断片的な一日、グッド・ウィル・ハンティング

日曜日。

精神科医に日中何も出来なくて困っていると話したら誰か電話で話す相手はいないのかと言われた。SNSのチャットでもいいと。結局今日から気分スタビライザーのラミクタールを飲むことになった。

そんなわけなので夜、ドラムのアキヤマに電話してみた。アキヤマは携帯には絶対出ないので固定電話にかけた。ひとつには、1万円以上溜まった無料通話分を消化したいということもある。電話には奥さん(彼女も僕の同級生である)が出た。で、ごめんね、出かけていると言われたので電話を切った。前回彼の固定電話に電話したのは数か月前、土曜の夜でそのときも出かけていないと言われた。実際のところ、今年になってアキヤマとは一度も電話が繋がったことがない。で、これはどうやら居留守を使われているようだと思った。僕らの年代で、家族のいる奴が土日の夜に家族を置いてそうしょっちゅう出かけるなんてことがあるだろうか。それからヨウタロウに電話(今度は携帯。彼は出れるときは出るので)にしてみたが繋がらなかった。今年に入ってキーボードのヤマザキも一度も電話に出ない。かくして、かつての学生時代のバンドメンバーにはホントに連絡が取れない。以前毎日電話で話していたI泉さんに至っては連絡が途絶えてもう2年近くになる。

かように僕は孤独なのである。

それから、huluでガス・ヴァン・サント監督「グッド・ウィル・ハンティング」を見始めた。他にすることが思いつかなかった。どういうわけか吹き替え版しかなく、最近洋画を吹き替えで見たことなどないので最初違和感が凄かったが最後まで見たらいい映画だった。ガス・ヴァン・サントの演出自体は巧くない。音楽使い過ぎで興を削ぐ。しかし、話自体が非常に魅力的だった。マット・デイモンが脚本まで書いているということで改めて見直した。マット・デイモンも共演で共同脚本のベン・アフレックも、先日亡くなったロビン・ウィリアムズもそれぞれ個人的にはあまり好きな役者ではないのだが、映画自体の面白さとは関係ない。欲を言えば違う監督の演出で見たかった気はしないでもないけど。しかしながら「グッド・ウィル・ハンティング」、久々に肩の荷が少し軽くなるような映画ではあった。

それ以外は今日も何も出来なかった。昨日あたりから朝寒くて目が覚めてしまう。まだ11月だから電気敷布を使うのには早いし、気は進まないのだが羽毛布団から重たい布団に夜になってから替えた。

また午前中からコタツで寝てしまう。延々2時間、ときおり目が覚めそうになっては寝るの繰り返し。半分夢を見て、半分起きている半覚醒状態が続き、そういうときは半分起きている頭が物凄く悲観的になりしんどい。これなら起きている方がずっとマシだ。

昼食後、今日も隣町のディーラーに行く。例の車内灯がドアにすると点きっ放しになるので。それで見てもらったところ、なんのことはない、ハッチバックにハンガーが挟まっていた。つまり半ドア状態なので、スウィッチをドアにすると点灯してしまっていたのだった。昨日交換したタイヤを下ろすときにハンガーが引っかかってしまったらしい。

夕刻が近づき、傾いた日に照らされて黒い雲がゆっくりと流れていくのを書斎の窓からぼんやりと眺めていた。改めて庭を眺めているといろんな鳥がいることに気づいた。スズメ、カラス、セキレイ、名前の分からない中ぐらいの鳥。そんな風にぼんやりとしていると頭が空っぽになり、少し気分的に楽になった。時計を見ると4時になりそうな時間、精神科の予約が4時なので慌てて電話してみると4時10分ぐらいに来てほしいとのことだった。

ここで冒頭に戻る。

今日の母は昨日同様かなりしっかりしていて少し安心した。しっかりしていないのは僕の方だ。どこか不安でどこかふわふわとした訳の分からない無力感に捕らわれたまま一日が過ぎてしまう。庭の鳥、隣町の帰りに見た虹、ゆっくりと流れる雲、そういうものの断片的な映像の記憶しかない。一日がどこか曖昧でぼんやりしている。一日を断片的に過ごしている。改めて孤独だなあと思う。もう少し煙草が美味しければ少しは救われるのだが、今日は一日煙草が美味しくなかった。

確かに今日は頑張れなかったが、明日頑張ればいいかと思う。明日頑張れなければ明後日頑張ればいい。そういう風に思うことにする。なにしろ今の僕は何も出来ないあまり、あまりにも頑張ろうという気持ちばかりが先だってしまうから。そうするとどうしても自分自身に対して否定的になる。何も出来ない自分を肯定するのはそれなりに難しいことではあるけれど。

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