託す

今日もやっぱり朝からダルい。これがリンパ腫から来るのか、うつの方なのか、区別がつかない。で、やっぱりなんとなく業務へ。無理せず2時ごろに切り上げたのだが、帰りに酷く気分が悪くなり、単なる具合の悪い人に。覚束ない足取りで帰ると、ソファに横になる。手が痺れて頭に鈍痛があるので、うつの方だと思われるが、なにしろ気分が悪い。なので、頓服を飲んで気絶。目が覚めると4時過ぎ、昼寝をしたわりにはまったく調子が回復せず、廃人間近な感じだが、今日は2つ隣の駅に住む同級生に、入院中カメさんを預かってもらわなければならない。電話をすると、ほどなくジョンがバーバンクからウェストハリウッドの僕の下にやってきた。で、カメさんを託し、部屋に戻って頓服を追加、また眠るともっと体調が悪くなりそうなのでなんとか起きているうちに、いつの間にかFacebook上でカメさんが飼い主の僕よりもすっかり人気者になっていた。困ったものである。そのうちなでしこ×アメリカの試合が始まり、なんとなく見る。アメリカ国歌を歌った軍人っぽい2人組が素晴らしく歌が上手く、どうせなら君が代も歌って欲しかった。試合は結果1-1で引き分けたものの、W杯のころと比べるとアメリカ相手でもまったく遜色なく、むしろ単純なパスミスをなくせば互角以上に戦っていた。強くなったなあとか思う。明後日から入院なのにほとんど準備をしていない。こんなことでいいのだろうか。前回入院したときにバッグに詰め込んだものが結構あるので、それで油断している。油断大敵。だが、明日出来ることは明日やろう。

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泳ぐ

昨夜の酷い抑うつ状態のせいで、今朝も朝から調子が悪い。おまけにかなりダルい。しかし、今日医者に行って薬をもらわないと、来週入院してから困る。なので、朝から頓服を飲んで医者へ。癌になっちまったんだけど、と告げ、それをダシに抗うつ剤を減らしたいと言った。時間はかかってもいいから、頓服と睡眠薬だけにしたい、と言った。なんでかっていうと、抗うつ剤を飲んでいるといつまで経ってもうつが治らないからである。説明は省略。そんなわけで、トレドミンとラミクタールをそれぞれ半分に。薬局で薬を受け取り、ふらふらと帰りながら、朝から心身共に調子悪いなあ、どうしようかなあ、と考えるが、結局、行ってみて考えようと、玄関先に薬を置き、業務へと向かった。正確に言えば向かったのはドトールだった。抹茶ラテを飲みながらどうしようかなあと未だに悩んでいた。悩んでいるわりには頭は働いていなかった。そんなわけで自動的に電車の時間になると改札を通り、電車に乗る。で、2時過ぎに業務を終えて、帰途に就くが、地元に着いてからそういえば昨夜は具合悪過ぎてパンしか食べてないな、ここは無理してでもまともなものを食べなければ、と思い、駅前のなか卯で、和風牛丼のミニ、というまともなものを食べた。で、店を出ると外は豪雨だった。こういう環境が劇的に変化するとき、人間というものはあまり悩まない。少なくとも僕は。さすがにスーパーで買い物をすることは断念したが、とにかく帰るしかないので土砂降りの中を歩き始めた。5分も歩くと、もはや溺死してもおかしくない状態になった。ひっきりなしに雨水が垂れてくるので目を開けていられない。一体自分は何をしているのだろう、と思う。そして、去年は3.11を初めとしていろいろ酷いことがあったが、こと僕という個人に関しては、今年ほど酷いことが重なっている年はない。まだ3月だが。などと考えながら思考停止するという矛盾した状態で、ただ本能の赴くまま歩き、帰宅した。溺死体と化した僕は玄関先でありとあらゆるものを脱ぎ捨て、シャワーを浴びた。しかし、もはやずぶ濡れである頭にシャワーを浴びて、これはただ温度が違うだけで同じことをしているのではないだろうか、などという疑問がちょっと浮かぶ。そんなことで世界を泳いできた僕はすっかり憔悴しきっていた。無理もない。着替えてソファに横になり、まだ抑うつ状態が残っているので頓服を飲んで夢でも見ることにした。お陰様で夢を見ることはできたが、携帯が鳴って途中で起こされた。しかし、また夢の続きに戻った。目が覚めると真っ暗、時計を見ると6時を回っていた。空腹を覚える。しかし、ようやく抑うつ状態は抜けたようだった。外に出ると雨は嘘のように止んでいた。止むんだったら最初から降らなければいいのに、などという小学生のようなことは思わない。とにかく近所の洋食屋に行き、ハンバーグ定食を食べた。その後、ここ2・3日ギターを弾いていなかったので、ギターの練習をしたら唖然とするほど下手になっていた。そこで意気消沈してしまうとますます下手になってしまうので、我慢してしばらく弾いていたらゲシュタルト崩壊。

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無題

今現在、抑うつ状態が最悪で廃人状態なので、これ以上書くことが出来ません。

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予定調和的審判、あるいは宣告

病名:悪性リンパ腫
分類:びまん性大細胞型B細胞性リンパ腫
病期:第Ⅲ期

朝駅前のドトールで母親と待ち合わせ、病院へ。例によって診察室に呼ばれたのは2時間後。僕だけ診察室に入って話を聞く。で、検査結果の前にいきなり病名宣告、悪性リンパ腫、つまり血液の癌。悪性リンパ腫には大まかに分けて2つあり、ひとつは日本人に圧倒的に多い非ホジキンリンパ腫、もうひとつは欧米人に多い(日本人は10%)ホジキンリンパ腫。僕は非ホジキンリンパ腫の方で、正確な分類はびまん性大細胞型B細胞性リンパ腫、日本人にもっとも多い、もっともありふれたリンパ腫。ウィキペディアを鵜呑みにすれば、寛解率は非常に高い(ある種の薬を使えば95%)。そんなわけで一昨日のPET検査の写真を医者がペタッと貼った。まずは全身写真。癌細胞が集まっているところが白くなっている。事前の情報ではやたらと一杯ある、ということだったが、ぱっと見ではそうでもなかった。頭と心臓が真っ白なのにはびっくりしたが、これは活発に活動しているから正常だとのこと。ざっと見て、上半身に5・6箇所、わりとてんでばらばらにある。次に輪切りにしたCTの写真。これは癌細胞のところが赤く写っている。一番目立つのは脾臓で、真っ赤っか。医者曰く、普通の倍ぐらいに癌細胞で肥大しているらしい。脾臓って何をやってるところだ? というわけで今ウィキペディアで調べてみると、免疫機能や血液関係みたいだ。場所を見ると、数年前からたまにちくちく痛みがあったところ。そのときにCTを撮って異常なしということだったが。いずれにしてもいつから出来たかは分からない。ⅠからⅣまである病期、つまり進行度合はⅢ、これは脾臓まで達しているからで、横隔膜より下にまで進行しているとⅢのよう。つまり下から2番目。しかし、前述のウィキペディアによると、非ホジキン腫の場合、病期は重要ではない、ということになっている。まあ血液の癌だから全身どこに出来ても不思議ではない。一応母親が来ていることを告げると医者が説明するというので母親を呼び、医者がもう一度始めから説明した。で、早い方がいいということで、来週の火曜から治療入院することに。医者は一応2週間押さえていたが、一週間から10日ぐらいとのこと。病気よりもどっちかというと入院の方が憂鬱。その後は通院治療。最初に入院するのは抗がん剤を選ぶため。1階で入院の受付と会計を済ませ、病院を出て母と喫茶店で遅い昼食を食べているときに診察券がないことに気づき、食べ終わってまた病院に戻るがカウンターには届いておらず、ATMに長時間差しっぱなしになっていると吸い込まれてしまうということで、来週の入院時にあればよし、なければ即再発行とのこと。もうこのころは既にへろへろ、また駅を目指して歩くが気分が悪くなるくらい疲れていたので駅前のドトールで休憩、母親の新幹線に間に合う電車をiPhoneで調べる。大宮まで母を送ったが、車中では額に脂汗びっしょり、もはや単なる具合の悪い人になっていた。新幹線の改札口まで送ってから地元の駅に戻り、一気に帰宅する余力が残ってないので、ひとまずキウィフルーツのジュースを買って遊歩道のベンチで休憩、I泉さんと電話。それからまた駅まで戻ってスーパーで夕飯を買い、ようやく帰宅。夕食後、あまりにも疲れたせいか物凄く気持ち悪くなり、ソファに横臥しているうちに気絶、少年のころの夢などを見てそのまま死んでもおかしくない感じだったが3時間後ぐらいに蘇生、目が覚めても疲労でへろへろ、しばらく放心。なんか病名が決定してから急に病人っぽくなったような気が。

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母来たる

明日病院だというのに、久しぶりにヤマザキと長電話をしてしまったので、大分端折って書かなければならない。明日、これまでの検査の結果が出て、いよいよ最終的な病名とその後の方針を宣告されるので、母親が来たいと言って山形から今日やってきた。もっとも、実際の診察のときは外で待ってもらうつもり。傍で溜息とか吐かれたらかなわんので。で、僕が今住んでいるのは単身者用の狭いワンルームマンションなので、母にはビジネスホテルに泊まってもらう。当初予定していた、うちから歩いていけるビジネスホテルは電話してみたらなんと満室、仕方ないので隣駅の駅前のビジネスホテルにした。何しろ滅多にこっち方面になんか来ないし、もう80になろうという母親、携帯を持っているのに改札脇のドトールで待ち合わせるにも一苦労。一旦僕のところに来て、とりあえずどんなところに住んでいるのか見てもらおうと思ったのだが、母は着くなり延々と食器だのなんだの、洗い物を始め、終わったころには夕食の時間、また駅まで行って蕎麦屋で蕎麦を食べた。それから一緒に隣駅のビジネスホテルまで行き、明日の朝、ドトールで待ち合わせることにしたが、母が一人で本当に来れるのかどうか、ちょっと怪しい。とにかく病身の身の上、駅まで何度も往復するのはちとしんどい。

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内部被爆、13階段、退屈死

そんなわけで今日はPET検査なので、朝食が食べられない。一応8時20分に目覚ましをセットしておいたが、その前に起きた。食えないのでひとまずコーヒーを飲みながら(糖分がないものは飲んでいいことになっている)一服していると、その場は朝食抜きもそれほど気にならない。やたらと遅れる埼京線を見越して、早めに到着するように出発、受付の45分前に病院のある駅に到着、駅前のドトールでエスプレッソを飲みながら時間を潰す。と、じわじわと空腹がやってくる。食べたい、というよりは腹減った、という感じで、一度そう思い始めると頭の中が空腹で満たされる。遅刻の許されない検査の受付に5分前に入り、すぐ呼ばれて検査着に着替える。履いているスリッパをふと見ると、放射線/核のマーク、検査室に呼ばれて放射性物質の入った薬を注射されていると、目の前のゴミ箱にはバイオハザードのマーク、検査技師は金属の遮蔽板を盾に僕を見ている。なにやら物々しい。で、薬の注入が終わると、休憩室みたいな部屋で1時間待ってくださいと言われ、カーテンで仕切られているスペースに入るとゴージャスな歯医者の椅子みたいなものが。前々から言っているように、僕は何が苦手と言って待つことほど苦手なものはなく、一番相性が悪いのは歯医者の椅子なのだった。それに時間の感覚がないので1時間と言われると途方もない時間、平安時代から大政奉還までぐらいに思えてしまう。もちろん腕時計は外してあるし、壁にも時計はない。そんなわけで気の遠くなるような時間を過ごした。薬が回ってくるに連れ、身体中が火照ってくる。寝ようかと思ったが、通路を隔てた向かい側にいる爺さんが5分置きぐらいに今にも死にそうな咳をするのでそれも適わない。まあでも不思議なもので、病院というのは特殊な空間であるために、開業医の待合室で待っているように10分で具合が悪くなる、というようなことはない。なんつーか、宇宙空間でスペースシャトルの中で放心しているような感じ。500年ぐらい経過したところで名前を呼ばれ、検査室に入る。で、約30分CTの撮影(だと思う)。目をつむっていたので動いているのか動いていないのかよく分からなかった。終わるとまた30分休憩、その間に徳川幕府が日本を制定し、長い退屈な時代が延々と続く。と、また名前を呼ばれ、今度は20分ぐらいですから、と言われたが、もちろん僕には30分も20分も違いは分からない。今回はちらちら目を開けてみていたら、ほとんどの時間、動いていないことが分かった。たまに少しだけ移動し、そのままじっとしていることしばらく、そのうちまたちょっとだけ動く、という感じ。そのうちお疲れ様でした、という声で拷問のような時間がようやく終わる。

会計を済ませて外に出ると空腹と空きっ腹に放射性物質を身体中に入れられたせいで、ほぼ死人、とにかくなんか食べなければ、とよろよろと駅に向かい、朝入ったドトールでサンドウィッチとエスプレッソの今日初めての食事をするが、なんだか食べた気が全然しなかったのはあまりにも長い間食べなかったせいだろう。帰りの電車で席に座っていると脂汗が出てきた。気持ち悪い。普段存在しないものが体内にまだ残っているので無理もない。地元の駅に到着すると、まだ食い足りないのでスーパーで食べ物を少々買い、帰途に就いたはいいものの、気分が悪いのと疲労とで歩き始めてすぐに遊歩道のベンチで休憩。そんな感じでやっとのことで帰宅、サラダとパンを少々食べ、ソファに横になって本を読んでいたが、少し寝るかな、と思って目をつむったはいいがどういうわけか今日に限ってなかなか眠れない。ああでもないこうでもないと体勢を入れ替えているうちに眠りに落ちたらしく、酷い悪夢を見る。携帯が鳴って起こされた。元妻からだった。話し終えると頭ががんがんに痛い。何故だろう、痛み止めを飲んでいるのに。30分ぐらいすると頭痛は治まり、まともなものを食おうと近所の洋食屋に行ってピラフを食べる。戻って高野和明の「13階段」を読み終わる。非常に面白かったが、ひとつ、些細ではあるが重要な瑕疵があり、全体を通しても難点はあるが、普通にエンターテインメント小説として読む分には誰も気づかないだろう。よくここまで取材したな、と感心するぐらいディテイルまで書き込まれており、巻末の参考資料を見るとずらっと専門書が並んでおり、よくこんなにたくさん読めるものだと感心する。その中には1冊、僕が最初の小説を書くときに参考にしようと買ったものがあったが、結局僕はその本をロクに読まなかった。いずれにしても面白かったし、未読の本は山ほどあるが次に読みたいというものが特に思いつかなかったので、同じ作者の評判になっている「ジェノサイド」を買おうと本屋に向かう。で、「ジェノサイド」と入院したときに読む用に長尺のカズオ・イシグロ「充たされざる者」を購入。しかし、いくら分厚い本だと言っても、ハードカバーと文庫本を買って3500いくらというのは高いなあと思う。帰りがけにフルーツなぞを購入、帰宅してから食べる。と、することがない。I泉さんに2回電話してみたが留守電、Facebookは何故か閑古鳥、こうなると電話する相手がなかなか思いつかない。しょうがないのでディストーションをかけたギターをひとしきり弾いてみるが、何故かつまらない。要するに今夜は退屈でつまらない夜なのだ。それにしても異常なぐらいつまらない。僕が異常なのだろうか。このままでは退屈死してもおかしくない。思い余って、同じく癌を患って生き残った、KララシャのYカリに電話した。で、話を始めたと思ったら名古屋から帰る途中で運転中だと言うことで話は途中で終了、もう電話する相手は思いつかない。時既に11時を回り、深深と夜は更けていくが、何も起こらない。なんでこんなに退屈なんだろうと疑問に思うくらいつまらない。つまらないと思っているからつまらないのだろうか。これ以上つまらないのは耐えられん、と思い、シャワーを浴びていつものように四つ切りにしたトマトに塩を振って食べ、ぼんやりとネットの記事とかを読んでいるうちに日付が変わってしまった。そんなわけでこれを書いているが、時間を見ると1時。まったくもってよく分からない1日。

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病人その1.5

今の僕のような人間が言うのはちょっとヘンな気がしないでもないが、今日は最近の中では案外と体調がよかった。成り行きで3時過ぎまで業務をしてしまったものの、昨日までのように帰途で疲労困憊してふらふらになるわけでもなく、わりと普通に帰れた。確かに夕方うつになりそうになったので頓服を飲んで昼寝をしたら2時間ぐらい寝て、やっぱり疲れてるんだな、とは思ったが、夕食を近くの洋食屋で食べてみると普通においしいと思えた。ただ、手術跡はいまだにちくちくと痛む。明日PET検査という、癌に集まる性質を持った放射性物質を身体に入れてどこまで癌が広がっているのかを調べる検査があるのだが、その翌々日、つまり木曜日に医者からもろもろの検査結果を言い渡される。つまり最終結果と今後の方針が出る。で、母親がその検査の日に来たいというので、明後日来て一泊して病院に一緒に行くことになっているのだが、その話を電話でしていて些細なことでちょっとした諍いみたいになってしまい、病気のことやら検査のことやらがどっかに行きそうになった。最終的にはその辺に気づき、こんなことで喧嘩している場合ではないのだな、などと思う。その後何故か急激に気落ちしてしまい、何故かというのはそれが病気のことでも母親のことでもなく、何かもっと本質的なところで気落ちしてしまったのだと思う。で、何をしたかというとギターを弾いた。しかし、案の定そんなことでは気持ちが持ち上がるわけでもなく、困り果てた。で、この際電話代を気にせずに、一番適役と思われるI泉さんに電話、ようやっとノーマルな状態に戻った。とか書いてるが、明日の検査は放射性物質の半減期が短いので絶対に遅刻するわけには行かず、さっさと寝なければならない。というわけでこの辺で。

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病人その1

昨夜あれから、手術痕を覆っているガーゼがちょっと濡れてしまったので、少し考えてから剥がして捨てたのだが、そのせいか、今日も1日中患部が痛む。で、手術した方の右肩がやたらと凝る。無意識にかばって力が入っているのだろうか。それでもまあ、懲りずに今日も業務、しかし無理はせずに1時半ごろに切り上げ、ホームセンターとスーパーで買い物、ところが手術以降そうなのだが帰り道になると疲労困憊でふらふらになる。歩いているともう絶望的に疲れ果てている。したがって歩くのが物凄く遅い。これではまるで病人ではないか。帰宅後、軽い昼食を摂り、なんとなくギターを少々弾いてみるが、弾いているうちに気持ち悪くなる。これは考えてみるに、ギターのボディがちょうど患部(手術痕)の下部を圧迫しているせいだと思う。そんなわけでソファに横になって本などを読んでいたが、横になったらなったで痛みが気になる。なので、少し寝ようと昼寝をしたら、2時間ちょっと寝てしまい、起きたらもう夕食、で、これもこのところそうなのだが、食べ終わるころに急に不安になる。別に病気に対して不安になるわけではなくて、人が不安になった状態に突然すとんと陥るのである。具体性がないのでかえって始末が悪い。折りしも昼寝をしたばかり、しょうがないので頓服のセパゾンを飲む。しかし、夕食後に痛み止めを飲んでもまだ鈍痛が取れないし、特に横になっていて起き上がるときとかが痛い。やっぱりガーゼを剥がしたのがまずかったのだろうか。抑うつ状態に突入してしまったので何も出来る気がしない。よって横になって本を読む。が、やっぱり途中で電池が切れる。困ったものである。そのまま呆然と横たわっているとただの病人然としてしまい、私は具合が悪いのだ、という方面に行くのでこれまた始末に悪い。頓服が少しばかり効いてくると、また起き上がって音楽などを聴いてみるものの、やっぱり右首、右肩方面が気になってまた横になってしまう。横になったり縦になったり忙しい。少し様子がよくなったところで気分転換にセブンイレブンまで歩く。夜気がなかなか心地よい。深更、懲りずにまたギターを弾き始める。少しアイディアが湧いたから。だが、ちょっとさぼっただけで頭の中に浮かんだ通り指が動かない。もちろんまったく動かないわけではなく、動くのだけれど十分ではない。などと、シャワーを浴びた後書いていると時既に1時を回っている。今週はまだ欧州の日本人が得点していないので最後の砦である香川になんとしてもゴールを決めて欲しいのだが、今現在、1点リードされている。頼むぞ香川。ということで、試合の流れを気にしながら本を読んで寝ることにしよう。

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なかなか淡々と1日は過ごせない

7時ごろ起床。目が覚めて始めに思ったのは、なんか久しぶりに寝た気がしたこと。次に、手術跡の痛みが和らいでいることに気づいた。右の首の付け根から鎖骨にかけて手術したので、右を下にすると痛いし本を読めないので、昨夜はいつもと逆向きに寝たのだった。そんなわけでなんかようやっとまともな朝を迎えたような気がしたが、やっぱりまだ食べてもおいしいとあまり感じないし、それはコーヒーを飲んでも同じだ。要するに当たり前だが基本的に体調はよくない。したがって、これを書いている今、飲んでいるのは水。

そんなわけで、大人しく静養したいのは山々なのだが、8時半ごろに煙草が切れそうになった。正直、入院前より煙草をおいしいとは感じないのだが、中毒自体は抜けてない。そんなわけで、霧雨が降る中を駅前に向かう。煙草を買って、ドトールに入り、さくらラテという代物を頼んでみたが、これが甘い。朝飲むには甘すぎ。ぼけーっとしていたのだが、電車の時間が近づくといつもの習性で電車に乗ろうとしてしまう。というか、乗ってしまった。仕方ない、無理をしないようにしよう、と業務。が、少々無理をしてしまった。両脇に客がついた3時過ぎにギブアップ。手術跡を隠すためにタートルネックのセーターを着ていったので、暑くて頭がのぼせた。ああやりすぎちまった、と思いながら朦朧と帰宅、途中、スーパーで買い物をした辺りで気持ち悪くなったが、無理をした割にはそれほど極端に体調が悪いようには感じない。痛みが気にならないせいだろうか。それでもやっぱり相当疲れていたようで、うつの症状がちょっと来ていたので頓服のセパゾンを飲んで5時ごろにソファで寝たら目が覚めたのは8時、まだまだ眠りそうだったが、起きた。するとどういうわけか痛みが多少戻ってきた。なんてこった。まあそれでも昨日ほどではない。遅い夕飯を食べて、その後また抑うつ状態に突入、それほど深くはないが何も出来ない感と漠然とした不安感。別に病気に対するものではない。しょうがないからまたセパゾンを飲む。そのうち少し復活してきたので少々ギターの練習。他にすることが思いつかない、っていうか、横になって本を読んでる方が痛みや具合が悪い感を感じるので。2日シャワーを浴びてないので、痛みも多少マシになったことだし、恐る恐るシャワーを浴び、2日ぶりに頭を洗った。気持ちいい。そういえば来週の木曜日、検査結果の発表(たぶん)があるのだが、それに合わせて母親が来日、じゃなくて上京(?)、ま、とにかくこっちに1泊することになった。結果を聞いても気落ちするだけだと思うんだけど、気持ちは分からんでもない。

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振幅

昨日切った手術の跡が、薬が切れてきたのか痛くなってきたし、一晩入院した時差ボケとか疲れがあるのか、気分も悪くなってきたので、書けなくなる前に書いておこう。

まずは昨日の手術から。とりあえず、手術まで僕は元気だった。これまで手術とか入院とかは、小学校に入る前の盲腸ぐらいなのでほとんど記憶がない。なので、実質上初めての入院、手術と言ってもいい。そんなわけで興味津々、まず手術室のあるフロアに入ると、まるで出荷を待つ倉庫のように殺風景だった。もちろん清潔なので、ある意味、近代的な工場と言ってもいい。その中に並んでいる手術室のひとつに僕は入れられた。手術室に入ってまず驚いたのは、徳永英明が歌っていたことである。徳永英明? 僕は思わず、傍らの看護婦に、ここって音楽流れてるんですか、と訊いたら、はい、と当たり前のように答えた。しかし、患者をリラックスさせるためならもう少し選曲の余地はあるだろう。事実、手術が進むに連れ女性シンガー(たぶんタマシイレボリューションとか歌ってる子だと思う)がロックをシャウトする始末。紅白歌合戦状態。それはともかく、執刀医は若い女医なのだが、その先輩格の男性医師が指示をしながら手術は進んでいった。それにしてもみんな楽しそうだ。何がそんなに楽しいのだろうか。青いシェードが覆っているので僕には見えない。ときおりジーっという電気メスの音がして、ああ切っているのだな、と思う。そのうち腫瘍が見えたらしく、男の方の医師が、学生にも見せていいですか、と訊くので嫌とは言えず、はい、と言ったが、まあここは大学の医学部付属病院、そう考えると不思議でもないのだが、女子学生が一人、見学していたのだった。つまり、手術というものは見学するほど楽しいものなのだろうか。局所麻酔だが痛いと声を上げたのは一度だけで、それも注射を追加すると痛みを感じなくなった。そのうち、2cmぐらいの腫瘍が取れましたよ、と言われたが、見せてはもらえなかった。まあ見ても気分のいいものではないだろう。腫瘍を取り出すと止血して縫うだけ、お、上手に縫えたね、と男性医師、まるで裁縫の時間である。そんな感じでなんとなく手術は無事終わり(たぶん)、何故か僕は車椅子に乗せられて病室に戻った。車椅子に乗ったのは生まれて初めてだが特に感想を述べるほどのものではない。病室のベッドに戻って点滴を受けているうちに麻酔が切れたのか痛くなってきた。一応痛み止めを飲んだのだが鈍痛は消えない。その日は夜寝るまで、痛みと点滴のせいか、なんとなく気分の悪い状態が続いた。むしろ手術直後の方が、外に出て煙草を一服したりして元気がよかった。明け方、夜はひそひそと喋る筈の看護婦が、何故かさしたる大事でもないのに患者の名前を普通の声で呼んだために目が覚めてしまった。すると、痛み止めの効果が切れたのか、痛くてなかなか眠れない。首を動かせないので酷く窮屈だ。なので、一度身体を起こそうと思ったが、どうやっても起き上がれない。なので、ベッドを上下させるリモコンでやろうと思ったが、よりによってリモコンは足の方にある。なんとかしてそれを取ろうとしたが手が届かず、かといって起き上がれないので仰向けに寝そべったまま、ひっくり返ったカメのように身体を斜めにずらしてリモコンを取ろうとした。が、病院のベッドには手すりというものが付いていて、これが邪魔でもうちょっとのところで届かない。自分が酷く間抜けなことをやっているような気がした。少なくとも見た目は滑稽な状態だ。そこで僕は諦め、ナースコールでナースを呼んだ。それでようやくベッドを起こすことは出来たが、うつらうつらとしか眠れず、そのうち6時に強制的に起こされ、カーテンも全開放、そんなわけで昨夜は睡眠不足。

と、昨日はそんな感じなのだがそのまま今朝になだれ込むと、7時にパンの朝食が出たが、食べ終わるとどうしてもコーヒーが飲みたくなり、点滴を持ってエレベーターで降り、1階にあるドトールでエスプレッソを買った。コーヒーを飲むと煙草を吸いたくなる。そんなわけで点滴をガラガラと引き摺りながら敷地のぎりぎり外、つまり歩道に出て一服した。病室に戻ってぼんやりしていると腫瘍内科の医師、つまり僕の担当医がやってきて僕に紙を渡し、それによると来週の火曜に行う検査の時間が11時に変更されていた。これは9時になっていたのを僕が変えてくれとオーダーしたものだ。それはいいのだが、医者はまだ検査の結果が出ていないのにも関わらず治療の話を始め、最初の治療は10日入院してもらう、と言った。僕は、えっ、この間は4日って言ってましたよね、と言うと、まあ1週間から10日ぐらいとアナログな答えが返ってきた。医者はもうすっかり悪性リンパ腫と決めつけているようで、20種類ぐらいあるからね、とか既定事実のように言っていた。正直、こういうのもどうかと思うが。

会計を済ませ、昼前に退院した。それにしてもたかだか1泊の入院で5万とは。外は雨だった。雨に濡れながら重い荷物を担いで駅目指して歩き始めたものの、足取りは重い。手術と入院の疲れ、それと朝の点滴のせいだと思う。もうよれよれの状態だが、こっちが退院させてくれと言ったので文句は言えない。ようやく駅に辿り着くと、駅前のドトールで軽い昼食を摂り、それから電車で帰還。雨に濡れながらなんとか生還したのはいいものの、帰宅してしばらくしてから酷い抑うつ状態に陥ってしまい、あらゆることを悪い方向に考えるようになってしまった。こうなると自分でも分かっていてもどうしようもない。気分はどんどん憂鬱になり、どこか悲しくもある。夕飯を近所の洋食屋で食べたが味がよく分からず、なかなか喉を通らなかった。それから頓服が効いてくるまで、僕はありとあらゆる悪い想像をして深海魚のように海底に沈殿した。そのうちようやっと浮き上がることが出来たが、痛み止めを飲んで2時間ぐらいしか経っていないのにもう痛くなってきた。それも横になっている方が痛い。ついでに頭も痛くなってきた。どうしたらいいのか分からないので、何故かギターを取り出して練習した。が、そのうち気持ち悪くなってきた。自業自得である。そんなわけでこの日記を書き始めた、という次第。

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