8月26日、月曜日。
今日の母はほとんど喋らない。そろそろ帰ると言うと、母は僕の髪を二度三度と撫でた。それはまるで神々しい奇跡のように思えた。
— Sukeza (@anykindoflove) August 26, 2019
いつもと比べるととんでもなく早い時間に日記を書いているのは、明日の母の手術が9時からなので7時起きしなければならないからだ。なにせいつも3時前後に寝て起きているのが11時前後だから、逆算すると11時ごろには寝なければならないことになる。これは結構なプレッシャー。一体どうすれば11時に寝れるのかと頭を悩ませている。先日朝の5時近くまで眠れなかったときは怒りでアドレナリンが過剰に出ていたから、詰まるところいかにアドレナリンを出さないか、要するにひたすらテンションを下げればいいのでは? などと思うものの考えてみれば自分は常日頃デフォルトで人より遥かにテンションが低い。低すぎるくらいだ。ただ呼吸してときおり煙草を吸うだけみたいな。もののけのように生きているだけだ。と、ここでふと考えるとその5時まで寝られなかったときは医者と話をするために9時25分に起きたわけで、そこから逆算すると理論上は2時35分まで寝ればいいことになる。とりあえずここでは暫定的に、11時から2時35分の間に眠れればいいことにするか。
午後、図書館に馳星周の「漂流街」を返しに行き、同じ馳星周の「長恨歌」を借りてきた。最近の馳星周はともかくとして、初期の馳星周の小説はクソがクソを殺しまくるというひたすらクソな話なわけで、そういうクソみたいな話をここまで続けて読んでいるのは、どうやらそういう過剰にクソな話、過剰な刺激にすっかり慣れてしまったためと思われる。端的に言えば、クソを殺しまくる話じゃないと物足りなくなっている。正直これは人間としてどうなのかとも思うが、ひとまず不夜城の完結編である「長恨歌」を読めば馳星周の代表作は一通り読んだことにはなるはず。これを読み終わったらドン・ウィンズロウあたりに乗り換えよう。
22時。もう風呂は済ませている。そろそろ寝床に入って睡眠薬を飲んで本を読み始めた方がいいのだろうか。いくらなんでも早いか。
そういえば今日図書館に本を返しに行ったとき、便意を催したので図書館のトイレに入ったら和式だった。そんなわけで物凄く久しぶりに和式で用を足したのだが、実質後期高齢者並みに体力が落ちているので想像以上にしんどかった。たまたま誰用か知らないけれど手すりがあったからよかったようなものの、それがなければ実質スクワットをしながら用を足している的なところもあり、トイレが和式しかなかった時代の年寄りとか病人は用を足すのがさぞかし大変だったろうなどと考えた。
などとくだらないことを書いている場合ではない。寝る準備をしなければ。何しろ自分には寝る素質がない。寝るのが下手なことに関しては折り紙つきだ。だからいまだに睡眠薬と安定剤をしこたま飲まないと眠れない。それだけならまだしも、起きることはもっと苦手なのだから始末が悪い。それはともかく、いつもより早く風呂に入ったせいなのか、なんだか眠れそうな気がしてきた……。