呪い

1月4日、日曜日。

昨夜あれから寝る前に歯を磨いていたら、またもや差し歯が取れた。この2か月あまりでもう3本目だ。まさに立て続け。ショックで気絶しそうになる。これはなんかの呪いだろうかと思う。母がずっと歯のことを気にし続けている(今日も言っていた)のはこの日記にも書いてきたが、どうもそれが乗り移ってしまったような気になる。この10年ぐらい大丈夫だったものがなんでこうバタバタと取れてしまうのか。ドラムのミヤザワだったら原発による汚染がどうのと言うだろう。それにしても気味が悪い。次の歯医者の予約は再来週だけれど、明日電話してみようと思う。

三度寝ぐらいして8時半過ぎに起床。驚いたことに除雪車は出動しておらず、朝食後に軽い雪かきで済んだ。道路は皆雪で固まっているのだが、圧雪路になってしまうと除雪車を出しても無駄ということなのだろうか。今日は雪はちらちらと舞ったぐらい。

このところにしては早めに起きてしまったのだがどうも落ち着かない。何しろ寒い。なかなか台所が暖まらない。煙草ばかり吸ってしまう。なので、なんとなく11時ごろに業務に赴いてみる。思ったよりずっと空いていて、どうやら客離れはかなり深刻な模様。結果的には無駄足に終わる。

午後帰宅するとやっぱり寒いのでコタツで本を読むことにする。が、睡眠時間が多少足らないというせいもあってやはり気絶してしまう。それも二度。で、今日も二度目に絶望しパニックに陥る。去年の日記を読んでみると、やっぱり同じ日にパニクっている。これも呪いか。

母のところに行ってから、僕にしては遅い夕食を摂る。それから考えた挙句、園子温監督「ヒミズ」をhuluで見た。園子温の映画はいつも同じ役者を使って演劇的ではあるのだが、陰惨で救いがなく後味が悪いのでもう二度と見るのを止めようと思っていたのだけれど、何故見てみようと思ったのか。で、案の定嫌な話だなあ、見るんじゃなかったなあと思いながらも最後まで見ると、驚いたことにラストに希望があった。これにはちとびっくりした。しかし、未来とか夢とか希望とかある人が羨ましい。じゃあ僕にはそれらすべてがないのかというと、それがよく分からないのだ。もしかしたらうつ病のせいかも知れないのだけれど、絶望し悲観するのが習慣化してしまって、いつも自暴自棄寸前のところをうろうろしている。もちろん朝から晩までそうだというわけではないのだけれど、どうにもお気楽に生きる術を見失いつつある。

ときどき、遺書を書いておいた方がいいかなとか考える。それぐらい悲観的だ。僕はまだ老人ではないけれど、自分が人生のどの辺にいるのか分からなくなっている。この何年かで僕はあまりにもいろんなものを失い過ぎた。だからこの先も失い続けるのではないかという嫌な感じが抜けない。何かを得るという感覚よりも何かを失うという感覚の方が遥かに強い。もちろん多少なりともちょっとずつ何かを得ているのだろうけど、それよりも失うものの方が遥かに多いような気がする。これもまた呪いのようなものだ。

年も改まったことだし、そろそろ呪縛から抜け出てもいいような気もするのだが。


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