1月11日、水曜日。
8時56分起床。寝ている間に目が痛くてその影響で頭と歯も痛くなるという、夢なのか現実なのか分からない記憶。たぶん本当に痛かったんだと思う。現にいまだに目の痛みは取れず、それで頭痛もする。
11時前に病院の駐車場に行くと、ちょうど特養の車が停まっていたので見に行くと母がコロナの抗原検査とインフルエンザの検査を受けているところだった。結果が出るまで病院の中で待ってくれと言われて玄関に座って待っていたのだが、携帯に連絡をくれるはずがいつまで経っても連絡は来ず、結局連絡がないまま看護師が車椅子を押してやってきて、検査はどちらも陰性だったという。
紹介状を持って行ったからなのか、母は待合室で待たされることなく、奥の点滴室(だと思う)のベッドに。こうして母と窓ガラスなしで会うのは実に久しぶり(二年ぶりぐらい?)なのだが、それが今朝も熱を出したせいというのがなんとも皮肉だ。話に聞いていた通り、母はときどき痰が絡んだせきをするのだが、肝心の痰は出てこない。
しばらく待っていると、先にレントゲン検査と血液検査をするということになった。検査後、1時間ぐらいだろうかしばらく経って医師がやってきて、レントゲン写真を見せて軽い肺炎だと告げる。誤飲性のものかもしれないが、細菌性のものだという。母はアレルギーでペニシリン系といった主だった抗生物質を投与できないので、看護師とその確認をして、母は何かしらの点滴を受けた。たぶん栄養剤とかそんなものだと思う。2種類あってひとつはすぐに終わったものの、もうひとつは500mlあるので2時間ぐらいかかるということだった。また医師がやってきて、違う種類の抗生剤と去痰剤、それと血管を広げる貼り薬を処方された。どれも一週間分だった。一週間経っても治らなかったらどうするのか訊ねたのだが、その場合は再診ではなくまた改めて手続きを取るらしい。
点滴が残り1時間ぐらいになったところで、残りの点滴は特養に戻って続けるということになり、母は点滴をしたまま特養の車に乗せられて帰って行った。
帰宅するともう16時近かった。相変わらず目が痛くてそれに伴う頭痛もあるが、昼寝する気にもなれず業務開始。当初ちまちまとスキャルピングをしていたのだが、17時からのロンドン勢にポジションを踏み上げられてしまい、例によって売り上がる格好でポジションが膨らんだ。気がつくと結構な含み損になってしまい、これは下手をすると100ピップス近く担がれる可能性もあるなと思いながらコンビニに夕飯を買いに行く。帰ってくるとどうやら高止まりしたらしく、ちょっとずつドル円は値を下げていくものの最大で40ピップスぐらい担がれたのでなかなか建値に届きそうにない。おまけに例によって頭が痛い。本来ならこういう体調のときは自粛すべきなのだが、致し方ない。とにかくぎりぎりまで粘るという方針を決めて(ただそうすると件の失敗を繰り返すことになる可能性もある)ひたすらレートを見ていたが、夕食後になってようやく建値に近付き、建値ジャストで決済。本当に建値ジャストだったのでほぼ神業だが、75円のマイナスだった(笑)。ともあれ日中のプラス分を守った形にはなり、助かった感。ひとまず今日はもう無理してやらないようにする。とにかく目と頭が痛い。
久しぶりに目の前で実際に見た母は、窓越し面会のときは物凄く痩せたように見えたのだが間近で見ると顔はそうげっそり痩せたわけではなかった。ただ元気はなく、衰えたなあと思わざるを得なかった。2年ぶりで、その間に90歳になったのだから当たり前なのかもしれないけど。結局こういう病気にでもならないと実際に会えないというのはいかがなものかと思うけれども、コロナ禍のご時世だとしょうがないのだろうか。