悪童日記、絶望の深淵

火曜日。

アゴタ・クリストフ「悪童日記」、物凄く読みやすくて昨夜寝る前に読了。とても面白かった。双子の子供の手記、それも事実しか記述しないというルールのもとに書かれているので、余計な描写や主観的で無駄な表現とかは一切なく各章が極めて簡潔で短いので非常に読みやすいし実際読むスピードも速くなる。この、ある意味ミニマリズムに徹した手法のため、話が唐突に進む感じはする。なので、ラストも衝撃的な結末というよりはすべてが当たり前のように、ある種の必然として話は進み、終わる。これがなかなか気持ちよい。第二次大戦末期の話であり、ユダヤ人の強制収容であるとか、救いのない悲惨な場面はたびたび訪れるのだが、主人公である双子がそれを無慈悲に徹底したクールさで乗り越える(この表現が正しいのかどうかは分からないが)のはハードボイルドの極みと言ってもいい。あらゆる局面を感情を一切排して冷徹にやり過ごす子供(たち)というのは善悪という倫理観を超越した存在のように思える。恐らく、どちらかといえば悪に属するであろう彼らの言動に爽快感すら覚えるのは何やら不思議ではあるが。センチメンタリズムの不在が生み出すカタルシスといったような、奇妙な味わいの小説だった。


悪童日記

今日も精神的に酷い一日だった。こうして日記を書くのも青息吐息、久しぶりにさっきHと電話で話したが、どうも人とまともに会話出来る精神状態ではない。しんどかった。

朝は9時ごろに起きる。目が覚めかけるときに現実に戻るときのうっすらとした絶望感を感じながら。

朝食後、台所で音楽をかけながらコーヒーを飲んで一服していると一瞬ドアチャイムが鳴ったような気がしたが気のせいかと思った。書斎に行って着替えをしていると、ふと窓の外を見ると庭に叔母がいた。やはりチャイムは鳴っていたのだった。叔母は米と林檎(そういえば風呂上りに食べようと思って忘れた)を持ってきてくれた。

11時に歯医者、取れた差し歯を持って行く。根っこは大丈夫で無事歯は元に戻ったが、果たしていつまでもつのか。

その後は最近のパターン。日中がまったく、圧倒的にダメ。体調もあまりよろしくない。昼食のサンドイッチの味もよく分からない。午後早々に起きていられなくなり、また昼寝すると絶望するのが分かっていながらコタツで寝てしまい、案の定絶望する。途轍もない厭世観、自暴自棄に陥る。それをゆっくりと夜までかけて少しずつごまかすので精一杯。

昨日あたりから、何かをやるのにはいちいち手帳に書き出さないと何も出来ない。例えば昨日だったら一階に掃除機をかけたのと風呂掃除。今日はコーヒーの生豆を注文、2階の自室の押し入れにしまってあったバスタオルを出し、昨夜切れた自室用の灯油を補充。それぐらいしか出来ない。あとは腹が減るのでなんとかメシを作って食べてはいるものの、もし腹が減らなかったら食事すら摂らないかもしれない。買い物にすら行けない。

夕食後に母のところに行くと、母は珍しくテレビに見入っており状態は悪くないのだが、何しろ僕の方が絶望しきっていて、それを見せないようにするので精一杯。まさに息も絶え絶えといったところ。

そんな、放っておくと委縮・凝固してそのまま餓死してしまいそうな状態でありながら、なんとか相場をこなす。昨日から持ち越したポジションと、今日になって持ったポジションをなんとかやりくりする。そうやって、チャートに見入ってどうしようか考えている間だけは絶望している暇がない。だから、今日のところはなんとか僕を現実に繋ぎ止めておいたのは相場のポジションだった。こうなると、相場をやるのはある種の自己防衛本能みたいなもの。

このところ夜コーヒーを飲むとしんどい。ということは、ストレスから胃に来ているのだと思う。それぐらい今は精神的に危ういところにいる。極度に委縮しているので身体が強張って手が痺れる。ここまで(精神的に)酷いと安定剤でラリった方がまだマシと思うのだが、もうレキソタン1mgではまったく効かない。かといってベンゾジアゼピン系は耐性がすぐ出来るので量を増やすと切りがないし減らすときに苦労する。しかしながら、そうも言ってられないぐらい救いようがない状態なので、4錠目のレキソタンを飲もうかどうしようか悩んでいるところ。

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