10月27日、土曜日。
どこかの中小企業に勤め始める夢を見て11時15分起床。夢の中でも遅刻して怒られた。今日は亡父の誕生日。仏壇に父の煙草を供える。父は何よりも煙草が好きだった。今まで父の誕生日や命日に、なんで煙草を供えることを思いつかなかったのだろう?
— Sukeza (@anykindoflove) October 27, 2018
実際のところ、煙草を吸えないのなら死んだほうがましだと言い切った父と比べて、僕にとって煙草はどれほどの位置を占めているのだろう? 煙草の本数をコントロールしようと、吸うたびに時刻を手帳に書き留めてはいるが、逆にそれ故になんだか煙草を吸うために生きているような気すらする。そして、煙草を吸えるような人生こそが豊かな人生なのだと、4ヶ月の禁煙を辞めたときに思ったものだ。しかしながら、あらゆるものよりも煙草を優先させているかというと、いささか疑問の余地があるような気もする。一方で、生豆から自分で煎って淹れている珈琲ですら、煙草を美味しく吸うために飲んでいるような気もするのだ……。
煙草といえば、いつも行くスーパーのレジのおばさん連中にすっかり顔と煙草の銘柄を覚えられてしまい、少なくとも3人は「煙草お願いします」と言うと番号を言う前に自動的に「黄色い奴だよね」という具合。どうやら僕は黄色い煙草を吸う人として認識されているようだ。
本日の業務。単発→5連→3連という具合にいささかしょぼい気がしないでもないが、明らかに期待値マイナスのネタで7000発の勝ちというのは悪くない。それにしてもまったくの運任せ。そんなものはとても業務とは呼べないが、一応業務マインドでやっているというところがミソ。何はともあれ、集中力が一番大事だ。何をするにしても。
夜になって左胸が痛い。これもまた煙草のせいなのだろうか。