そんなわけで本日、午後の新幹線で田舎から埼玉のマンションに一時帰還。今後の予定としては来週病院でCT検査と診察、再来週の22日にこちらを引き払って田舎に引っ越す。2週間弱で引っ越しをすべて済ませなければならない。父の状態は相変わらずのままだが、引っ越しが終わるまではなんとかもってもらいたい。
目下のところ、一番心配なのは母だ。前回の日記にもちょっと書いたけれど、ここ数日、母は言動や精神状態が不安定で、うつ病とかならまだしも、認知症や痴呆の兆候では、と考えると生きた心地がしない。新幹線の中でも、マンションで久しぶりにPCに向かってネットをしていても、時折そのことが頭をよぎると酷く不安になり、暗澹とした気分になる。今、2錠目の安定剤を飲んでしまったところだ。もうソラナックスは1錠ではまったく効かなくなっている。また薬漬けになるのは真っ平なので、こちらも頭の痛いところである。いずれにせよ、予定通り再来週に引っ越したら、これからは母親と2人で田舎で生きていくことになる。否が応でも今後は僕が母を守っていかなければならない。
正直、日に日に不安定になっていく母を置いてこちらに来るのは気が気ではなかった。僕が留守にしている間、実家の隣町に住む叔母がマメに見に来てくれることにはなっているけれど、一日中見てくれるわけではない。かといって、こっちはこっちですべて片付けないと収拾がつかない。実際、3週間とちょっとぶりに戻ってくると郵便物や支払いも溜まっているし、未読のメールも大変なことになっていた。
母の状態があまりにも気掛かりで、朝起きて窓外に降りしきる雪を見て、まるで憂鬱が積もっていくように感じた。山形で生きていくこと自体が物凄い苦行のようにそういうときは思える。新幹線が郡山を過ぎると、雪が消えて風景が一変した。それはとても奇妙なことに思えた。川端康成の「雪国」をちょうど逆行するような。大宮に着き、京浜東北線で南浦和に降り立つと、山形の寒さとは比べ物にならないほど温暖だ。だが、精神的苦痛である筈の雪に覆われた山形の風景が何故か恋しく思われる。何故だろう。心配と憂鬱のタネである筈の母が傍にいないということの不安を強く感じる。結局のところ、僕の心は既に山形にあり、ここ埼玉にはないのだ。そんなことを、久しぶりに音楽、ビル・エヴァンスを聴きながら思う。