新聞

9月12日、火曜日。

7日間無料キャンペーンとやらに申し込んだので、今朝から新聞が届いている。新聞が届くのは4年振りか。というか、それも実家に戻った当時まだ配達されていたというだけで、個人的にはもうかれこれ10年ばかり新聞を取ってなかった。というのもニュースにしてもスポーツにしてもネットの方が遥かに情報としては速いので、実際問題として番組欄ぐらいしか見るところはないのだが、うつ病になって以来、もう15年以上テレビを見るという習慣がない。ただここ最近新聞が気になってしょうがないというのは、おくやみ欄が見たいだけなのである。要するに知らぬ間に親戚に不義理をしているのではないかと気が気ではない。なので、今朝久しぶりに届いた新聞であるが、まずおくやみ欄を見て知っている人がいないことに安堵し、次に番組欄を見てやはり興味のありそうな番組はないことを確認し、以上という感じ。実際のところ、もしオンラインで山形新聞のおくやみ欄だけの有料配信が月何百円とかであったらそれだけで事足りるのだが。わざわざそれだけを確認するのに折り込みチラシを挟んだ新聞を取るというのはどうにも不経済だしただごみが増えるだけのような気がするのである。

ただ新聞のおくやみ欄だけを無料で見るということなら、毎日行っている母のところにも新聞はあるし(帰りがけにたまにおくやみ欄だけ見る)、休館日である木曜日以外であれば町の図書館でも新聞は見れる。とはいうものの、毎日確実にチェックできるかというとそうでもなく、というのもそういう習慣がないからなのだが、そこらへんでもし万が一親戚の訃報とかを見逃したら(というか既に見逃しているかもしれない)と思うとやはり気が気ではないのだ。ただ、本当に知らなければならない近い親戚の訃報であれば間違いなく電話で連絡が回ってくるだろうけど、母方の親戚とか祖母方の親戚といったもう少し微妙に遠い親戚となると毎度連絡が回ってくるとは限らず、従って知らずにいて不義理をしている可能性もあるのだ。例えば5年前に父の葬儀後に線香をあげに来た町内の祖母方の親戚のお婆さんは当時既に88歳と言っていたので、果たしてまだ生きているのか、まあ近ごろだから93歳ぐらいだったら生きていても全然不思議ではないのだが、気になることは気になる。で、その辺の微妙な遠さの親戚となると、もし僕が訃報を知らずに葬儀に出なかったとしても連絡が来るとは限らない。実際年賀状のやり取りもしていない。だからこの5年ばかりの間にひとつぐらい不義理をしていても何の不思議もない。

僕が使っている机は父の机で、引き出しの3番目に財布を入れてあって、それには親戚の葬儀のためのピン札が7万ちょっと入ってる。なんかの集金時に千円札が足りなくなってそこから出したことはあるが、万札はまだ一度も使っていない。というか、別に使いたいわけではないのだが、心構えとして必要かなと思っているのでそうしているわけで。

ん? なんで葬式の話なんかしてるのか。それも想像上の。日記を書かねば。

今朝はいい感じで目が覚めたのだが時間を見ると7時半、昨夜3時に寝たことを考えて二度寝して9時11分起床もやはり微妙に睡眠時間足りない。朝食後にふとした思いつきでユーロドルの押し目買い(のつもり)。当初これは中長期で保持するつもりだった。なので、ポジションをそのままにしてまたもや業務に行ってみるが今日は不発。昨日のお返しかもしれん。帰宅後案の定眠くなり、それと眼精疲労みたいなのがあったので少々昼寝。午前中に持った相場のポジションは結局夕方に利食いしてしまったのだが、タイミング的には失敗。どうせ利食いするのであればもうちょっと早めにすべきだった(下がったところで利食いしてしまった)。で、日中置いておいた指値をそのままにして母のところに面会に行ったのだけれど、よろしくないのは浅いところに指値をひとつ追加したことで、これが余計だった。母のところから帰る途中でスーパーに寄って買い物をして帰宅してみると、なんと指値が5つ全部成立していた。つまり串刺し寸前だった。前述のように今日は少し長めにポジションを持つことを前提にしていたのだが、いざ塩漬けになると気が気ではない。夕飯を食べながらどれぐらいまで我慢するのか、どこまで下がったら損切りするかと頭を悩ませる。ポジション量が比較的多いのでこれ以上下値を割ると辛い。などと思いながら固唾を飲んでチャートを見ていたのだが、結局少々戻したところで損切り。これでも一応日中のプラス分があるので一日としてはまだプラス収支なのでナイス損切り、と思っていた。ところが案の定、これを書いている現時点で損切りしたところから30ピップス以上も上がり、結果的にそのまま持っていればかける5なので100ピップスぐらいは取れてた……。うむむ。しかしながらあそこで損切りをしていないとそれから1時間半ばかり上がらずに揉まれていたので相当なストレスになったはずで、たぶんどっちにしてもプラスに抜けたところで利食いするのがメンタル的には精一杯だったと思う。うーん、このメンタルの弱さだとどうしても中期的なポジションを持つことが出来ない。昔は出来ていたんだが……。

メンタルといえば、このところは「大江健三郎自選短編」と安部公房の初期短編集「無関係な死・時の崖」を交互に読んでいるのだが、どっちを読んでも憂鬱になってしまうのは何故か。どちらも半端なく好きな作家なのに。少し軽いタッチの短編を読んでもそれなりに気が滅入るので始末が悪い。もしかして今は何を読んでも憂鬱になるのだろうか。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク