更新報告、惰性で生きる

myfm – my favorite musicを久々に更新。Aydin Esen。先日この日記で紹介したばかりだけど、一番聴いているアルバムを音楽紹介のページで紹介しないのはなんだな、と思って。ブログじゃなくてHTMLで書くのって実にめんどくさいので、更新するのも腰が重い。これで今日は何かやったことになるのかというと、誰かリンク踏んで買ってくれなければ1円にもならないので、微妙なところだ。だが、何もしないよりはマシだろう。

実際のところ、これまで僕は惰性で生きてきた。人生設計はもとより、計画性というものを一切持たずに生きてきた。なんていうか、都心で一人暮らししていると、というよりも都心で暮らしていると、どうしても刹那的になる傾向がある。1年半ぐらい前から、ようやく僕はこれまで生きてきて初めて、未来というものに向き合っているのだった。それはつまり、現実と向き合うことに他ならない。それこそが今の僕が煮詰まって絶望している要因でもある。

これは奇妙な話だ。本来ならば、昨日成人式を迎えた人とか、就職活動している学生とかが初めて未来と向き合う筈である。ところが僕と言えば、大学を卒業するときにもロクに就職活動もせず、寝転がって新聞の広告を見てテキトーに会社に入り、その後もテキトーにさして考えもせず会社をコロコロと変わった。もちろん、途中でぼんやりと未来を考えたことはある。このままこの会社にずっといたらどんどんどんどんストレスが溜まるだけだろうなと考えて会社を辞めたこともある。だがしかし所詮その程度、それは計画性と呼べるほどのものではなかった。

僕は今、計画性という壁にぶち当たっている。正確に言えば、「計画性」という言葉にである。それは塗り壁のように僕の前に立ちはだかり、まんじりとも動かない。で、煮詰まる。絶望する。自分が途方もなく頭が悪いのではないかと悩む。しょうがないので前述の記事をしこしこと書いてみる。なんとなく何かやったような気にはなる。少し気分的に楽になる。要するに僕は惰性で生きる人間なのだなと改めて思う。本質的に。

しかしながら、ほとんどの人たちは人生の大半を惰性で生きているのではないだろうか。泳いでいるようでいて、実は流されている時間の方が圧倒的に多いのではないか。違うのかな。それはモラトリアムたる学生時代と、老後なのかな。とすると、僕はずっと、学生もしくは老後のように生きてきたことになる。どうりで今しんどいわけだ。ここに至って、急に生き方を変えようとしても無理がある。往々にして、劇的に変わるのは人間の方ではなくて、現実の方である。僕が出口をなかなか見つけられないのは、あがいているようでいて、実はこれまでの自分の生き方の延長戦上でうろうろしているだけだからなのだろう。果たして答えはその中にあるのか、それともその外にあるのか。

夜、長友が今季5ゴール目を挙げたインテルの試合を台所で見ていて、左耳に違和感を感じた。どうも一定の周波数に共鳴するような、過剰反応するような。耳が悪くなったのではないかと不安になった。それでなくても近ごろは視力もめっきりと悪くなった。この歳になって、いろいろと老化、劣化しているのだろう。しかし、いろんなことがこのタイミングで来るのは参る。

本日は基本的には晴れ。寒いことは寒い。昨日の朝もそうだったが、今朝にしても朝食後、今日は久々に曲でも作ろうかなどと思ったのだが、結局夜になるとそんな気分はどこかに行ってしまうのだった。朝と夜ではどうしてこうも思考回路が違うのだろうか。かといって、朝そう思った時点で即始められるかというと、そうでもない。

業務にも迷いがある。先日本気でやろうと思ったにも関わらず、立ち回りが甘い。というか、店の状態酷い。状況が厳しければ厳しいほど、厳しく立ち回らなければならないのだが、なかなかそれが出来ない。結果よりもむしろ、そういう自分に苛立つ。

業務後母の病院。今日の母は相変わらず精神的に不安定、話すことに脈絡がないし、何を言っているかよく分からないし、夢と現実がごっちゃになっている。だから、病院で一緒にいると次第に僕の方も精神的に参ってくる。また眠気が襲ってくる。

よっぽど夜、昼寝しようかと思ったが結局しなかった。出来るだけ目先のやるべきことをやろうと努力はした。亡父の町県民税を町役場に払いに行き、夕食後はなるべくすぐに洗い物をするようにし、いらない郵便物を捨てたり、ま、その程度だが。そんなものはやるべきこと以前の問題のような気がしないでもないが。どうにも僕という人間は放っておくととことん自堕落な人間のようである。十分自覚はしていて、今はそんな自分が嫌いなのだ。

ところで、長友の話に戻ると、オフサイドの判定になった幻のゴール(明らかにオフサイドではなかった)も含めて、なんで今季こんなに点が取れているのか分かった。位置取りがやたらと高く、攻撃時にはゴール前に詰めている。もはやフォワードの動きだ。長友というとどうにも代表でのサイドバックというイメージが強いが、インテルではMF、解説ではウイングバックと言っていたが、バックはいらなくてただのウイングでいいようなポジショニング。今日はセレッソにウルグアイ代表のディエゴ・フォルランが入るというニュースも。

今日も支離滅裂な日記で申し訳ない。僕の頭の中、思考回路が支離滅裂で散漫なのである。で、眠いのだった、やっぱり。これもまた惰性。


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