背骨

3月1日、日曜日。

終日雨。

気がつくと3月。2月はうるう年以外は28日までなのだった。これが損なのか得なのか、実によく分からない。たぶん損でも得でもないのだろう。

9時半起床できっちり7時間寝た。朝食後うだうだしてからなんとなく業務へ。他にすることが思いつかないというか、このところ午前中何かに集中出来る気がしない。まあそれは午前中だけではないのだけれど。3時ごろまでうだうだとやって結局今日も無駄足。というか、このひと月あまり業務に関してはほぼ無駄足に終わっていて、勝率が結構悲惨。実際のところ、単なる暇つぶしと化している。帰りがけ、今日は髪を切りたいなと思ったのだが、1000円カットは日曜日だけあって混んでいたのでパス。

帰宅後、背骨を骨折したという町内の叔母(父の姉)が気になるので見舞いに行くことにした。電話して行くことを伝えてから車で向かうものの、道に迷ってしまう。叔母の家に行くのはこれで二度目だが前回も迷っていとこに迎えに来てもらった。今日も何やら近くまでは来ていると思うもののどうにも分からなくなって携帯で電話して道を聞き、ようやく到着。叔母の家はただでさえ狭い道が入り組んでいるところからさらに引っ込んだところにあるので実に分かりにくい。

叔母は存外元気そうだった。背骨を骨折といっても圧迫骨折らしく、手術をするような深刻なものではなかったらしい。それでもひと月近く入院治療していたそうである。見舞いに5000円包んでいったのだがどうしても受け取ってくれなかった。30分ほどいて帰る。

帰宅後、朝食用のパンが切れていたのでスーパーに買い物。ようやく野菜が安くなってきた。というか、これは実家に戻ったころからずっと思っていたのだが、こと物価に関しては都心より山形の方が高いと思う。肉、魚、野菜、どれをとっても。とはいうものの、都心で自炊していたのは料理が趣味だった随分昔の話で、実家に戻るまではほとんど外食だったので印象論ではあるけれど。ともあれ、探せば都心の方が安い店があるというのは確かだと思う。

夕飯はレトルトのカレーで済ませ、母のところに顔を出す。今日も僕が着くと母はぱっと昨日と同じような凄くいい表情をしたのだが、その後次第に顔つきが少しずつ変わっていって、なかなか一朝一夕には安定しないのだなあと思う。母の友人3人が来たのだがいつだか分からないというので、一階の受付に降りて台帳で確認すると一昨日だった。かように、母は最近の記憶ほど怪しい。

帰宅して、夜はテレビで山田洋次監督「小さいおうち」をやっていたのでながら見をしていたのだがどうも近頃は人情譚に素直に入り込めず途中から見るのを止めた。歳のせいでひねくれてきたのだろうか。NHKのサンデースポーツをちょっと見たり、ツイッターにちらほらと書き込んだり、要するにほぼ何もしないうちに夜が更ける。

読んでいるクッツェーの「夷狄を待ちながら」、4分の3ぐらいまで読み進んだのだがなかなかしんどいものが。なんていうか、もう少しふわふわと幸せになる話を読みたいのだが。かといって前述のように人情譚的なものにも素直に共感出来ないので難しいところ。クッツェーは自省的というか心情を吐露する部分が辛い。最近はシーラッハのように削ぎ落とした客観的文章を好む傾向にある。ジョン・ウィリアムズ「ストーナー」の文体・視点も非常に客観的だった。音楽を聴くときはそうでもないのだが文章に関してはミニマリズムを欲している部分がある。

今日は相場を始めてちょうど一年ぐらいになるので、この一年のデータをまとめようと思っていたのだけれど全然出来ず仕舞い。まあ所詮日曜日、そうそう綿密に一日を過ごさなければならないというわけでもあるまい。今日のところは叔母の見舞いに行っただけでよしとしよう。

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