをスマホで撮影した。もはや完璧に怪しい行動であることは間違いない。挨拶を交わしてから部屋の前を通り過ぎるまでのタイムラグが。

自動販売機でオロナミンCを買って、駐車場の車の中で飲みながら煙草を一服した。そして考えた。昨日はもしかしたらAさんは特養を辞めてしまったのではないかと思った。だとするとAさんと自分の接点はなくなり、Aさんは僕の前から完全に姿を消したことになる、と思った。それが喪失感になっていた。だがAさんは辞めておらず、確かにいた。なんのことはなく、恐らく平日休みで土日出だったのだろう。

煙草を吸いながら思った。だがしかし、先ほど挨拶を交わした様子からして、恐らくAさんの眼中に僕はない。彼女は僕を男として意識していない。という気がする。気がするだけで十分だった。結局のところAさんがいてもいなくても自分が(疑似的なものであるにしろ)失恋したことに変わりはなかったのだ。そして、それが何を意味するかというと、要するに僕はAさんに恋をしているということだ。例えそれが妄想であるにしても。なんてこった。こうして僕はまた失意の底に沈んでいく羽目になった。なんだかよく分からない気持ちのまま車を運転していたので、コンビニに寄って買い物をすることも忘れてしまっていた。そのことに気づいたのは帰宅してからだった。

なんだかいたたまれなかった。何かをしなければ、と思った。とりあえず夕飯に食べるものがないのでコンビニに行くしかない。着いたばかりなのにまた車のエンジンをかける。コンビニで弁当と煙草を買って時間を見る。6時48分。Aさんはもう帰っただろうか。それとも7時になると帰るのだろうか。とにかく何かをしなければと思って、また特養に戻って、今度は職員用の駐車場に車を停めた。窓を開けて煙草を吸った。ここで待っていればAさんが帰宅するためにやってくるのではないか。しかし本当にやってきて自分に気がついたら一体どう思われるだろうか? 一体全体、俺は何をやっているんだ? これではまるでストーカーではないか。

裏手にある職員用の駐車場からまた特養の敷地内に車を動かし、職員の出口が見える辺りで車を停めた。ちょうどその右手のところにある部屋に明かりがついていた。あれが看護員室だろう。このままAさんが出てくるまでずっと待っていようか、などということが頭に浮かぶが、もちろん僕はそんなことはせず、車を発車して帰宅した。

自分でも意味不明な行動を取っていることは重々分かっていた。しかし、何かをやりたかった。それがただの空回りであることは分かっていても。まあとにかく、一回ぐらいはなんらかの行動を取りたかった。ただそれだけだ。それ以上の勇気は僕にはない。なにしろ、日本を代表するくらいに勇気がないのだから。僕はただ、昨日今日のこのもやもやとした感情を、ちょっとでもいいから具現化したかっただけだ。僕がAさんに告白することはないだろう。妄想は妄想でしかない。まるでストーカーのような行動も、ある種の滑稽な儀式に過ぎないのだ。

なんだか書かなくていいことを書いているような気がする……。

馳星周「比ぶ者なき」読了。

自分とその一族のためなら歴史さえも捻じ曲げてしまう男の話。主人公に共感するのが難しいという意味では、馳星周らしいのかも。

愚か者であり続けるのもなかなか辛い。ちょうど弱っているので、俺を口説くのは今がチャンスだよ、そこのあなた。

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