手術の夜

手術直後はそうでもなかったのだが、夕食後しばらくして最後の点滴をしてから、内科の担当医を待ってるうちに調子が悪くなり、今日はちょっとこれ以上書けそうにない。よって、手術のこととかは明日書くことに。

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入院前夜の私

昨日あんなに寝たのに、朝起きてみると眠い。一応朝食を摂ってコーヒーを飲んでみても眠い。あんまり眠いので寝たら10時過ぎに起きた。気のせいかなんか少々ダルい気がするが、1日中部屋で臥せっているほど辛気臭いものはないので、遅まきながら業務へ。3時半ごろに止め、帰途、駅前のドトールでエスプレッソを飲みながら、明日の検査入院のために買っておくものはないか考える。歯磨きセットぐらいしか思いつかない。なので、隣の薬局で歯磨きセットを購入。なんか空腹を覚えたので目の前のマクドナルドでビッグマックを購入、帰り道の何処かで食べようと。しかし、もしかしたらマクドナルドに入ったのは21世紀になって初めてかも知れないが、たぶん実際のところは2度目ぐらいなのだろう。スーパーで食料品を買い、外に出ようとすると、ちょうどスーパーの外階段の下のベンチが目につき、そこでビッグマックを食べる。なんか風景的には貧しい風景。帰り道の途中から右足を引きずるようになり、これは抑うつ状態突入の意、まいったな、と思う。帰宅時にはすっかり疲れ果てており、おまけに抑うつ状態なので、ここでソファに横になったら一巻の終わり、明日の仕度どころか何も出来なくなってしまうだろう。なので、早速明日の準備をしなければ、と思いながらついネットでニュースなどを一通り見ながら、なんとなくPCのiTunesからiPhoneにアルバムをいくつか選んで入れた。ついでにFacbookに書き込みなぞをしていて、ふと、こんなことではいかんではないか、と思い、ようやく慌しく明日の入院の準備を始める。と思ったのだが、なんか急に腹が減ってきたので24時間営業のスーパーに行った。で、何がしかの食料を買い、帰宅して食べた。で、一服しながらまたFacebookに書き込みなどをしていたのだが、ここに至ってようやくこんなことではいかんではないか、とまた思い、今度こそ入院の準備を始めた。記憶にある順にタオル、バスタオル、着替え、精神科の薬などをバッグに放り込み、提出予定の書類に書き込み、ちょっと休もうと思ってPCの前に座って、この2日ばかりギターの練習をしていないことに思い至り、20分ばかりギターを弾いた。明日は燃えるゴミの日なのでゴミをまとめてゴミ置き場に捨て、それからふと、せっかく入院するのだから、この場合、伸び放題の髭を剃った方が不審人物に見えないし、もしかしたら看護婦にモテたりするというような出来事が起こらないとも限らないので、髭を剃り始めた。ところがこういうときに限って顔の微妙な位置に微妙な長さの数本の髭があり、いくら悪戦苦闘しても剃れない。あまりにも剃れないので業を煮やして、文明の利器であり最終兵器であるところのハサミを取り出し、最初からこうすればよかったと思いながら髭を切る。ブラウンの髭剃りは世界で一番剃れないと思う。ようやく髭が剃れたところで一休み、コーヒーを飲みながら一服していると、こういうときに限って何か重要なものを忘れているのではないかと不安になり、もう一度パンフレットを見ると、はし、スプーン、湯呑み、というのを見落としていたことに気づく。しまった、というので割り箸と湯呑みをタオルに包んだはいいが、スプーンのところで悩んだ。一体何のために使うのだろう。つまり、どれぐらいの大きさが適当なのだろう。分からん。ティースプーンとコース用のスプーンではあまりにも大きさが違うし。というので、よく分からんがイチゴ用のスプーンを入れた。要するにどうでもよくなったのである。気がつくと11時をもう回っており、以前だったらごく普通に7時には目を覚ましていたのだが、この2日ばかり8時過ぎに起きたり今朝のように10時過ぎまで寝てたりする。それに埼京線というのはなんだか知らないが毎日のように線路に人が入っただの、なんだのと遅れる。なので、一応目覚ましはかけるが早めに寝るに越したことはない。というわけでシャワーを浴び、いつものようにトマトを切って塩を振って食べ、オレンジジュースを飲みながらこの日記を書いている。

と、ふと時計を見ると0時を回っている。なんてこった。

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攪拌、および沈殿

たった今シャワーを浴びて、現実に戻ってきたところだ。

さっきまで、正確には10時半ごろ、ガルシア=マルケスの長編「落葉」を読み終えて解説を読んでいる途中で急に眠くなり、あまりに眠いので寝たら寝たでいいや、とソファの上で目をつむったら、寝たり覚めたりを繰り返し、ふと目を開けて時計を見ると日付がちょうど変わったところだったので、ようやく身体を起こした。眠ったり目が覚めたりを繰り返しているうちに、自分自身がだんだんぼやけてきて、そのうちすべてが曖昧になってきて、ようやっと身を起こしたときには、これまでのありとあらゆることがすべて夢だったような気がした。中国の古い話、紅楼夢だっけ、あんな感じ。まあ無理もない。昨日の今日で、僕は世界でももっとも疲れている人間のひとりだったのだから、と自分に対して憐れみの言葉をかけたくなる。

この日記のややこしいところは、いつも日付が変わってから書いているので、日記における「今日」という日がいつも日付のひとつ前の日だということだ。まあそれはいいとして、どうも昨日を境に僕は本格的な(深刻な、と言ってもいい)病人になってしまったのだ、という感覚が朝起きたときからあり、病気=体調が悪い、ということが脳のどこかに刷り込まれてしまって、自分の体調に関してちょっと神経質になってしまって、無意識のうちに常に自分の体調を監視してしまっている。ちょっとすっきりしないと、俺は今ダルいのだろうか、などとすぐ思ってしまう。朝はそれほどでもなかったので、一応業務に出かける。で、病人なのだから無理しない、ということで1時半には切り上げてしまう。手帳を見て、初めて今日(20日)が祝日であることを知る。店を出て歩き始めると、ちょっと疲れた感覚があり、また、俺は今ダルいのだろうか、と自問自答する。それを延々と繰り返しながら家路に就き、帰宅したころにはすっかり疲れていた。当たり前である。僕は癌という大病を患っているのだ、だから疲れるのだ、と思い込んでいるのだから。さっきから頭痛が取れないが、それも癌のせいだろうか。こんな風だから疲れるのだ。パンを少々食べて、病人なのだからソファに横になる。実際、疲れている。頭痛を取るためにロキソニンを飲み、手が痺れてきたので頓服のセパゾンを飲む。少し寝よう、僕は寝た方がいいのだ、何しろ病人なのだから、と毛布をかけて目をつむったらあっという間に眠った。2時間後に目を覚ますとホントにダルかった。なんてこった。寝るんじゃなかった。ああやっぱり俺は体調が悪いのだ、だから身を起こすのも億劫なぐらいダルいのだ、と思う。などとうだうだしているうちに便意を催し、トイレに行って用を足すと少し楽になった。人間なんて案外そんなもんだ。そういえば今日は恐らく明け方、4回ぐらいトイレに目が覚めたことを思い出す。あれは一体なんだったんだろう。ともあれ起きてネットなどをし、夕食を食べてお茶を飲みながら少しばかり勇気を出してウィキペディアで「悪性リンパ腫」を調べてみた。最初に、リンパ腫には良性はなく、すなわちリンパ腫というのはすべて悪性である、とあって、ちょっと肩透かしを食らったような気がした。昨日の僕の、「良性である可能性はあるのか?」という医者への質問はまったくの愚問であったわけだ。まったくもって道化だ。いろいろ読むと、大まかに言って悪性リンパ腫には2種類あり、ひとつは日本人に圧倒的に多く、もうひとつは欧米人に多い。で、日本人に多い方は寛解率、つまり治る確率は95%、と書いてあった。で、もうひとつの種類は、日本人では10%ぐらいで、こちらは19世紀の前半に発見されたものであることは分かったが、前述のものと比べて圧倒的に記述が少なく、あまりにも情報が少ないのでよく分からない。ともあれ、昨日医者がタチの悪いものもあるので、と言っていたのはこっちの方なのだな、となんとなく分かった。日本人に多い方のリンパ腫は、治療法が詳しく書いてあり、最近作られた遺伝子を組み替えた(ヒト・キメラ)薬とかもあり、いろんな薬を組み合わせて使うと、前述の寛解率95%となるようだ。つまり、昨日僕が思っていたように今週の組織検査よりも癌の進行度を調べる来週の検査の方が重要なのではなく、組織検査でどの種類のリンパ腫なのかの方がずっと重要であることが分かった。何しろ、日本人に圧倒的に多い方のリンパ腫は、進行度はほとんど重要でない、と書いてある。まあそんなわけでそっちの方であることを祈りたいところだが、結局のところはどちらかであり、検査通りの進行度であり、それに沿った手順通りに治療を進めるしかない。要するになるようにしかならないし、それを受け入れていくしかない。

というようなことを母親に電話して説明し、それからiPhoneでI泉さんに電話して話し、それから僕はもう読み終わりかけているガルシア=マルケスを読み始めたのだった。僕はガルシア=マルケスという作家が非常に好きなのだが、どうも彼の文章は読みやすいとは言えない。特に難解な表現をしているわけではないのだが、恐らくイメージが奔放すぎて、すぐには頭に入らないのだ。だから、同じラテン・アメリカの作家でも、バルガス=リョサの方が文章としては読みやすい。ともあれ、この「落葉」はその後傑作「百年の孤独」に繋がる、架空の土地マコンドを舞台にした最初の小説なのだった。そのマコンドにふらりとやってきて住みついた医者であるらしい男の奇妙な生き方と、首を吊って自殺した彼の葬儀の話だ。彼が長年住みついた家の家族のひとりひとりの独白の形で物語は進んでいく。「百年の孤独」のような圧倒的なカタルシスはないが、物語が進むに連れてマコンドという土地が荒廃していくさまを、パッチワークのように描いていく。ひとりひとりの独白が、それぞれある種の伏線のように絡み合ってひとりの男と街を浮かび上がらせる手法はいかにもガルシア=マルケスらしい。

と、また長い日記になってしまった。当分こんな感じになるかも知れない。

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ある種の宣告

さて、何から、どう書いたらいいのだろう?

今日僕は、事実上癌だと告げられた。「事実上」というのは、医者は断定しているわけではないからである。

例によって2時間ほど待たされて診察室に入ると、おもむろに医者が先日の検査の結果をぺたっとボードに貼った。そこには上から下まで「悪性リンパ腫」という言葉が並んでいた。それを見たとき、僕は「えっ」と思った。文字通り「えっ」であり、それ以上でもそれ以下でもない。僕は今日の段階ではまだ悪性であるか良性であるかの結果は出ないと思っていた。正確に言えば、先日の検査の段階で悪性と診断されるようであれば、もう手遅れではないかと思っていた。なので、「えっ」なのである。医者は恐らく造影剤を使ったCTの結果であろう数値表のある数値を示し、これは普通400なのですが、と言い、そこには3500いくら、というとんでもない数値があった。それから先ほどの表をざっと示しながら、悪性リンパ腫の可能性が非常に高い、ということです、と言った。それはまるで、大学入試の成績が合格である可能性が非常に高い、というような言い方だった。そのとき、無論僕は落胆を覚えた。が、意外なことにそれは一瞬のことで、その落胆の中にずぶずぶと沈むことはなかった。僕はまったく冷静であったし、怖いとは思わなかった。別に他人事のように聞こえた、というわけでもない。単に僕はそれを受け入れただけだ。確かに医者は断定はしていないが、医者の説明はどう聞いても僕が悪性リンパ腫であるということを示していた。僕は、「どのくらい深刻なのですか?」という、ある意味間抜けで抽象的ではあるが、僕の本心そのままの質問をした。それがあまりにも抽象的な質問であるために、医者は返答に困った。たぶん、抽象的な質問に抽象的に答えるには、みたいなところで逡巡したのだと思う。それで僕は言い方をもう少し直接的なものに変えた。「で、僕はどれぐらい生きられるのですか?」。これは少々直接的過ぎた。ますます医者を困らせることになった。結果、医者は「んー、そうだね、5年以上の生存率が70%とかいう数字はあるけど……」という非常に微妙な返事をした。これはいろんな捉え方がある。まず、5年という単位をどう考えるか。70%という確率をどう考えるか。どちらも、悪いように捉えれば、非常に短くて非常に頼りない確率に思える。実際、僕はそう感じた。確かに感じたが、特に絶望はしなかった。医者が客観的なのと同様、僕も客観的だった。それから医者はおおむね事務的に今後の手続きを説明した。まず、これから外科の先生のところに行って、組織検査、いわゆる生検を今週行う説明を聞くこと、それから来週の火曜日にアイソトープという放射性物質を入れたブドウ糖(だったと思う)を点滴で入れて検査する。これはアイソトープが癌のあるところに集まる性質を利用したものだと言う。つまり、これは癌の進行度合いを調べる検査である。それをこの段階で既に決めるということは、冒頭にも書いたように、事実上僕は悪性リンパ腫である、ということになる。どうも医者は深刻じゃなくごく普通に喋っているようでいて、その実、口から出てくるのはどうにも僕にとってはよろしくないことばかりだ。例えば、なんで生検をやるのかというと悪性リンパ腫の中にもタチの悪いのがあるからね、という具合に。もうこうなると失言レベルだ。最後に僕はもうひとつ質問をした。「で、良性の可能性はあるのですか?」。ここまでの経過を鑑みると、いささか無謀な質問である。医者がなんと答えたのかは覚えてない。つまり覚えてない程度の答えしか返ってこなかった、ということである。ないというわけじゃないが、というようなことだ。

それから僕は渡された紙に書いてある外科の受付に行き、2時過ぎに来てくださいと言われたので外に出てファミレスで昼食を摂った。昼時で混んでいて、料理が届いて僕が食べ終わるころには2時半近くになっていた。その間、僕は煙草を3本か4本吸った。書くのを忘れたが、医者には煙草を止めるように言われたのだが、そんなこと知るか、と思った。煙草を止めれば治る、という確証でもあるのなら止めるが。そんなわけで少々遅れたなと思いながら外科の受付に戻り、2番目に呼ばれますから、と言われたので診察室の前で待った。確かに2番目に呼ばれた。外科の医者は躁病なんじゃないかと思えるくらいに必要以上に軽いノリの医者だった。で、生検の段取りを決めるのに2泊3日で、と言うので、さっきは1泊って聞いたんですけど、と僕が言ったら、じゃ、1泊でやろうか、とかそんな調子。なにやら楽しげでもある。そんなに楽しいのだろうか。ともかく、今週の木曜に組織を取る軽い手術をやり、翌日の午前中に退院、ということに決まった。それから1階に降りて入院受付というところで入院の説明を受けた。どの部屋にしますか、と見せられた写真を見る限りは、どれもホテルの部屋のように見えた。が、所詮4人部屋、少々広かろうが病室に大差はないだろう。第1希望、第2希望を告げ、後は料金とか当日持参するものとかの説明を受けて終了。

と、ここまで書いたはいいが、既に相当な長文になっているだろう。書こうと思えばいくらでも書けるが、これは短編小説ではなくて日記なので、適当に端折らなければならない。病院を出て、駅に向かいながら母親に電話し(かなり落胆していた)、元妻に電話し、電車に乗って地元の駅で降り、なんとなく駅前のビルのカフェでエスプレッソのダブルを飲み、通りがけにたまたま空いていた1000円カットで髪を切った。スーパーで夕飯を買い、帰宅して昨日買ったばかりのiPhoneで久しぶりにI泉さんと長電話をした。話はいつものように紆余曲折していつの間にか全然違う方に着地した。それから夕飯を食べ、コーヒーを飲みながら手持ち無沙汰になったので、また母親に電話して、入院や検査にかかる費用を送ってもらうことなどを話した。それからナカノから電話があって話し(僕からかけたのだが留守電で、折り返してきた)、最後に弟から電話が来た。そんなわけで今日はやたらといろんな人と電話をした。そういえば病院からの帰りの車中でFacebookに悪性リンパ腫だったことを一応書き込んでおいたら、いろんな人からコメントがあった。こういうことって書きにくいだろうから誰もコメント書かないだろうな、と思っていたのでちょっとびっくりした。いろんな人からコメントがあった、ということは逆に言えばいろんな人からコメントがなかった、ということでもあるが、それはこの際よしとしよう。

と、こんな風に今日という一日は過ぎた。一見淡々と過ぎたようでもあり、見方によっては劇的に過ぎたのかもしれないが、基本的には僕は終始冷静ではあったが、悪性リンパ腫という言葉を境にして、僕の思考回路はちょっと向きを変えた。なんというか、生きるということ、もしくは僕の人生というものを俯瞰的に考え、見るようになった。言い方を変えれば、僕のこの先の人生のパースペクティヴが変わった。さて、僕はこれからどう生きようか、という風なことをぼんやりと考えた。それはこの先に起こること自体がぼんやりしているのと同じくらいぼんやりしていた。

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iPhone, second die

いよいよ明日は先日の検査の結果が出る。しかし、明日の段階では悪性であることは分かるが良性であることは分からない。したがって、最悪でも検査入院は免れないだろう、ってんで、入院に備えてiPhoneを購入。ソフトバンクの奴ね。しかし、ホワイトプランで終日無料じゃなくて21-1時が有料って辺りに孫正義の器の小ささが見える。昔、IBMのCD-ROMをPhilippe Saisseと作ったときにしょうがなく使ったっきり、使い勝手が悪く(僕にとって)頑なにMacを使わなかったのだが、遂にAppleの軍門に下ったという感じだ。しかし、マニュアルすらついてないって、普通に年寄りには使えないでしょ。僕ですら結構悪戦苦闘するのに。まあでも病院で退屈死するよりはいい。いずれにせよ、明日の段階で悪性と診断されるようでは、戒名でも考えておいた方がよさそうだ。

それはともかく、今朝の調子はそれほど悪くない。いいというほどでもないが。雨も降ってなかったので普通に業務に行き、無理をせずに1時過ぎには切り上げ、で、ソフトバンクに寄ったらたまたま空いてたのでiPhoneを買ったのだった。が、説明がやたらと長く、結構な時間(1時間半ぐらい?)がかかったので、帰宅するころには手が痺れて頭痛、抑うつ状態になってしまった。なので頓服のセパゾンを飲んで2時間ほど死んでみる。すると、なんとか復活、スーパーから買ってきた夕飯を食べ終わってお茶を飲んでいるとまた頭痛が。手が痛いほど痺れる。結果、昼寝の前より酷い状態になってしまった。今までの経験上、夜、別にテレビを見るわけでもないのに特にゴールデンタイムはなかなか眠れない。ひたすら我慢するのみ。しかし、この2・3日、腫瘍の方に気を取られてうつの症状はあまり感じなかったため、今日はかなり辛い。ソファに毛布を被って横になり、ジンジャーエールを飲みながら本を読もうとしたが手が痛いしやっぱり無理、頭痛が酷くなりつつあったので氷枕使用。だがちっとも楽にならない。これはもう無理、と思って頓服を飲んで寝に入る。すると、どうやら2時間ほど気絶できたようだった。その後はさすがに大分マシになったが、夜半、またしても頭痛が来たので、痛み止めのロキソニンを飲んでシャワーを浴び、今に至る。

で、明日どうなるんだろ?

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増殖

今朝も目覚めたときはすっきりしなかったが、昨日ほどではなかった。一日中部屋に篭るのは気が滅入るので、雨の土曜日なのに業務に出勤。それはいいのだが、業務中になんとなく首の腫瘍を触ってみて、あれ、と思った。腫瘍がひとつ増えている。これまで首の付け根から鎖骨にかけて、大きな腫瘍が2つくっついて1列に並んでいたのだが(その上に恐らく小さな腫瘍がひとつくっついてる)、それらの喉側に大きな腫瘍が。まさかと思って左側の喉を触って確認してみると、案の定そんなところには何もない。これにはさすがに動揺した。ちょっと怖いとすら思った。いずれにしても気が滅入ることこの上ない。そんなわけで1時過ぎに憂鬱な顔をして業務を終えて帰宅。今日は中の下ぐらいの風俗嬢並みの時給を得られた。

帰宅して、事態がよろしくない方向に進んでいるのは明らかなので、抑うつ状態じゃなくても気が滅入り、ふさぎ込みそうになる。なので、頓服を飲んで寝てみるが、夢も見ないで2時間後には目が覚めた。が、虚脱状態。何もする気力が湧かないし、何をしたらいいのかも分からない。本音を言えば病院に行く月曜まで眠り続けたいぐらいだ。母親と電話で話してみるが、いつものようにコミュニケーションがかみ合わない。いつの間にかいらいらしてしまう。夕食後、いずれにしても検査入院は避けられないだろうということで、最低限I泉さんに電話したい、出来ればネットが出来て日記を更新できるようにしたい、と思い、たぶん受け付け時間ぎりぎりと思われるが、降りしきる雨の中、駅前のソフトバンクに向かった。要するにiPhoneに切り替え(I泉さんがそう)、出来ればiPadも欲しいところ。歩きながら代表番号に電話をしたら、営業時間中だというのに全然出ない。延々と呼び出し音が鳴るばかり。そのうち自動音声が、おかけになった電話は繋がりませんでした、と無慈悲に語る。で、駅前のソフトバンクに辿り着くと普通に営業している。が、購入の受付は終了しました、とあり、おまけに待っている人数が7人。ひとまずぼうっと立っている若い社員に、なんで電話に出ないのか訊いてみた。電話番号を見せて間違ってないか確認したら合っていた。そいつが言うには、忙しいときには出れないことも……などと言うので、唖然、これまで長いこと生きてきたがこんな会社は初めてだ。いまどき留守電すら付けてないとは、一体どういう了見なのだろう。これが孫某が経営する会社なのか? もう笑うしかない。

呆れて店を出たはいいものの、せっかく駅前に来たのにどうしたらいいのか分からなくなってしまった。仕方ないので本屋に寄る。こういうときも、入院したときのために読む本を、ということが頭にある。結局文庫本を一冊買い、なんとなくドトールに入り、抹茶ラテを飲んだ。虚しい。俺は一体何をしているのだろう、と思う。永遠に虚しく抹茶ラテを飲んでいるわけにもいかないので、しょんぼりと帰る。帰宅して、またどうしたらいいか分からない状態に戻る。お手上げだ。ソファに寝転がって、こういう場合電話出来そうな人間は誰だろうと携帯の電話帳を見る。本当はI泉さんに電話したいのだが、今月2度長電話をしたら電話料金が1万円になっていたので無理。ひとまず、元EMIのノムラさんに電話してみる。何故なら、僕がいたキララシャのユカリが癌になったとノムラさんに以前聞いたからだ。留守電だった。次にかけてみたのはヤマザキ。時間的に仕事中だろうな、と思ったらやっぱり留守電。ヨウタロウはこの手の場合に電話する相手にはまったく適していないので除外、もう電話する相手に煮詰まる。なんとなく、もう何年も電話してないが、昔会社の同僚だったナカノに電話してみる。僕は昔彼女のことが好きだった。やっぱり留守電。なんか、あらゆるものに見放されたような気分になる。PCの椅子に座って放心していると携帯が鳴ったのでびっくりした。見ると、ナカノからだった。それから僕らは長いこと話し、結果的に僕は随分と気が楽になった。なんていうか、少し得したような気すらした。かように、人間というものは案外と単純に出来ている。

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境界

実際のところ、とても眠いのだった。今。現在ジャストナウ。それに僕はとても疲れている。かろうじて髪が乾くまでの間、こうして日記を書いているが、本当だったら眠いので明日の朝書きます、と言いたいところだ。

Anton Webernという現代音楽の作曲家を聴きながら書いている。精神を患っているせいか、最近になって、現代音楽、特に前衛を聴くことが多くなった。現代音楽、それも前衛となると、普通に難解でもしくは不快な音楽、という印象があるかも知れないが、実際はそれなりにひとつのトーナリティ(調性)で作られているので、それほど難解というほどのものではない。中には音楽としてとても美しいものもある。これがミュージック・コンクレートというほとんど実験の世界になるともう訳が分からないが。いずれにしても、現代音楽には感情を一切排斥している部分があるので、ある種のセンチメンタリズムに拘泥したくなかったり、無心になりたいときはいい。

造影剤はどうやら明け方に排出活動に入ったらしく、5分から10分おきに僕はトイレのために起きなければならなかった。おかげでちっとも眠った気がしなかった。そんなこともあり、朝からダルくて調子がよくないな、と思った。首もちょっと痛かったので、一応痛み止めを飲んでおいた。昨夜からとにかく疲れてるな、という印象だった。それは今日になってもちっとも抜けていない感じがした。それでも習慣というか、一応業務には行ったのだが、やっぱり体調著しく悪く、昼過ぎには帰途に就いた。それでも売れない風俗嬢ぐらいの時給は得られた。気分が悪く、結局午後は2回に分けてほとんど寝ていた。なかなか気分の悪さは取れなかったが、夕方6時ごろに2回目の昼寝から目が覚めるころにはようやく取れたものの、何故か両肩が凝っていた。いろんな夢を見た。何故か時代劇の夢まで見た。今日の気分の悪さは、いつもと違ってなんていうか、もっと身体の奥から来る、病的なものに感じた。つまり、自分は病気なのだ、という風に思わせるものだった。孤独死、という言葉が頭をよぎったりした。なかなか疲れは取れなかったが、夕食後にギターを一通り弾いていたらいつの間にか肩凝りは取れた。それから何もする気が起きず、ソファに寝そべって目をつむって音楽を聴いた。アンドレ・プレヴィンを聴いていたのだが、順番的に次にアニタ・ベイカーに移った。どうやら僕は夢と現実の境目にいたらしく、例えば、ワゴンの上にはジンジャーエールしかないのに何故か湧いた薬缶があるような気がして手で触ったら熱くてすぐ手を引っ込めたが、現実にそこには薬缶は存在せず、従って自分が本当に手を伸ばしたのか定かでない。たぶん僕は譫妄(せんもう)状態で、現実と夢の区別がつかず、あっちの世界とこっちの世界を行ったり来たりしてたんだと思う。僕はとても疲れていたし、眠ってしまっても構わないように毛布を掛けていた。そんな風にして音楽を聴くのは案外と心地よいものであったが、ある瞬間から急に辛くなった。苦しいのではない。辛くなったのだ。僕はとても眠く、そして疲れていた。重い腰を上げて湯船に湯を満たして入り、ベッドを作り、こうして日記を書いている。

本当のところ、僕らは夢と現実と、どちらの世界にいるのだろうか。どっちでもいいような気がする。それは実はたいして違わないような気がするから。例えば今日、Facebookである女の子がもうFacebook止めます、という書き込みを見た記憶が僕にはあるのだが、たった今確認したらそんな痕跡はなかった。しかしもし確認しなかったら、僕はその子がFacebookを止めたと思い込んでいただろう。

困ったことに、今ごろになって眠くなくなってきた。ま、どうせ本を2・3ページ読んだら寝てしまうだろう。

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巨塔

「日本の医療システムはどうかしてますね」。2時間半待たされた挙句に通された診察室で、僕は極めて紳士的に、白髪の温厚そうな医師に言った。こういうときの医師の答えは決まっていて、「おっしゃるとおり」とか「ですよね」と肯定する。決して机をひっくり返して「出て行け!」と激昂することはない。そんなわけで、大体においてこういった大学病院、総合病院といった巨大なシステムに対しては強烈なクレーマーになりがちな僕としては上出来だ。医師は問診から始め、僕は腫瘍を発見した辺りから覚えていることを逐一言った。それからちょこっと触診、僕が持ってきた紹介状に付随するCTの写真、並びに血液検査の結果などを眺めながら、雑菌、ウィルス、リンパ腫という血液の癌、普通の癌の可能性があります、と言った。なるほど、確かにフィフティ・フィフティだ。で、やおら携帯を取り出して電話し、これから検査をします、と言って手順を書いた1枚の紙を取り出して説明した。僕は、組織検査とかはやらないんですか、と訊ねたが、これが一番手っ取り早いんですよ、と医師は答えた。この時点で、僕はまさか今日、その紙に書かれたすべての検査をするとは思っていなかった。僕は紙に書いてある通り、3階に行って採血、採尿、心電図をやり、それから2階に降りてまずは普通のレントゲン、それから血管に造影剤を流し込んでCTを撮った。この造影剤、別に見る必要もないな、と思ったので見てないが、点滴の要領で血管に流し、全身に行き渡った頃合を見てCTを撮るのである。その行き渡る時間というのが、ものの1・2分、人間の血流って随分速いものだな、などと思う。造影剤が行き渡ると身体の内部から暑くなり、全身がほてるような感じになる。

診察を散々待たされたわりには、諸々の検査は手際よく進み、3時前には検査を終えて会計を待った。いまどきの病院はすべて敷地内が禁煙なので、敷地を一歩出た歩道で煙草を吸いながら待った。ふと思い返すと、今日はあれだけ待たされたというのに、いつものように気分が悪くなったり、廃人になったりということはなかった。医者が半分は癌ですよ、と言ったときにもなんの感情も湧かなかった。たぶん、ある種の思考停止状態にあったのだと思う。会計を済ませ、僕は古臭くてしょぼくれた商店街の路地の奥に突然そびえる巨塔を後にした。

電車では1駅過ぎたところで座れた。が、だんだん頭が痛くなり、気分が悪くなってきた。いつもならこれは抑うつ状態のパターンなのだが、今回は造影剤が入っているのでどちらか分からない。とにかく、地元の駅に辿り着いたときは物凄く気持ち悪かった。それでもスタバでコーヒーの豆を買い、スーパーで夕食を買い、CTのデカいフィルムをこれまでかかっていた内科に返し、帰途に就いた。歩いているうちに、全身が物凄くダルくなってきた。体重が16トンぐらいになったようだ。ようやく自宅マンションに辿り着くと、当然ソファに横になった。すると気分の悪さは多少和らいだ。が、頭の中がぼわーっとして、綿でも詰まっているようだ。恐らく、抑うつ状態と造影剤の影響の両方が来ている。これは寝なければ、と僕の自己防衛本能が告げ、2時間ほど死んだ。

生き返ると7時だった。まだすっきりしない、というよりもいやなダルさと頭の重さは変わらない。看護婦(←看護師じゃないよ)の話によると、造影剤はおしっこになって出るという話だったが、それが一体どれぐらいの量が出れば抜けるのかは教えてくれなかった。なんかまだ辛いが、一応夕飯を食べてネットなどをしていたら、例の頭のもやもやが爆発寸前になり、僕はまたソファに横になった。この嫌な感じをどうやって払拭していいものやら分からず、とりあえず誰かと電話で話をして気を紛らわせたいと思い、っていうか、この場合の選択肢は田舎の母親しかいないので、母親と話をしながら一応頓服も飲んだ。話しているうちに少しずつ楽になり、電話を終えるころにはかなり楽になった。頓服が効いたのだろうか。しかし、まだ造影剤が抜けてる感じはしない。実際のところ、これを書いている今、午前1時26分の時点で、まだ抜けてない気がする。次に病院に行くのは来週の月曜日。

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限度

物事には限度がある。これ以上ないくらい最悪ではないが、その一歩手前ぐらいの状態が朝から丸一日、今に至るまで続いている。こうなると拷問というよりは人体実験。

地震にはびっくりしたが(かなり)、オリンピック最終予選日本×バーレーン、2-0で本大会出場が決まった。選手、スタッフにはおめでとうと言いたいが、この試合を見ないでほろ酔い加減で美味いものを食いながら薀蓄を垂れているような奴は、日本で内乱が起きたら真っ先に逃げ出すか、真っ先に殺される。つまり、彼らに革命は起こせない。想像力が欠如しているから。

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減薬

朝目が覚めたときは、よくも悪くもなかった。つまり、それほどいいわけではないが、悪いというほどではなかった。いずれにしろ、丸一日引き篭もって寝ていたら却って煮詰まってしまい、具合が悪くなるだろう。そんなわけでいつも通り業務に行った。今日心がけていたのは、飲む薬を最小限にしよう、ということ。昨日の日記にもちょこっと書いたが、この2日ばかりの極度の状態の悪さの一端は薬の量が多過ぎることにある、と思ったから。眩暈がしたりするのは明らかに薬から来ている。昨夜は頓服を4錠飲んでしまったし、結果何も出来ない状態になってしまった。内科の医者からも言われたので、抗生物質は飲まず、痛み止めと胃薬は朝だけ飲んで後は痛くなったら飲むようにする。頓服は出来るだけ飲まないで済ませる。こんな感じ。で、気分が悪くなる前に先手を打って無理をせずに2時ごろに業務終了、帰宅時もいつもと比べるとそれほど悪くない。悪くないのだがやっぱり手がちょっと痺れる。なので、帰宅して遅い昼食を摂ってからソファにて昼寝、いい感じの夢だったのでもう少し見ていたかったのだが、1時間半後に目が覚める。と、すっかり状態は怪しくなっていた。今日は薬が切れるのでどうしても精神科の医者に行かねばならぬのだが、抑うつ状態がかなり酷い。手は痺れがきつ過ぎて痛いし、顔の筋肉も上手く動かないのでろれつも回らない。既に僕は単なる具合の悪い人になってしまっていた。それでも朦朧としながら医者に行き、覚えているのはこの2・3日ぐらいなのでその状況を話し、薬を減らしたいことも伝えた。結果、安定剤のドグマチールと副作用止めのタスモリンは止め、抗うつ剤のトレドミンは僕が止めたいと言ったので1錠減らし(もっとも僕の判断でとっくに1錠減らしているのだが)、という感じでまあ付け焼刃的ではあるが薬は減った。ふらふらと廃人状態で帰宅、昼間買っておいた弁当の夕飯を食べてお茶を飲んでいると、なんだか少しマシになったような気がした。しかし、それは単にそういう気がしただけであって、そのうち腫瘍のある首の付け根周辺が痛み出し、頭の中は鬱屈し始めた。しょうがないので痛み止めを飲む。で、頓服は飲まずに氷枕をしてソファで横になっていた。人間というもの、調子が悪いときに横になって何もしていないと、調子の悪いところにばかり気が行ってしまい、ますます調子が悪いと思う悪循環に陥る。何も出来ないのでしばらく我慢していたが、ここはしょうがないだろうということで頓服を1錠飲んだ。そのうち、少し気分がマシになってきたような気がしたので起き上がってみると、首の痛みや脳内の鬱屈が消え、なんとなく大丈夫になってきた。ああ今日は軽く済んでよかった、と思い、30分ほどギターを弾いた。しかし、ギターを弾き終わるとまた手が痺れてきた。うつの症状というか、心身症の身体的な症状というのはホントにしつこい。ここでもう1錠頓服を飲んでしまうと昨夜と同じになってしまうので、経験上、もっとも気分転換として効果のある風呂に入った。すると、やっぱり大分マシになり、痛いほどだった手の痺れも気にならなくなった。とまあ、そんなわけで、どちらかというとうつの症状に振り回されていたので、腫瘍のことについてはあまり考えずに済んだ。そういえば昨日だったか、何も出来ず、頓服で朦朧とした頭でひたすら天井を眺めているときに、頭の中を数式やプログラム言語みたいな奴がやたらと横切ったが、あれはエンコード前の言葉だったのだろうか?

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