木星における虚無的な人生

木曜日。

もう木曜日なのか。なんていうか、人生なんてあっという間だなあ。何もしなくても時は過ぎる。でもそれでいいんだと思う。たぶん人生なんてそんなもんだし、時間なんてそんなものだ。無為に過ごすのもまた人生。それに、ああ何もしたくないと思っている人も多数いるのだと思う。例えば、休むために働くなんていうのもそうだし。ただ大方の人は何もしないというよりはむしろ、好きなことだけして過ごしたいと思っているだろうし、そういう意味では今の僕は決して大方の人の理想形を具現化しているわけではない。

長いこと楽器を弾いてないので指が強張ってきた。じゃあ楽器を弾けばいいのではないかと言われそうだが、それがそうもいかない。とにかく腰が重い。まるで木星に住んでいるのではないかと思えるくらい腰が重い。実際問題として、昨夜気づいたのだが書斎の床に置きっ放しになっているギター用のマルチエフェクターに蜘蛛の巣が張っていた。これは真面目になんとかしなければならんな、とは思ったものの、いまだにそのままだ。こういうときに僕の場合、余計なことを考えてしまう。まず蜘蛛の巣だけを払えばいいのか、それともギターを繋いでエフェクターを使うことによって蜘蛛の巣を結果的に払えばいいのか、というようにどうでもいいようなことを考えて立ち竦んでしまうのである。結果、明日考えようということになり、その明日、つまり今日になってもいまだにそのまま放置してあるというわけだ。

蜘蛛の巣を払ったりギターを弾いたりすることがそんなに大層で大変なことなのだろうか。自分でも理解不能だ。蜘蛛の巣が張っているのを発見したらただちにそれを払って、指がなまって強張っているなと思ったらギターを取り出してスケール練習をするなり、キーボードに向かって弾くなりすればいいだけの話だ。それがどうしてこう、まるで金縛りにでもあっているかのように出来ないのだろうか。改めて言うまでもないが、ここは木星ではなく、地球なのに。

ああ日記を書かなければ。そろそろこの日記の文体を変えたいなあと思っているのだがそれにはあまりにも今の僕の語彙も引き出しも少なく、なら手っ取り早いのは「ですます」にしてしまうとかなのだがそれも面倒だ。

とにかく今日も10時前に起きた。昨夜何時に寝たのか記憶が定かではないが、日記を書いた時間が2時半だとすると恐らく4時近かったのだと思う。いずれにせよ、僕は10時ごろ起きる人になりつつある。これは何かと不都合がある。まず朝ゴミを出すことが出来ない。向かいの人が朝っぱら回覧板を持ってくると起こされる。等々。しかしながら現実には母のいる特養に勤める人であるとか、この山形の片田舎でも夜勤で昼間寝ている人もいるわけで、そういう意味では10時まで寝てもなんら問題はないはずなのだが。

ただ、現実問題として10時に起きると午前中がやたらと短い。朝食後のコーヒーを飲みながらぼうっとしているとすぐに昼になる。起きて2時間で昼食というのもどうかと思うので1時ごろに昼食を摂る。そうすると必定、午後も短くなる。ドミノ倒し的に。で、午後になるとそろそろコタツに移動しようと思い立ち、コタツに入って本を読み始めるものの案の定寝てしまう。なんていうか、コタツというものは誰かと談笑するとでもいうならともかく、一人で入っていると寝てしまうように出来ている。そうとしか思えない。

そうやってふと気がつくともう外は夕暮れなのだった。4時を回るともう暗くなって電気をつける。気分的には何もしないうちにもう電気をつけなければならない時間になってしまったという感じである。5時になると町の中央にある公園のスピーカーから馬鹿でかい音でなんかの童謡のメロディーが流れてくる。9時5時の人ならもうお疲れ様という時間だ。なんということだろう。これがある種一日の終わりを告げるメロディーであるとすれば、なんと虚無的かつ無為に一日を僕を過ごしているのだろう。

などとは考えない。

結局昨日から相場のポジションは持越し、ずうっと塩漬けなので一日気が気ではない。相場のチャートを見るたびに悪い方に想像し、ああどうしようかと途方に暮れる。相場のポジションを日をまたいで持ち越すと、視点の変えようがないし新たにポジションを持てない。しかし、ついにその瞬間はやってくる。すっかり外は真っ暗になった6時近く、ユーロドルがぐいっと下がり、苦心惨憺の末ようやっとちょこっとだけプラスになる。結果的に、一昨日から薄氷を踏む思いで持ったユーロポンドもユーロドルもプラスになった。なんと有難いことか。これが大勢を見誤らなかったからなのか、それとも単にラッキーだったのかはよく分からない。大損をしなかったという点では結果オーライなのだが、いろいろ考えるとこの3日間をほとんど気を揉むだけで無駄に過ごしたという感じはする。反省すべき点は多々。ともあれ、ようやっと決済出来た。すぐに気分を取り直して新たにポジションを取り、これは判断としてまったく間違っていなかったのだがすぐに同値決済になってしまった。これこそ保持していてもよかったのだが、これも結果論。

ポジションをすべて決済した時点で母のところに向かう。本日初めての外出。母は相変わらず落ち着いてはいるが、僕以上に虚無的である。したがって、ただでさえ虚無的である僕は母のところに行くとさらに虚無的になる。しかしそれを母に見せるわけにはいかない。勤めて平静に穏やかに肯定的に接しなければならない。

母の部屋に連れていくとやけに寒いなと思ったらエアコンから温風ではないただの風が出ていた。これでは扇風機をかけているのと同じだ。そこに介護士の女性(例の業務に行くと見かけるおばさん)がやってきたので、寒いからこれだったらむしろ停めてくれた方がいいと言うと、あれこれリモコンをいじっていたものの一向に温風も出ず、かといって停まりもせず。もしかしてこのエアコンは壊れているのだろうか。それで、その介護士の女性がタオルケットでは寒いだろうから毛布ありますか? あったら持ってきてもらえれば、とか言うので僕はちょっとかちんときて、「そりゃあありますけどここに毛布はないんですか? 毛布という概念はないのですか?」と訳の分からない言葉を投げかけた。当然のことながらおばさんは「概念?」と首を傾げた。こういうところが僕は人間が出来ていない。たかが毛布を持ってきてくれと言われたぐらいで、特別養護老人ホームの部屋で介護士相手に観念的な会話をしてもしょうがないのである。

とにかく、帰り際にスーパーに寄って340円の刺身を買って、それで夕飯を食べた。夜は相場の指値がつかず、3日も悪戦苦闘した挙句なのでさすがに今日辺り無理をする気にはなれなかった。それによく分からない。というわけで、夜中まで延々とコーヒーの生豆を煎る。

という具合に虚無的に一日を過ごし虚無的に日記を書くと長文になってしまった。虚しい。だが気にしない。虚無的なので。

今読んでいるのは大学の後輩でもある菊地成孔(サックス)のエッセイ集「スペインの宇宙食」。確かに面白いのだが、なんでこいつは僕が食べたことどころか存在すら知らないような美味いものばかり次から次へと食べているのだろうかと次第に腹が立ってくる。こういう文章って、そこそこ金があってやたらと外食でいいものばかり食べないと書けないよなあとやっかみ半分で思うのだが、とどのつまり、僕という人間はグルメでもお洒落でもないのだった。本質的に。


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