下北沢に新しい街が出来て、そこから新しい線路が伸びて帰れなくなるという夢を見た。以前は駅まで辿り着けないという夢が多かったが、今回は路線がどう乗り換えても繋がらないという夢だった。例によって7時に鳴る寺の鐘で一度目を覚ましたものの、今度はネイティブ・サンという日本のジャズフュージョンのバンドの夢を見た。結局、起きたのは9時。我ながら随分寝るものだ。
朝食後、気になったのでYouTubeでネイティブ・サンを聴きながら調べてみると、リーダーでキーボードの本田竹廣、ベースの川端民生、ギターの大出元信の3人が既にこの世を去っていた。皆若くして鬼籍に入っている。僕はもともとネイティブ・サンを熱心に聴いていたわけではないので、こういう繋がり方はどこか気が滅入る。救いがない感じがする。弟から10時前にメールがあり、これから日帰りで仙台から来るという。
弟は昼前に到着した。2人だけでコタツに入っているとどこか重苦しい空気が流れる。オーブントースターで焼いたピザトーストの昼食を摂ると、弟の車でまずは父親の病院に向かった。父は尿の量がさらに減って、顔色も白くなり、明らかに悪くなっていた。看護師に訊くと、先日頼んだ父の診断書はまだ出来ていなかった。結局30分ほどで病院を出て、母の入院している精神病院に向かう。病室に入ると母は眠っていた。3日振りに見る母は痩せて見えた。向かいのベッドの女性が母を起こし、目を覚ました母は僕ら2人を見てとどまることのない妄言を吐き続けた。それは悪罵と言ってもいいものだった。あるいは呪詛だ。最近のローテーションからすると、今日は調子のいい日であってもおかしくはなかったのだが、実際は悪い方の人格だった。話を聞いていると、悪い方の人格の記憶はそれなりに一貫しており、いいときの人格の記憶とは異なる。母の状態は解離性同一性障害(DID)、つまりかつて多重人格と呼ばれていた状態に非常に近い。いいときと悪いときではまったく別の人格になってしまう。で、ほとんどの時間を悪い方の人格が占めている。母の妄言は前回来たときと同様、入院する前よりも酷くなっている。やはり叔父の言うように、今は病院を訪れてもただ気が滅入るだけかも知れない。そこにあるのはただの失望である。
弟は僕を実家で降ろすと、そのまま仙台に帰って行った。後に残された僕が覚えたのは絶望感だった。どうにも救い難い気分に陥る。毎日何も出来ないうちに日々が過ぎていき、父の死は確実に迫っている。一方で母は一向に回復の気配を見せない。どう考えてもこのままの状態で父の死を迎えてしまうのは明白だ。この、何もかもよろしくない方向に向かう流れは一向に変わらない。物事はひたすら僕が気が滅入る方向に流れる。
本日唯一の楽しみであった、スキーの女子ジャンプのW杯も期待外れの結果に終わり、ただ失望をもたらしただけだった。夜、何をしたらよいか分からなくなり、3ヶ月振りにギターを引っ張り出して少し弾いてみた。もちろん、指が上手く動く筈もない。半年以上かけてようやく動くようになったのに、また振り出しだ。風邪も一向に治る気配がない。
結局今晩は風呂に入った。気分を変えるものが他に見つからないから。まったく酷い一日としかいいようがないが、それでも今日は発見がひとつあった。オランダのジャズギタリスト、Martijn van Iterson。