日曜日の憂鬱

11月1日、日曜日。

今日から11月である。それ以前に今日は日曜日だ。前々から書いているように、休日というものの過ごし方を見失ってから随分経つ。休日の目的とか目標というものがない。したがって、ああまた無為に一日を過ごしてしまうという雑念が終日消えない。休むということがどういうことなのか忘れてしまっている。だから何の予定もない土日祝日はただ憂鬱なだけだ。何もしなくていいとはどうしても思えない。

起きたのは10時過ぎだった。天気がよかったので昼前から玄関先の植え込みの手入れをした。

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自分ではかなり切ったつもりなのだが、こうしてみると全然綺麗に整っていない。もっと刈り込まないとダメなのだろう。

昨夜電話で罵り合ってしまった嫌な感じがなかなか抜けない。ずっと雑念となって浮き上がってくる。「ぎゃあぎゃあ文句を言う」とか「悪口を言っている」とかその他もろもろのまるで女子中学生のような稚拙な語彙(それで僕はかっとなってしまった)の毒気にすっかり当てられてしまったようで情けない。ただでさえ休日は憂鬱なのに。

午後、ドトールにでも行って本を読もうかとも思ったが、読み始めたプルースト「失われた時を求めて 全一冊」がどうにもまだ入り込めない。確かに文章は素晴らしいのだが頭にすっと入ってこないし、まだほんの序盤を読んでいるだけだが話が散漫な気がする。そんなわけでわざわざ遠出してまで読むほどではないと思い、茶の間のコタツで読むことにした。ところが、コタツに入って本を読み始めた途端に眠くなり、結局小一時間ほどうとうとしてしまった。

今日の夕飯は寿司の出前を取ろうと昨日から思っていた。田舎の実家に戻って3年目、この町には回転寿司というものがないし、かといって真っ当な寿司屋に一人で行く勇気もない。なので、少々贅沢とは思うが11月になったら出前で寿司を一度取ってみようと思ったのだった。ところが、夕方母のところに行くと、腹が張る感じがして腹痛。そのせいかちっとも腹が減らない。それでも母のところから帰宅後、初志貫徹とばかりに電話してみると今日はもう終了したと言われた。8時までは出前を受け付けているはずで、電話をしたのは8時前なのだが。こんな小さな田舎町でも出前の寿司がそんなに繁盛しているのか。

そんなわけで、結局夕飯はレトルトのスパゲッティになった。それでも食べるとようやく腹痛は治まった。

母はとてもまともに見える。表情がとてもまともなのだ。だが今日は口数が少なく、部屋に連れていってベッドに寝かせると、黙って目を開けたまま天井をじっと見つめている。母の部屋の向かいの四人部屋のプレートのひとつが外されていた。この、老人ホームの順番待ちの感覚。宿命のようなものだろうが嫌なものだ。

結局のところ、今日の予定というか目標のようなものは出前の寿司を取ることだけだったので失敗に終わり、またしてもただの茫洋とした一日としての休日が終わる。

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