村上春樹とか

今日も夕方まではこれといった症状はなかった。朝、やたらと早く目が覚めたぐらいで。で、ソファに寝転がってチャンドラーを読んでいたら、だんだん精神状態がダメになり、そのうち手が痺れて痛くなり、頭痛がしてきた。僕は本を置いて、頓服を2錠飲んでなんとか寝ようとした。が、なかなか眠れなかった。その間の苦しかったこと。そのうち、ようやく意識を失った。目が覚めると、どれぐらい時間が経過したのかよく分からなかった。頭痛はまだ残っていたが、暖房をつけたまま寝たせいだと思い、頭痛薬を飲んだらそのうち治まった。

前に書いたように、村上春樹の文章を読むのは久しぶりだ。世の中には村上春樹の文章・小説を好きな人と嫌いな人がいる。僕はどちらかというと前者だ。しかし、ミクシィの村上春樹のコミュニティに「1Q84」は駄作だと書いて何千人という人間と喧嘩をしたことがある。

僕が初めて読んだ村上の小説は、「羊をめぐる冒険」だった。とても面白く、不思議な小説だと思った。そして、結末にはきちんとカタルシスがあった。それで、さかのぼってデビュー作の「風の歌を聴け」から読んだ。それ以来、村上の小説は恐らくすべて読んでいる。最初につまづいたのは、大ベストセラーとなった「ノルウェイの森」だった。僕はなんか違和感を覚えた。どこかセンチメンタル過ぎるような気がしたし、どこかに瑕疵があるように思えた。先日読み直してみたら、そんなに悪い小説ではなかった。むしろ、とても出来のいい小説だった。しかし、最後の方で主人公はレイコさん(だっけ?)と儀式的なセックスをすべきではないと思ったし、リアリズムの視点で見るといささか無理なところもあった。たぶん、最初に読んだときに覚えた違和感はそういったものだろう。「ダンス・ダンス・ダンス」も悪くない小説だった。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」は、ちょっと危ない境界ぎりぎりまで来てるな、と思った。続く「ねじまき鳥クロニクル」も悪くなかったが、3巻目が出るのがあまりにも遅かったし、もう1度1巻目から読むにはあまりにも長い小説だった。で、「スプートニクの恋人」で村上は境界を越えてしまった。最初の2ページを読んで、あ、やっちゃったな、と思った。文体が物語を飛び越えてしまった。それでも時期は前後してるかもしれないが、「国境の南、太陽の西」は無難なところに収まっていた。しばらく間を置いて刊行された長編、「海辺のカフカ」を読んで、僕は首を傾げた。どうしても出来のいい小説と思えなかったし、面白いとも思えなかった。しかし、そのころから村上は海外で物凄い人気を博するようになった。で、総合小説と銘打った「1Q84」は、とても出来の悪い小説だったし、まだ書き終わってもいないのに出版するという、「ねじまき鳥クロニクル」と同じような新潮社のやり方はどうかと思った。一見重要に思えるいろんなエピソードは結局何の意味も成さなかったし、いろんな謎はほとんどが取り残されて予定調和的な、誰もが想像しうる結末がついた。しかも、これで終わりにするか続きを書くか、まだ分からない、という物凄く曖昧で中途半端なコメントを作者は発した。このようにある地点から村上の作品は右肩下がりに出来が悪くなっていったが、奇妙なことに海外での評判は右肩上がりに上がっていった。僕には「総合小説」なんてどうでもいいし、ドストエフスキーが「総合小説」であるなどとはちっとも思わない。むしろ、大衆小説だと思っている。

と、いつの間にか長文になったが、久しぶりに読む村上の文章は読みやすい。確かに。

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