蒼ざめた馬を見よ

11月7日、土曜日。

結局どこにも行かなかった。というか、ほぼ何もしなかった。

9時半過ぎに起きたものの、昨夜寝たのは3時過ぎ、眠くて半ば投げやりになり午前中から1時間昼寝してしまった。だんだん生活が冬時間になりつつある。これが本格的な冬になると、寒くて寝床で本を読んでもいられなくなるので逆に早くなる。はず。そんなわけだから、午後になっても普通の人の午前中のようなもの。2時からBS-TBSで鹿島対横浜の試合を見た。2-0で鹿島の勝ち。その後ドトールにでも行って本を読もうかとも思ったが、往復の40分が人生の無駄のように思えてコタツで本を読むことにした。が、読み始めた途端にまた眠くなる。それで15分ほどであるがうとうとする。どうも今読んでいるカズオ・イシグロの「忘れられた巨人」を読むと憂鬱になる傾向がある。原因は定かではないが、どうもこういうおとぎ話のような話が苦手になりつつある。

そのうち、本格的に悲観に陥ってしまった。どうにもこの先の人生があまりにも短いような気がして。投げやりの極致になり、顔が青ざめてくる。たぶんある種の抑うつ状態なのだろう。安定剤を1錠飲む。母のところに行くころには自分でも顔がみるみるうちにげっそりと痩せつつあるような感覚だった。すっかり弱り切っている。山形弁で言うところの「ガオっている」状態。こうなると身体まで委縮する。母のところから帰宅後、どうせ人生は短いのだから好きなだけ煙草を吸いまくろう、吸い続けようと思ったのだが、実際はそこまで立て続けに煙草を吸うほどの根性もない。いずれにせよ、もし「投げやり」という種目があったらそこそこいいところまで行けるのではないかという感じだった。

だが悲観も永遠には続かない。投げやりが続くと、そのうちどうでもよくなってくる。つまり、本当の投げやりになってくる。所詮、考えてどうにかなるものではない。

それはそうと、久しぶりに僕と同世代のジャズミュージシャンである菊地成孔のブログを読んだら、最近は「長いと読まれない」と書いてあって、それはそうかなと再認識した。毎日長文の日記を書いていて、薄々感じていたことである。だが実際は菊地のブログの方が遥かに長文だ。

この日記もそろそろ脱日記を目指さなければと思っている。15年前の日記とかを読み返して、以前の方が今よりもブログっぽかった。最近はあまりにも備忘録的な傾向が強過ぎると気になっている。気がつくといつの間にか文体も生硬になってるし。そんなわけなので、脱日記=ブログ化を目指そうかなと。何も毎日書かなくてもいいのではないかと。それと、もうちょっと文章を短くしたいなと。

とか書いているわりには今日も長文だが。

まあしかし、この日記をブログ化するとfragmentsの存在意義が怪しくなるのも確かなのだが……。

今夜は珍しくNHKのBSでレスターの試合を生中継しており、後半から岡崎が登場したので、そろそろテレビの前に戻ります。

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