3月11日、水曜日。
午後、向かいの寺の鐘が鳴った。震災の時間だった。外は雪が降りしきっていた。あれから4年だが、あの日を境に世界が様相を変えてしまった感が物凄くある。あれ以来、どうも世界は奇妙に捻じれて違うパラレルワールドに移ってしまったような気がする。もちろんよろしくない方にだ。4年前というと、離婚した次の年だった。その後父が亡くなって田舎に帰ったり、あまりにもいろんなことがあり過ぎたので、随分遠い昔のようにも思える。
あの日、僕は業務の帰りで南浦和の駅にいた。ちょうどエスカレーターを昇り切ったところで地震が来た。通路の角の支柱にしがみついていた。それから、武蔵浦和まで歩いて帰った。その間、何故か母と携帯が繋がってずっと話していた。計画停電の日は別れた妻と一緒に過ごした。そういうことを懐かしいと言うのは不謹慎なのだろうか。いずれにせよ、忘れることはない。世界が変わってしまった日なのだから。
9時前に起きると、想像以上に雪は積もっていた。おまけに除雪車まで入っていた。朝食後、久々に雪かき。その後も雪は降り続く。夕食後、母のところに1時間ちょっといたのだが帰ろうとするとまるでブリザードのような猛吹雪になっていて、駐車場に停めた車にはすっかり雪が積もっていた。積もるスピードが凄い。どっちにしても明日の朝も雪かき決定ではあるが、あの調子で降り続けられたらどれぐらい積もるのだろうか。予報によると明日も吹雪くらしいし、今週一杯は雪の予報だ。すっかり春になった気分でいたのに、気がつくとまた雪に閉じ込められる。
日中は本を読んでいた。で、ロバート・アカレット「旅するサイコセラピスト」読了。かなり苦労した。昨日の日記にも書いたように患者の病状があまりにもエキセントリックで読んでいてしんどかった。以下ツイートから。
ロバート・アカレット『旅するサイコセラピスト』、ようやく読了。苦労した。が、読み終わっても判然とせずすべてが不明瞭な印象。それはセラピーとか精神分析そのものが持つ不明瞭さのようにも思える。僕の頭が悪いせいなのかもしれない。
— Sukeza (@anykindoflove) March 11, 2015
要するに読み終わってもちっともすっきりしなかった。僕も母も精神疾患を抱える身なのでこの手の話を読むのはしんどいし、出来れば明快な答えが欲しかった。
午後、町役場から電話。例のHHさんからだった。現在町の要請で特別養護老人ホームに入所している母だが、来月から通常入所に切り替えたいとのこと。それで、母の住所を特養に移さなければならないと。前々から聞いていた話で十分承知はしていたはずなのだが、いざ連絡を受けると闇雲に不安になる。何かを変えるということが物凄く不安になるのだ。それで、現在は弟が母の身元引受人になっているので、外出許可などを弟がいるときしか申請出来ないので僕が身元引受人になりたいのだと告げると、夕方母のところに行く直前にHHさんから再び連絡があり、身元引受人は僕でも弟でもどちらでも構わないとのことだった。それで夜弟から連絡が来るものと思って待っていたが、連絡はなかった。先日の電話を引き摺っているのだろうか。いずれにしても、母の住民票を移すと母宛ての郵便物が特養に届くなど、何かと気が重い。ということは、保険等の住所も変更しなければならないのだろうか。本決まりになったら保険会社に連絡をして訊いてみなければ。
夜はU-22日本代表の親善試合(対ミャンマー)を前半は母のところで、後半は帰宅して見たのだが、何しろ前半で7点も取ってしまうような試合、日本がどうのというよりもミャンマーがあまりにも残念過ぎた。特に前半のミャンマーのGKは致命的だった。結果は9-0、鈴木武蔵と中島が4点ずつ取るという(ミャンマー側からしてみれば)無残な試合、これでは予選に向けた壮行試合にもならずマッチメーキングそのものに問題があったとしか言えない。少なくともホームではなくアウェーでやるべき試合だった。
相場は朝成立した指値を母のところに行く前に利食いしただけ。
世界は雪に塗り込められてしまったし、3.11というだけでなんとなく重苦しい感じがする一日だった。4年前に歪んでしまった世界は修正されるのだろうか。またどこかで変わるのだろうか。だとしたら、少しは世界が軽くなってくれるといいのだが。