失恋レストラン、愛のむきだし

6月18日、日曜日。

昨夜カーテンをきっちりと閉めなかったせいで隙間から朝の陽光が差し込み、7時半と8時に目が覚めて3度目の8時26分で観念して起きた。日曜日に早く起きるのは別に悪いことではないが明らかに睡眠時間が足りない。それに煙草が増えそう。昨夜から突如陥穽のように堕ちた負のスパイラルは今日も続き、昨日凄く悔しかったのがモチベーションとなっていた業務に今日も行ってみたのだが唖然とするほど面白くなかった。ただ単にストレスを抱え込んだだけ。帰りがけ、隣町まで足を伸ばして業務スーパーでマーガリンを買った。なんでマーガリンごときに隣町まで行くのかというと、それでも元が取れるくらい安いのである。前回は1kg入りの奴を買ってでかいのを買い過ぎたと思ったのだがもうなくなりそうなので。マーガリンの消費ペース早い。たぶんパンを食べる機会が多いから。今回は400gを2つ。帰宅後昼寝は予定通り。ちょっとした悪夢を見た。

それはともかく。

夜、失恋した。一体全体、失恋というものをしたのは何年振りなんだろう? そんなわけで今久しぶりにスタイル・カウンシルのアルバム、「Cafe Bleu」を聴いている。

たぶん今この日記を読んでいる人はまったく覚えていないかあるいは知らないだろうが、かれこれ4年前に田舎の実家に引っ越して1年ぐらい経ったころ、僕は町役場のHHさんにちょっとした恋心を抱いた。HHさんは妙齢の女性で大塚寧々に似ている。そのころ、HHさんは左手の薬指に指輪をしておらず、てっきり僕は独身だと思い込んだ。いずれにしても僕がなんらかのアクションを起こすはずもなく、母を見舞いに来たHHさんに3年前に会ったのが最後だ。ただときおり思い出しては、例えば役場に用事で行ったときなど、廊下にずらっと並んだタイムカードを見てまだHHさんはいるのかな、などといういささかストーカーめいたことをしたりもした。もとよりHHさんと僕の間に何かが起こる可能性など、これっぽっちもなかった。

今夜もふとHHさんを思い出し、なんとなく彼女の名前をググってみた。ありふれた名前なのでもちろんずらっと大量の情報が並ぶだけだ。そこでふと、HHさんの名前に町名をつけてググってみた。するとビンゴ、HHさんのフェイスブックのページがヒットした。で、彼女のフェイスブックを見ると、プロフィール写真で幼い子供を抱いているではないか。がーん。

そんなわけでヴァーチャルではあるがちょっとした失恋をした。もちろん、写真で子供を抱いていたからといって彼女の子供とは限らないし、子供がいるとしてももしかしたら離婚しているかもしれない。ただ、とにもかくにも失恋をすることにしたのである。元々持ってもいないものを失うというのも奇妙な話だが、いずれにしてもHHさんのことはこれで正々堂々と(?)きっぱりと諦めることにした。大体に於いて、最初に会ってからもう3年ぐらい経つので、彼女もそれなりに変わっただろう。僕が老けたみたいに。そもそもが妄想だった。ヴァーチャルな恋にヴァーチャルな失恋。

という具合に、一夜明けても一向にぱっとしない一日を過ごしている。Cubaseを立ち上げてオーディオインターフェイスでギターを繋いで曲でも作ろうかと思ったが、昨日の日記にも書いたように今の僕にはクリエイティビティというものが欠片もない。今は何かを作ろう、成し遂げようということが単なる面倒事に思える。なんというか、悪夢を見ずに眠れればいいというか、これ以上がっかりしないですめばオーケーという具合。

そこで一念発起してアマゾンのプライムビデオで園子温監督「愛のむきだし」をなんとかかんとか最後まで見た。

なんていうか、極端なまでにデフォルメされたこの物語が意外と面白いと思ってしまった。わざとらしい罠にまんまとハマったような気分。しかし映画を見るというのは、ある種いい感じに騙されたいというような願望がどこかにある。

で、演劇性ということを考えたので、学生時代にフランス語劇で王子の役をやったのを思い出した。

いずれにせよ、人生などというものは後で振り返ってみると茶番のようなものだ。

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