わたし、定時で帰りません。

7月8日、月曜日。

また業務の夢を見た。もう業務を辞めてどれぐらい経つのだろう? 7カ月ぐらい? ともあれ、昨日発作的にアマゾンに注文した布団カバーセットが届いて10時31分に起こされた。

残業が嫌いだった。都合7つの会社に勤めたが、残業代がつく会社はひとつか二つだった。ひとつか二つというのは、最初に勤めた会社(オリコン)が残業代がついたかどうか記憶にないためで、一応タイムカードはあった。以降、業界の制作の現場に就いてからはすべて裁量労働制で残業もタイムカードもなかった。途中一年だけ勤めたゲーム会社は遅刻があったくらいだから残業もついたのだろうが、残業した記憶はない。

以前ツイートしたように、このドラマ、第1話は唖然とするほどつまらなかった。で、ほぼ仕事のドラマだったと思うけれど、正直言ってその部分はあまり面白いとは思えず、最後に恋愛ドラマとしてハッピーエンドになったから面白かったのである。

それはともかくとして、久しぶりに仕事に関することをあれこれと思い出した。オリコンを辞めて雲母社に入ってアレンジャーの新川のマネージャーを始めてからは毎日13時間以上の労働、かつ休みは月に2日あればいい方だった。だから残業だのへったくれだのというものはレコーディングという仕事に於いてはその概念すらない。もっともそのスケジュールを入れていたのが自分自身だったのだが。ユーミンの原盤ディレクターをやるようになってからはアルバムの最終段階でLAに行く前の歌入れの時期になると毎日朝6時まで10日間ぐらい休みなし。往きの飛行機の中で血尿が出たほどだったが、もっともそれは出発前夜に壮行麻雀と称して徹夜で麻雀をやったせいだと思う。制作会社時代も、予算のないインディーズのバンドをプロデュースしていたときは13時スタートで翌朝の10時までかかったこともあるし、ロンドンから戻って成田からスタジオに直行して別のバンドのミックスを朝までやったこともある。最後に勤めた会社では、入社した直後に朝の4時まで打ち合わせをした。このときは管理職だったからもちろん残業はつかないしそもそもタイムカードもない。考えてみると、タイムカードがありなおかつ残業がつくにもかかわらず定時に帰っていたのはゲーム会社時代だけだったように思うが、そういえばオリコン時代も定時で帰るか直帰することがほとんどだった。

もう最後に会社勤めをしてから15年も経つけれど、こうして思い返してみると会社員時代は存外に仕事をしていたような気がする。もっとも、僕の場合はあまりにも簡単に会社を辞めすぎていたことも事実で、酷いときにはオリンピックを見たいからという理由で会社を辞めたこともある。とにかく思い立ったらさっさとその日に辞めていた。そのお陰で後々障害年金がもらえない羽目になるのだが。

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