晩夏

8月29日、木曜日。

かろうじてまだ蝉は鳴いているが、夏はリアルに終わろうとしている。気がつくと今週ももう木曜日、手術の日は言うまでもないが、病院に行くと往復の時間も含めて3・4時間は時間を取られるので日中はほぼ何もできない。なので今週は相場のトレードも合間を見て申し訳程度にやっただけで、ほぼ何もやっていないのに等しいと思っていたのだが、ちょこまか利食いしていたので一応プラスにはなっている。今日も10時過ぎに起きたがいまだにやたらと身体が疲れている。気がつくと昼頃から1時間半ほど昼寝をして夢を見た。病院には3時過ぎに行った。

今日の母はよく喋り、元気だった。昨日のように声が聞き取れないほど小さいということもなかったし、顔色もよく骨折した足を痛がるでもなかった。ちょっと安心した。正直なところ、これで十分だ。それほど多くを望んでも仕方がない。母が元気で、自分は1時間に1本か2本の煙草を吸えて、鹿島が勝てればそれでいい。それ以上は望むまい。さすがに鹿島がすべての試合を勝つことは到底あり得ないので、負けたり引き分けたりするたびに落胆するだろう。そして、次の試合を待つのだ。それ以外の夢や欲望は日を追うごとにとても叶いそうにない妄想みたいになりつつある。何しろ勇気がないから。それこそ日本代表に選出されてもおかしくないくらいに勇気がない。かといって石橋を叩いて渡るような生き方をしているわけでもない。現実はむしろ逆で、毎日が薄氷を踏む思いで相変わらず出鱈目な人生を送っている。困ったことに最近は勇気と同じぐらいに体力がない。これが致命的といえばそうなのだが、体力をつけるにはそれなりの勇気と根気が必要だ。となると、にわとりが先か卵が先かみたいな話になってくる。投げやりという種目があったらそこそこいいセンを行くかもしれない。

とここまで書いて、もしかして今の自分に決定的に足りないのは勇気や体力よりもまず動機やモチベーションなのかもしれないと思った。一言でいえばきっかけかもしれない。だとするとそれが具体的に何なのかはよく分からない。もしかしたらそれはただ単に欲望そのものかもしれないのだ。

昔、このsomething newがまだ今のようなブログではなくてHTMLで更新していたころ、セックスをしたいと書いたことがあった。というか、あったらしい。というのも、それを読んで神戸のケイが写真をメールで送ってきたからだ。自分ではそんなことを書いたかどうか覚えていない。ともかく、ケイは神戸から用賀にやってきて僕らは寝た。その年、僕は延々と小説を書き続けていた。つまるところ、そのころの僕にはそれなりの欲望があったのだ。そして、何かを書かずにはいられないモチベーションがあった。何にせよ、18年とか、19年前の話だ。

それがすっかりなくなってしまったのかというと、先日のように怒りに駆られるとアドレナリンが出て怒涛のように頭が回ったりする。それはある種の欲求に近い。要するに怒りではなくもっと違うもの、セックスをしたいでもなんでもいい、なんらかのモチベーションによって自分を突き動かさなければ。などと思う深更。

欲深くなるのって意外と難しいな。気がつくとこれ以上何も望むまいということと逆のことを考えている。たぶん、それでいいのだ。

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