3月31日、金曜日。
朝の記憶がもうぼんやりとして思い出せない。眠かったことぐらいしか。こういうときは例によって朝のツイートを引用する。
7時の向かいの寺の鐘が聞こえたような気もしたが、目が覚めて時間を見ると9時だった。物凄く眠いがなんとか起きようとする。一瞬気絶しかかり、時間を見ると16分ワープして9時16分になっていた。なんとか起きた。眠かったらどうせ後でどこかで昼寝すればいいのだ。
— Sukeza (@anykindoflove) March 31, 2017
今日の夢はどうやら仕事で深夜急行で九州まで行くという夢だった。俺には相棒がいて、彼(あるいは彼女)と列車の切符(どこまで買っていいのかわからなかった)を買って乗り込む。ズルをして勝手にコンパートメントにいる奴がいる。次の瞬間、俺はライブ会場のステージにいて、バンドは俺抜きで演奏→
— Sukeza (@anykindoflove) March 31, 2017
→を始めようとしていた。俺はステージを降りてPAのところに行く。何がどうなってるのかよくわからない。そこには亡くなったトライアングルプロの藤田さんがいて、俺に明日どこそこ(忘れた)でやってよと言う。俺は確か九州かなんかに行くはずだったよなと思い出して混乱する。そこで目が覚めた。
— Sukeza (@anykindoflove) March 31, 2017
というわけで珍しく東京市場の仲値に間に合い、朝食のトーストを食べながらちょこっとドル円をロングして少し取れた。それはいいのだが、結局朝食後に書斎でPCに向かって相場の想定とかやったものの、眠くてどうにもならない。頭の中におが屑やら削り節やら綿のようなものが目一杯詰まっている感じがして物を考えていられない。それでもなんとか頑張ろうと努力はしたのだけれど、昼近くなって遂に挫ける。これじゃあ眠くてダメ。というわけで少し寝ようとベッドに潜り込む。で、目が覚めると2時だった……。
なんでこんなに寝るんだろう? 一体どれだけ寝れば睡眠が足りるというのか。8時間? 今日は昼寝を足し算すると8時間以上っつーか9時間は寝ている。これではまるで子供だ。しかも呆れたことに夜夕飯を済ませたらまた眠気に襲われた。2時間も昼寝したっちゅーのに。どんだけ寝ればいいのか。やっぱり人間は寝るために生きているのか。
まあ考えてみれば昨日は散歩を始めとしてそこそこ身体を動かしたので、今日はどこかしら身体に来ててもおかしくはなかったから、それが眠気になってやって来ただけなのだろうか。どっちにしても、これだけ眠いと真面目な話何もできない。
ああそうだ。ストレス。夕方相場のポジションが含み損からようやっと脱しそうなところで固唾を飲んでいると、郵便受けに何か入った音がする。何かなと思って見ると町報だった。またチャートに向かう。固唾を飲む。また音がする。見に行く。今度は回覧板が入っていた。ここでポイントなのは僕が勘違いをしたこと。4月から(←ここ重要)向かいの人が隣組長になるのだが、それを先日の町内会総会以来そうなったものだと勘違いして、要するに向かいの人が二度訪れて、二度とも僕が在宅なのをわかっていながらドアチャイムを鳴らしもせずに郵便受けに入れていった、と思い込んだ。これはたぶん、実際のところは回覧板だけが向かいの人が入れていったのだろう。いずれにしても、大分前から向かいの人はドアチャイムを鳴らさずに黙って郵便受けに回覧板を入れていくようになったので、凄く気になっていた。それほど僕と口を利きたくないのだろうか、何か気に入らないことがあるのだろうかと。
で、それはもしかして実家に戻って以来近所の葬式の手伝い(受付とか)を僕が一度も引き受けていないことを苦々しく思っていることの証左ではないか、と思った。というか、何か気に障ることといったらそれぐらいしか思いつかず、考えれば考えるほどそのように思えてくる。前述のように今年は向かいの人が隣組長になるので、毎月の町内会費を集めるときはさすがに僕と顔を合わせないわけにはいかない。もしかして物凄く気に入らないと思っているのだろうか。という具合に被害妄想が炸裂、妄想は一度突入すると留まるところを知らず、物凄いストレスになった。いわゆる人間関係のストレス。一度気にし始めると気になって気になって、母のところから夜帰宅するころには妄想が全開してすっかり抑うつ状態になっていた。そういう状態に突入してしまうとなかなか抜け出せない。被害妄想と対人ストレスがセットになって僕をがんじがらめにする。こうなると果てしなく気が滅入る。ただでさえ近所付き合いが上手くできていないと普段気にしているのに、頭からどっぷりとその泥沼にのめり込んでしまった……。真面目な話、胃がちくちくと痛くなって潰瘍の薬(ドグマチール。抗うつ薬でもある)を飲んだ。こうなると気分が途轍もなく重くなり、それと同時に地球の重力まで増えて身体まで重くなるような気がする。ああそうだった、俺はうつ病なのだった……。というようなことを嫌というほど思い知らされる。
なんとかかんとか泥沼のスパイラルから抜け出せたのは、ツイッターのタイムラインで見かけたひとつの記事のおかげだった。それはストレスを武器に変える方法という長文の記事だったのだが、一番なるほどと思ったのは「強度のストレスを抱えていても『ストレスは健康に悪いと思わない』人の方が、ストレスを抱えていない人よりもむしろ長生きする」ということである。ああそこか、という感じ。つまりこれまで僕はすべての不調は全部ストレスのせい、と思ってきた。だからストレスを感じると具合が悪くなる。まずは精神的に。次に身体的に。この考え方を180度変えればいいわけだ。『ストレスは健康に悪いと思わない』ように。なるほど。がしかし、一体どうすればそんな風に思えるんだ? ストレスはやっぱりストレスだよね? これを、「ああストレスか。大丈夫。これは全然健康には悪くない」と思わなければならないわけだ。もうこれはそれを盲信的に信じ込む、刷り込むしかないんじゃないかなあ。ある意味宗教的に。つまり「ストレスは身体に悪くない教」の信者になるというわけだ。これはたぶん難しく考えたり論理的に考えると駄目だ。もうホントにプリミティブに感覚として受け入れないと。
というわけで、ストレスは健康には悪くないのです。今日から。