3月16日、水曜日。
朝方、外から町の広報車のアナウンスの声が聞こえて目が覚める。その直後に7時の寺の鐘が聞こえたところをみると7時前、そんなに早く広報車ががなりたてることは考えられないのであれは夢だったのだろうか。
ともあれ二度寝したものの、このところ朝起きられないのが気になっていたこともあるのか、今朝は8時半ごろに起きた。結果的にはそれが功を奏して寄り付き直後に取ったポジションを夜まで保持することになったのだが、途中からストップを同値に置いていた(つまり最悪でも損はしない)にも関わらず次第に物凄いプレッシャーを感じてしまう。それで、少しだけ早起きして眠かったこともあるが昼食後の午後、あまりのプレッシャーに相場のチャートを見ているのが辛くなってソファで少し寝る。しかしそれも悪夢にうなされたようになった。なんでこんなにメンタルが弱いのだろう。不思議なことに、含み損を抱えて耐えることの方がまだ楽なような気がしてしまう。結局、一日持ち続けたポジションは夜の指標の直前に決済、無難といえば無難。いずれにせよ、ここ最近のメンタルの弱さを今日は露呈というか、思い知らされた格好。
今思い返しても今日はなんであんなにプレッシャーを感じたのかよく分からない。
ようやっと相場のポジションを持ち続けるストレスから解放されて、夜遅くなってから吉田大八監督の映画版「紙の月」を見た。何しろ原作があまりにも面白かったので、いろいろと気になる。
吉田大八監督『紙の月』。うーん、原作の持つ圧倒的なリアリティとカタルシスは映画にはなかったなあ。もちろん尺の問題とかもあるのだけれど、ちょっと脚色し過ぎた感。宮沢りえは老けたね。
— Sukeza (@anykindoflove) March 16, 2016
映画版『紙の月』、少女期のエピソードはラストシーンに繋げたかったのだろうけど、主人公の横領がふとしたはずみではなく生来の傾向のように見えて逆効果。それと、あのラストシーンでカタルシスを狙うのは違うと思う。
— Sukeza (@anykindoflove) March 16, 2016
もうひとつ気になったのは、宮沢りえが楽しそうな演技をしても楽しそうに見えなかったこと。
— Sukeza (@anykindoflove) March 16, 2016
確かに映画という時間の制約がある中で原作のリアリティを完璧に再現するのは難しいだろう。監督は主人公の横領をある種の必然として描きたかったのかもしれない。でも原作を読んで得られるカタルシスはそこじゃないんだな。もちろん映画というのはアクションやシーンの積み重ねで表現しなければならないから、ある程度は仕方ないのだが……。