気がつくと先日2・3日続いた朝の頭痛は治まっている。一昨日ぐらいからまた睡眠薬をルネスタとロヒプノールの2種類飲んでいるのだがそれでも大丈夫ということは、あれは一体なんだったんだろう。
8時過ぎ起床。足し算では睡眠は足りているはずなのに、どうしても足りない感じが抜けない。3時半まで業務。どっと疲れる。昔は10時間ぐらい平気だったのに、最近は5・6時間でもホントに疲れる。母の病院に行くとまた闇雲に眠くなる。どうにも疲れが溜まっている。蓄積疲労。帰宅すると夕飯の仕度をするのが精一杯。米を仕掛けてからまたソファで毛布を被る。眠りかけたところで電話、町の健康福祉課からだった。母の特別養護老人ホームへの入所が来週の金曜に決まったとのこと。で、水曜日にホームにて打ち合わせ。電話を終えるとまた寝る。
夜は相場でボコボコに。昨日今日とコテンパンにやられているが、何故かそれで精神的に崩壊するということはない。大した額ではないからか。こうしてみると業務よりむしろ相場の方がギャンブル性が高いような気がする。考えてみれば当たり前か。論理的な根拠というか、拠り所の違い。相場に関して言えばそこがまだ見つけられていない。なんていうか、大まかなプランは考えるのだけれど、入口と出口のタイミングがいまだに分からず、結果どうしても恣意的になる。ときにはプランと逆のエントリーをしてしまったり。
それにしてもどうしてこう毎日睡眠不足気味になるのだろうか。夕方昼寝をしてからでないと頭も回らないし。疲れ方半端ないし。睡眠不足感が取れるのは夜も更けてからというのでは。確かに休んでない。何度も書いているけれど、僕は休み方というものを忘れてしまった。
今日はここまでまだ安定剤を飲んでいないけれど、一昨日のような極端なやる気のなさや、昨日のような強い不安感はまだない。ただ元気がない。気がつくと最近母以外の人とほとんど話をしていないし、人と話をするだけで疲れる。雑巾のように疲れて、澱のように眠気があり、頭がまともに回り始めるのが遅過ぎる。調子が悪いと音楽すらストレスになる。ストレスからやたらと物を食べたくなる。放っておくとストレス太りしてしまいそうだ。まあまともに食べているのは夕飯ぐらいなのでそれはないだろうけど。
休養と十分な睡眠が必要なことは分かっているのだけれど、どうしたらそれが得られるのかが分からなくなってしまった。週末からの(世間的には)4連休、天気のいい日があったら山の方まででも足を伸ばしてみようか。そんな余裕と元気があればの話だが。一体どうやったら元気が出るのだろうか。母も不安定だが気がつくと僕も不安定だ。
ここまで書いて、もう今日は寝てしまおうかと思ったところでコーヒーの豆を炒るのを忘れてたことに気づいた。よって、こんな夜中にシャカシャカと鍋を振って豆を炒っている次第。