八月の光

水曜日。

ついさっきまでここのサーバが物凄く重くなって繋がらなくなった。今日は日記を更新出来ないかと思った。一体どういうことだろう。相変わらず最近スパムコメント多いので、もしかしてDoS攻撃とかだろうか。困ったものだ。

昨夜寝たのは3時半、で、朝ドアチャイムが鳴って目が覚めた。時計を見ると9時だった。物凄く眠かったので放っておこうと思ったが、結局気になって階下に降りてみると、郵便受けに回覧板が入っていた。もう一度布団に潜り込み二度寝、起きたのは10時近く。やはり眠かった。ところが朝食後は何故か眠気が取れる。

昨夜から結局持ち越した相場のポジション、寝ている間にストップに引っかかったら目も当てられないと思ったがなんとか生き残っていた。だが事態は一向に好転していなかった。こういうときに限ってポジションを数多く持ってしまう。特にいつもはまったく関わらないユーロポンドを気まぐれで持ってしまったのが裏目に出てネックになってしまいまさに塩漬け。終日チャートが気になってしょうがない。かといってずっとチャートを睨んでいてもどうなるわけでもないので、先日からつけ始めた片付けノート、この2・3日何も捨ててないので納戸の物を整理することにする。

雑誌類を束ねたものとカラオケセットを車に積み込み、ゴミ処理場に持って行った。ついでにスタンドに寄ってガソリンを入れ、その隣の蕎麦屋で昼食。

soba

というわけで久々に外食。

帰宅して窓際の一人掛けのソファでフォークナーを読んでいると眠くなり、小一時間ほどうとうとする。最近の傾向として、昼寝が死のイメージと直結していて、うとうとしながらこのまま死んだらどうしようとか考えてしまうので昼寝すると酷い気分になる。ちょっとした予期不安のような感じ。

母のところに行ってから夕食。二日続けて餃子。なにしろ100個もらったので。で、夕食の最中にようやく懸案のユーロポンドを若干プラスで決済するタイミングがやってきて決済。一安心と思ったのだが今度はユーロドルが裏目に。ナンピンしたのがさらに火に油を注ぐ形になってしまう。一難去ってまた一難、一度沈静化しそうになったのだがまた現在事態は悪化中、この後明け方の4時に大きく動く指標があるのだがそれまではとても起きていられないので頭が痛い。どうも日をまたぐとロクなことがない。いずれにしてもある程度の大敗は覚悟しなければならないのか。このままだとまた目をつむって明日まで持ち込むしかなさそうだが、かといって明日好転する見込みは薄いから困ったものだ。損切りするしかないか。

で、フォークナー「八月の光」読了。同じ作者の「響きと怒り」は前半が難解で読むのが物凄いストレスだったけれど、後半一気に物語の収拾をつけるのが素晴らしいなと思った。ところが今作は逆に後半の方が難解だった印象。それで今一つ気持ちのいいところに話が落ちなかったという気がした。全体的にある種のロードムービーみたいな話なので、こういう結末になるのはしょうがないのかもしれないが、もう少しカタルシスを期待していただけに。この「八月の光」、全体的に登場人物が多く、それぞれの視点で綿密にエピソードが書かれている。それが僕には少々書き込み過ぎに思えた。いろんな人物の会話にしてもあまりにも長広舌が多く、思索の描写も少々過多に過ぎるきらい。特に終盤のテンポが重くて難解になった。もっと表現を削ぎ落していればもう少し読みやすくなったのではないかと思うのだが。ストーリーに対して小説全体が長過ぎる。ドストエフスキーもそういう傾向にあるがもっと読みやすい。ただこれがフォークナーのスタイル、文体、手法であると言えばそれまでなのだが。それを読み応えがあると捉えるかどうか。たぶんこれは読んでいる僕の精神状態も関係していると思う。もっと精神的に余裕を持って腰を据えて読めば、いろんな人物が錯綜して重厚に絡み合った作品と読めたかもしれない。

それはともかく、これを書いている最中にもさらに相場の状況は悪化、困った。これでは寝れないではないか。むむむ、もう2時半か。


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