感情生活

4月14日、日曜日。

10時49分起床。また旧業務の夢を見た。やっぱりこれは依存症の後遺症みたいなものなのだろうか。フラッシュバック的な。

うつ病は気分障害と言われるが、気分というよりはどちらかというと常に何らかの感情に左右されている気がする。怒りとか失意とか失望とか、エトセトラ、エトセトラ。

例えば今日は仙台の弟も同じ時間帯に母に面会に来たのだが、弟とちょっとした意見の食い違いがあって、そこで彼に対して怒りを覚えた。帰宅してから考えたのだが、これは「俺に指図するな」という、はなはだ傲慢な感情から来ているのだと思った。こういうよろしくない感情を元から根絶するには、どうしたらいいんだろう? 要は最近でいうマウントの問題みたいなところだが、結局は人に譲れないというある種の性癖の問題のような気がする。最終的には譲るのだから一時的な感情なわけで、だったら最初からない方がいい。詰まるところ、感情の問題というのは物事をおしなべて主観的にばかり捉えてしまうから起きるような気がする。自分の気持ちの置き所をもっと客観的にする必要がある。

ではどういうときに客観的になれるかというと、これまでの経験上、おのれの死が具体的になったときに否応なく客観的な思考になる。これでは困ったものだ。10年壁に向き合った達磨までは行かなくても、なんらかの修行が必要なのだろうか。

今日もギターの基礎練習をするが、順番としてはフィジカル的に辛くなり、そうすると辛いという感情が湧く。とはいうものの、フィジカル的に辛くなるぐらいまで追い込まないと進歩しない。だから苦行感があるんだろう。

夜、例の曲のギターを弾き直し、間奏以降のパートも大まかに作ってみた。そんなわけでかなり全体像は見えてきたのだが、いまだに判断ができない。恐らく完成度が低いからだろう。もうちょっとブラッシュアップする必要があるのだ。となると、後は根気とアイディアの問題だ。

今日も24度まで気温が上がり、ようやっとコタツを片付けた。それにしても何かが前に進んだという気がしない。壁にぶち当たって1ミリも進んでいない気がする。

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