白日夢

6月14日、日曜日。

朝から尋常じゃなく疲れていた。全身が乳酸でできているようだった。

9時前に三度寝しているところを、町内会費の集金で起こされた。二階から降りて玄関の鍵を開けると、幼いころ一緒に遊んだ隣組長がちょっとびっくりしたのが分かった。浴衣の胸をはだけて顔色は青ざめ無精髭を生やした僕は、まるで幽霊のように見えたことだろう。

とにかくとんでもなく疲れていて、特に下半身の膝の辺りが酷かった。それで今日も朝食後、昼までソファで寝てしまった。なにしろ椅子に座っているのもしんどいくらいだったから。まったくもってどういうわけでこんなに疲労困憊しきっているのか、こんなにだるいのかよく分からない。

午後2時から母を一時帰宅させるので、昼食を摂ってから近所のパティスリーまで歩いて茶菓子を買ってきた。2時ちょうどに車で母を迎えに行く。

今日はとにかく暑かったので家中の窓という窓を開け放していた。母を縁側の籐椅子に座らせて、冷たいピーチティーとさくらんぼを出した。僕も向かいの籐椅子に座った。日曜の昼下がりだというのに、びっくりするぐらい静かだった。ときおりトンビが鳴く声が聞こえる。見ると、向かいの寺の上空をトンビが舞っていた。

母はさくらんぼを全部食べ、ピーチティーをお代わりした。1時間ぐらい縁側で過ごし、それからもう少し涼しい台所に移動した。ノートPCで控えめな音量でバッハのゴールドベルク変奏曲をかけた。少しすると母は疲れたのか、台所の隣の、かつて両親の寝室だった部屋のベッドで横になった。僕は台所に戻って煙草を一服しながら、先ほど母が紙に筆ペンで書いた、「どうすれば親孝行できるか思っているそうですが 私にしてみれば十分ですよ」という文字を眺めた。

静かな午後だった。窓からは風が吹いてきて、それが暑さを少しやわらげる。まるで白日夢のようだと僕は思った。それは幸福感や充足感というものではなくて、母が家にいるということがもはや日常ではなくなって特別なことであるという寂寥感のようなものだった。バッハは静かに鳴り続け、やがて演奏が終わった。4時半過ぎに車で母を特養に連れてかえった。

また僕はひとりぼっちになった。相変わらずとんでもなく疲れていた。一人掛けのソファに座ってオットマンに両足を乗せて本を読もうとしても膝がしんどい。そのうちまた少しうとうとした。何故こんなに膝が疲れているのだろうか。まるで腎臓が悪い人のように、僕は異様に疲れ切っていた。

餃子を焼いて夕飯を食べる。夜は窓を閉め切っていると暑い。なので、窓を開けている書斎で本を読むがあまり集中力が持続しない。なんだかよく分からないうちに夜が更けていく。ただただ、沼の底の泥のように僕は疲れている。

先ほど風呂に入る前に意を決して同級生のジョンに電話をかけてみたのだけれど繋がらなかった。そもそも意を決してというわりには特別話すことがあるわけでもない。ただ単に人に電話をする勇気がなくなったというだけだ。電話病であるのに電話ができなくなったという皮肉。

それにしても静かな一日だったと思う。窓を開けていると夜は心地よい。まったくぼろ雑巾のように疲れてはいたものの、今日は喧騒とは程遠いところに僕はいた。ただ、正直言って僕はちょっと寂しい。明日は疲れが取れるといいのだけれど。

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