Screwed up

11月12日、月曜日。

今日は相場でへまをやった。昨日の習いで行くと今日は禍福の「禍」の順番なのかななどとも思ったが、別に不運でも不幸でもなく、ただ単にへまをやっただけだ。ひとつは単に迂闊だっただけのボーンヘッド、もうひとつは例によっての取り損ね。これだけへまを重ねて結果一応プラスだったのだから、不運というよりもむしろ幸運だったのかもしれない。

今日はまだもうひとつ仕事が残っている。結構な大仕事だ。それは今すぐに寝るということである。というのも、明日は朝8時半から県立中央病院で母が点滴を受けてCT検査を受けるので、自分的には尋常じゃない早起きをせねばならない。何しろこの一週間、10時前に起きたことがない。多少遅れることは刷り込み済みだが、少なくともCT検査の前までには到着しなければならない。造影剤の同意書を書かなければならないから。一応7時半と7時45分にアラームをセットしているので、起きることは起きると思うのだが。

もう0時を回っている。予定では0時に寝る予定だったのだが、またしても迂闊なことに昨夜から見始めたデヴィッド・フィンチャー監督「セブン」をつい最後まで見てしまった。見るのが3回目なのに。またしてもへまである。まあとりあえずは1時半までに寝れれば上等という感じか。そんなわけで飲めない寝酒をもう飲み始めているのだが果たして。

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禍福

11月11日、日曜日。

昨夜はあれから、茶の間のコタツで手に汗握りながらACL決勝第2戦のペルセポリス対鹿島の試合を見た。カクテル光線の下、10万人のブブゼラの音で何も聞こえない中でプレーする選手たちを見て、改めてプロのサッカー選手のメンタルって凄いなと思った。GKのスンテがとにかく凄かった。あのプレッシャーの中でことごとく止める。伊達にACLを2度取っているわけじゃないんだなと。試合はまったくもって鹿島らしい試合運びでスコアレスで終わらせて優勝。しかし、最後の最後まで安心しては見ていられなかった。アディショナルタイムが残り15秒になってようやく、さすがに15秒で2点は入らないだろうと思った次第。深夜に絶叫しまくり。とうとうACLが取れた。感無量。大会MVPは鈴木優磨になったが、個人的には前述のスンテ、あるいは決勝第1戦で顔面ブロックしたスンヒョン(あれですべてが変わったと思う)、もしくは5得点したセルジーニョ辺りでもよかったかなと思う。スンテとスンヒョンにはいくら感謝しても足りないくらい。

そんなわけで深夜2時過ぎに大喜びしていたんだけれども、一方で母のことを考えると自分だけがこんな風に幸せでいいのだろうかという思いもまたあった。

なかなか試合の興奮冷めやらず、3時半ごろに寝たので当然のように11時半起床。本日は4時半に精神科の予約があるので、その前に母のところに行くにしても時間が余る。さてどうしようかと思いながらひとまず時間潰しに業務に行ってみる。すると、打ち始めて2回転だか3回転で確変が当たり6連チャンというあまりに嘘くさい展開になったので即ヤメ(なんだか気味が悪いくらいツイているので)、そのまま母のところに面会に行った。

すると、今日の母はまったくもってフツーーーーの顔をしていた。喋る言葉もはっきりしていた。昨日点滴を終えて出てきた母は明らかに目つきがおかしかったので、一夜明けてそれがまるで嘘のように、ちょうどいびきをかいてひたすら寝続けていたここ三日ばかりの前の状態に戻っていた。ことここに至って、ようやくほっとした。昨夜0時を境に、物事はなんだか嘘くさいぐらいに好転していた。10日から11日になった途端にいいことづくめ。禍福はあざなえる縄の如しというが、それにしても……。不思議なことに、母は昨日のことをまったく覚えていなかった。救急車に乗ったことも病院で点滴したこともまるっきり覚えていなかった。同じく不思議なことに、三日前に弟が来たことは何故か覚えていた(だが昨日弟が来たことは覚えていない)。

弟に電話をして母と話をさせながら、なんだか万事がすべていい方向に向かっているような気すらした。しかしながら、肝心の母の左足のむくみと傷はまったくよくなっていないのだ。もろ手を挙げて喜べるわけではない。

4時半ちょっと前に精神科に行くと、待合室では誰も待っていなかった。なんだか上手く行く日はなんでも上手くいくのかな、などと思った。それでも誰も待っていないのに30分近く待ったのだけれど。

ともあれ、昨夜0時からの不思議な流れを追ってみるに、人生悪いことばかりがひたすら続くわけではないのだな、という風には思った。とはいうものの、まだまだ僕は半信半疑である。根がどちらかというとペシミストだから。少なくともオプティミストではない。せめて昨日の夕方の時点で母が今日ぐらいの感じになっていれば、鹿島が優勝したときにもっと喜べたんだがなと。

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霹靂

11月10日、土曜日。

今日、母が倒れた。

昼過ぎに特養から電話がかかってきて、母が昼食後に意識を失って冷や汗が凄いというので、救急車を呼んでもいいかということだった。車で特養の母の部屋に行くと、救急隊員たちがストレッチャーに母を乗せるところだった。気のせいか、母の髪が一気に白髪になったように見えた。救急車に乗るころには母の血圧は50台まで下がった。どこの病院に運ぶかということで、心臓血管外科にかかっている県立中央病院に運んでもらうことにした。僕も救急車に同乗するように言われたが、帰りのこともあるので自分の車で病院に向かった。

バイパスを走りながら、ありとあらゆる最悪の想像をした。亡父に母を助けてくれるよう何度もお願いした。病院の救急救命センターに着いたときには母はもう診察室の中だった。待合室で待っていると、付き添ってくれた看護師が出てきた。心電図やCTなどの検査をしているという。しばらく待つ。一体どれぐらい待っただろうか、診察室にようやく呼ばれて入ると、当番医から検査の結果心臓にも脳にも病状はないということだった。感冒症状(つまり風邪)と脱水症状が見られるので、そういうことが複合して起きたのではないかと。血圧は130台に戻ったという。それを聞いてほっとした。母は点滴を受けていた。入院はせずに点滴が終わったら帰っていいということだった。母はちょっと話しかけてみても具合が悪そうだった。むくんでいる足が痛いと言う。点滴に1・2時間かかるというので後はひたすら待った。病院に向かうときに電話をしておいた弟が仙台からやってきた。病院内のスタバがやっているというので、ラテを買ってきて駐車場の車の中で煙草を一服した。戻って10分後ぐらいに母は車椅子に乗って出てきた。すっかり憔悴しているように見える。話しかけても目つきが少し変だ。精神的にも調子が悪くなっているようだった。母を特養の車に乗せると、外はもう日が翳っていた。そして、帰り道にはもう真っ暗になった。

帰宅したときにはすっかり疲れ果てていた。昼食を食べる時間がなかったので、5時半ごろに蕎麦屋に行って早めの夕食を摂った。今日は起きたのが11時過ぎだったのに、肩が尋常じゃなく凝っていることもあって疲労から8時ごろにはもう眠くなった。ところが今日は(というか明日はというか)、深夜0時にACLの決勝2ndレグ、ペルセポリス対鹿島の試合があるのだった。そんなわけで風呂に入って、決勝が始まる前にこの日記を書いている。

それにしてもまったく、今日がこんな日になるとは思わなかった。一夜明けてどんな日になるかなんて、その日になってみないと分からない。それにしても最近、気がつくと看護師の子と一緒に過ごす時間が多い。

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極私的センチメンタリズム

11月9日、金曜日。

大概の場合、センチメンタリズムは私的なものである。そして日記もまた、極私的なものだ。だからそこに客観性はそれほど必要ない。ときと場合にもよるが。もしくは書く目的にもよるが。

20年前、このサイトを立ち上げてちまちまとHTMLを書いて更新していたころは、それを読んで何百キロも遠くの人が自分に恋をするなんて想像もつかなかった。本の中にしか登場しないはずの人物からメールが届いたり、(僕以外の)誰もが知るバンドのギタリストからメールが届いたりするなんてことも想像できなかった。最初はグーグルなんてものはなく、検索エンジン(ヤフーぐらいしかなかった)は誰かの推薦がなければ登録できなかった。業界の人間に知られると嫌だからというので、わざわざヘッダーに検索ロボットを回避する一行を入れてたりした。つまり今でいうSEO対策とまったく逆のことをしていた。今でいうググって出てくる数なんてたかが知れていた。数えるほどしかなかった。だから自分と同じようにネット上にサイトを持っている人と繋がるのは結構簡単だった。メールをやりとりして電話で話したり実際に会ったり、住んでいるところが近い人とは一緒に食事をしたり、文章が上手いなあと思っていた京都のゲイの人に歌詞を頼んだりした。それは現在のように誰でも書けるブログが無数に存在しているのとは違って、ぽつんぽつんと存在する点と点を結ぶようなことだった。

そんなわけだから、神戸のケイが写真を送ってきたとき、なんでこの子はポーズを取っているんだろうと不思議に思ったものだ。僕はまだ、彼女が僕に恋をしていることを知らなかった。ケイはジノ・ヴァネリの「I Just Wanna Stop」のコードが知りたいとメールしてきた。だから譜面を書いてファックスで送ったのだった。いくら彼女の実家が東京だからといって、まさか神戸から用賀までやってくるとは思わなかった。そもそも彼女は人妻だった。

そんな風にして僕らの遠距離恋愛は始まったのだったが、当時はまだMDというメディアがあって、ある夏の日にケイが送ってくれたMDにこの曲が入っていた。

実際のところ、センチメンタリズムに浸ることなど簡単だ。なんかのスイッチを押せばそれでいい。今ならそれはマウスかスマホだ。

こんな風にして、クリックひとつで思い出すことができる。自分の代わりに、必ず誰かが覚えていてくれる。

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母は今日特養のかかりつけの医者に診察してもらい、風邪と診断されたそうで、風邪薬と抗生剤が出たそうだが、風邪に抗生物質が効かないことはいまどき誰でも知っている。今日も母は見るからに具合悪そうで、食事もほとんど摂っていないし、水さえもなかなか飲もうとせず、ひたすら寝ていた。

そういえば昨日弟が持ってきた先日の甥っ子の結婚式での写真を見ると、僕は昔のようにがりがりに痩せておらず恰幅がよくなったものの、思ったほど見てくれは老け込んでいなかった。ただそれが実際そうなのか、それとも写真だからなのかは分からないし、多分にこの5年で自分は途轍もなく見た目が老け込んでしまったと思っていたせいかもしれない。

今日が昨日ではないように、今の僕は20年前の僕ではない。あなたが20年前のあなたではないように。

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Something, kinda love

11月8日、木曜日。

夜、久しぶりにビートルズを聴いた。日付が変わると同時に全世界同時発売でホワイトアルバムのスーパーデラックス版が出るというので、ホワイトアルバムの冒頭を少し。正直なところ、アルバムの1曲目が「バック・イン・ザ・USSR」ということも忘れていた。いつごろからビートルズを聴かなくなったのだろう? 確か20代の中頃までは、毎年大晦日に帰省するとアナログのベスト盤(赤い奴と青い奴)を全曲通して聴いていたものだ。いつしかその習慣もなくなってしまった。たぶん、ビートルズはイントロからエンディングまで全部知っている気になってしまったのだろう。

高校のとき、山形市内の名画座でビートルズ映画の三本立てをやっていて、入れ替えがなかったので二回し、つまり六本続けて見た。僕がビートルズを聴き始めたころ、ビートルズは既に解散していた。小学校まではほとんどクラシックしか聴いたことがなく、中学に入ってから何故かマカロニウエスタンのサントラ(つまりエンニオ・モリコーネ)を聴くようになり、その次に聴くようになったのがビートルズだった。最初はポール・マッカートニーが好きで、生まれて初めて買ったシングル盤もポールの「Live and Let Die」だった。それが気がつくとジョンの方が好きになっていた。たぶんこういう経緯は大方のファンに共通したものだろう。ジョンが射殺されたとき、僕はそれほどショックを受けなかった。世の中というのはそういうことが起こり得るものだと思っていた。三島由紀夫の割腹自殺も、岡田有希子の飛び降り自殺も、そういうことがあり得るのだと思った。むしろベルリンの壁が崩壊したときの方が不思議な感じがした。例えば9.11とか、にわかには信じ難いことも眼前で起こり得るのだ。それは東日本大震災も同じだ。結局のところ、現実というのは何でも起こり得るのだ。

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夢を見ていた。何の夢だったか。それほど悪い夢ではなかった。何か曲を作っている夢だったか。いずれにせよ10時過ぎに目が覚め、起きようと思って起きたら1時間ワープしていて11時15分だった。

朝食後、相場のトレードをしていると弟から電話がかかってきて、今日こちらに来るということだった。弟は先週末から今週はずっと休みを取っているらしい。2時過ぎに弟夫婦が仙台からやってきた。昨日作ったコタツが役に立った。弟夫婦は母に面会に行き、僕は煙草一本分遅れて合流した。すると母は寝ていた。弟夫婦が来ているからと母を起こすと何やら様子が変だった。まったく呂律が回らないし何を喋っているのか分からない。それに、母は目を開けて起きているのにいびきをかいていた。これは非常にまずい状況なのではないかと思った。一体全体、何がどうしたのか分からないが、何かよろしくないことが起こっている。先日病院に一緒に行った看護師がやってきて熱を計ると7度1分あった。昨日インフルエンザの予防接種をしたのでその影響ではないかという。いずれにせよ特養のかかりつけの医者は今日は休診日だという。母は相変わらず目を開けたまま大きないびきをかいている。最初に部屋に入ったときには横を向いていていびきをかいていなかったので、横を向けてみるといびきは少しましになった。弟夫婦は母を心配しながら仙台に帰っていった。僕も帰宅したが、母のことが気になってどうしようもなく、夜にもう一度見に行くことにした。スパゲッティを茹でて早めの夕食を済ませて6時半過ぎに行き、特養の職員からあれから熱が7度7分まで上がったということを聞く。部屋に入ると母は横を向いて眠っており、いびきはかいていなかった。僕は起こさないように黙ってベッドの脇に座っていたのだが、母が目を覚まし、喉が痛いという。やはりインフルエンザの予防接種が原因っぽい。前述の看護師がまた顔を出す。そのうち母は仰向けになって寝ると、また日中のような大きないびきをかいた。どうやら仰向けになるといびきが出るようだ。僕はじっとベッドの脇でスマホでニーチェを読んでいた。するとまた母は目を覚まし、いびきをかきながら何事が言うので聞いてみると「心配しなくていい」と言っていた。母はまた横を向いたがまだいびきをかいていた。しかしそれも次第に治まってきた。8時になると玄関が閉まるので、7時45分に特養を後にした。駐車場の車の中で、オロナミンCを飲んで煙草を一本吸った。夕方弟がLINEで母を心配していたので、様子を電話で知らせなければならないがなんだか気が重かった。帰宅後、台所で珈琲の生豆を煎り始めて、また煙草を一本吸ってから弟に電話した。

今日がこういう日になるとは、昨日は思ってもみなかった。つまり、明日がどういう日になるのかは明日になってみないと分からない。

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コタツ

11月7日、水曜日。

今日は茶の間のコタツを作った。若干早いかもだが、いまだに座布団が夏のままになってたし、どうせいずれ作らなければならないから。正直な話、弟とその家族を除けばもう何年もうちに上がる人なんて誰もいないんだけれども。茶の間の使用頻度自体、大画面のテレビを見るとき、つまりサッカーの試合を見るときぐらいしかない。最近はJリーグの試合はPC(DAZN)で見るので、代表の試合を見るときぐらいになってる。あとはACLとか。

せっかくコタツを作ったので、午後早速コタツで昼寝を試みたが、なんていうかそれほど快適とは言えなくて必ずしもコタツが昼寝に適しているとは思えない。で、学生時代にサークルの同級生のアパート(江戸川区の平井にあって1階はヤクザの事務所だった)に泊まったときにコタツで寝たことを思い出した。

10時4分起床と今週は似たり寄ったりの時間に起きている。で、相場で勝ち逃げして業務で負け逃げしているというところまで似てる。実際のところ業務に関してはハナから期待値がマイナスだと分かってるのでツキ次第というか単に手持ちの玉を打っているだけに過ぎない。とはいうものの、脳内で換金するとなんだか非常に無駄な行為を毎日やってる感はあり。しかしながらこのところ、東京時間のレートがあまり動かない時間をずっと相場のチャートを見て過ごすということができなくなってる。というか、前はなんでできていたのか。ポジションを持っていれば別だけれど、生来待つということが苦手であるので。

今日の母は僕がいる間ずっといびきをかいて寝ていた。その間、スマホでニーチェの「善悪の彼岸」を読んだ。ニーチェを読むのは実はこれが初めて。そういう意味でなかなか新鮮。これまで哲学書を読んで物凄く影響を受けたり感化されたことは一度もない。たぶんそれは自分の理解度があまりにも低いからだろう。自分はどちらかというと言葉に影響されやすい人間だとは思うのだが。いまだに電子書籍を読むということに慣れておらず、紙の本を読むよりも疲れるというか、どの程度読んだのか感覚的に掴みづらい。いずれにせよ、年齢とともに読解力は随分と落ちていると思う。つまらない、どうでもいいことは覚えているのだが。

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What am I watin’ for

11月6日、火曜日。

10時19分にドアチャイムの音で起こされる。出てみると奉仕活動云々というので即ドアを閉める。むかついたが寝直す感じでもないのでそのまま起床も眠かった。しかし今見ると昨日と1分しか違わないんだな。アメリカの中間選挙を控えているので基本相場は様子見。なかなか手を出せず。なので業務に行ってみるが2時間当たらず、寝不足で頭の鈍痛が治まらないので帰って昼寝。4時半に母のところに。母はむくんでいる左足の傷を痛がる。しかし僕にはどうしようもない。何もできない。

というわけでJリーグ、柏 2-3 鹿島。ACLの決勝第2戦を控えているので、鹿島は決勝第1戦から全先発メンバーを入れ替えて完全ターンオーバー。幸先よく金森のゴールで先制するも、柏のえーと誰だっけ、フォワードの誰かに2点決められて2-1と逆転を許すが、コーナーキックから町田のヘディングで2-2に追いつく。すると後半、山口一真のプロ初ゴールで2-3と勝ち越し、これが決勝点となった。残留争いしている柏にはいささか申し訳ないが、全とっかえのメンバーで勝てたのはでかい。そういえば前節もほぼ同じメンバーで勝てたし。後は今週末のACL決勝アウェイ戦を待つのみ。

なんだか今日は妙に疲れてる。日中は寝不足の頭痛がなかなか引かなかったし。夜、YouTubeでなんとなく見始めたプロ麻雀、見ているうちになんだか止まらなくなりそうで途中で一時停止。そういえば麻雀は恐らく25年ぐらいやってない。やりたいなあ。点数数えられないけど。相場は明日の昼に米中間選挙の結果が出るまでは手を出せないな。

何故かもう眠い……。

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Where am I going

11月5日、月曜日。

最近ほとんど業務日記みたいになっていたせいなのか、この日記の読者も激減してほぼ絶滅寸前のようだ。もっとも、読者が一人もいなくなっても、これは日記であるのだから、日記であるうちは書き続けることになる。それにフリーのアクセスカウンターがどこまで信用できるのかも少々怪しいところではある。

とりあえず、70年代のジノ・ヴァネリは最高と一言言っておこう。

10時20分起床。昨日の疲れがまだ残っていて、週が明けて今日が平日の月曜日なのだという感覚になかなかならなかった。なんだかよく分からないうちに一日が過ぎた。相場少々。業務少々。

例によって6時半近くに母のところに行った。次のCT検査は来週の火曜日(13日)になったということだったが、時間が驚くべきことに朝の8時半、検査前に点滴を1時間やるので午前中に終わらせるためだと思うがこれに間に合うように起きるのはどう考えても無理、なので点滴が終わってCT検査をしているころになんとか間に合うように行くことにする。途中で母の左目の半分が真っ赤になっていることに気づき、最近「ウォーキング・デッド」を見ていたせいもあって物凄くびっくりした。慌てて看護師を呼びに行ったのだが、これは内出血で眼科に連れていっても薬は出ないし放っておいても治るということだった。なんか最近なんでもかんでもゾンビに見える……。

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辺境の夜

11月4日、日曜日。

そんなわけで今日は仙台のメトロポリタンホテルで弟の長男、つまり甥っ子の結婚式だった。

9時20分にアラームで起床、10時過ぎにホテルをチェックアウトしてからちょっと道に迷ったりして会場のホテルに着いたのは10時半近かった。喫煙所で一服してロビーに出るとちょうど叔父(母の弟)と出会ったので一緒に3階へ。控室で親族の紹介(とてもじゃないが覚えきれない)、新郎新婦と親族の写真撮影、それから結婚式、続いて披露宴。どうでもいいが、甥っ子の同僚とか友人とか若い人が多かったのは当たり前だが、スニーカー(一応黒)を履いているのは僕だけだった。ここでもまた場違い感が凄い。20年振りに会った弟の嫁の姉(昔は美人だった)に34年生まれですよね?同じですよね?と話しかけられ、昔はキラキラしてましたよね、原宿とか……とあまりにもケレン味なく話しかけられてちょっと怖かった。これまた20年振りぐらいの披露宴はいろいろ趣向を凝らしているのでやたらと長く、幸せというものは随分と騒々しく疲れるものだった。なんだかんだで終わったのは3時半、身も心もすっかり疲れ果てた。

恐ろしく疲れ果てているのに、そのまま車を運転して帰らねばならない。幸いにして、48号線は上りは恐ろしく渋滞していたものの下りはそれほどでもなく、1時間半ほどで帰宅。帰り道、ちょうどこの町に差し掛かったところで見えてきたこの町の夕暮れは恐ろしく美しかった。昨晩から帰りたい帰りたいと思っていたので、ようやくうちに着いて物凄くほっとした。昨日泊まった部屋の少なくとも倍の広さはある台所で珈琲を淹れて飲む。やっぱりこの町が一番安心する、うちが最高だとは思うものの、どうもそれだけではない。なんだかとても寂しいのである。台所の散らかり具合すら寂しい。それはもしかしたら今日の結婚式で物凄くたくさんの人間と会ったからかもしれないが、どうやらそれだけではなく、もっと根源的なところにさみしい要因はあるように思われた。

6時半ごろに母のところに行って今日の結婚式と披露宴の写真をスマホで見せた。帰りがけにスーパーに寄ってオムライスを買って夕飯。夕食後の夜になって、先ほど感じた寂しさは突如として決定的なものとなった。物凄く寂しい。あまりにも寂しくて、到着時の安心感がどこかに行ってしまった。自分の住むこの田舎町が辺境に思えてきた。その、ただでさえ辺境の町にたった一人でいる、それが恐ろしいほど寂しかった。これは実に不可解だ。僕は18のころから、人生の大半を一人で暮らしてきた。つまり、一人暮らしの生活というのはむしろ僕にとってはデフォルトなはずである。それが何故ここまで寂しいと思うのだろうか。

結局慣れるまでに少し時間を要した。とりあえず何かに没頭する必要はあった。それで例によってBABYMMETALの動画を延々と見たり、「ウォーキング・デッド」のシーズン1を見たりした。そうやってようやくこのうちに一人でいることに少しずつ慣れてきた。「ウォーキング・デッド」のシーズン1を最後まで見て面白かったが、やっぱり昨晩、深夜の仙台の繁華街を徘徊する人々が怖かったのは、ゾンビに思えたからなのだなと。要するにちょっとした対人恐怖症のようなものかもしれない。20年振りに会った同世代女子に異様に元気よく話しかけられて怖かったのもそういった対人ストレスなんだろう。その一方で、誰もいなくなった途端にウサギのように寂しくなるのだから人間というのは厄介なものである。

ひとまずこの二日間で分かったのは、今の僕に欠けているのは社交性とか協調性というよりもむしろ、社会性とか常識といったものじゃないかということ。とにかく疲れた。

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仙台の夜

11月3日、土曜日。

仙台の繁華街のど真ん中にあるホテルの狭い部屋でこの日記を書いている。考えてみると、仙台に泊るのは生まれて初めてかもしれない。中学生のころから今まで、仙台に来たのはすべて日帰りだった。

前述のように繁華街のど真ん中にあるので、深夜まで往来は人でごった返している。チェックインして食事をとろうと外を歩くと、通りを歩いているのが全部酔っ払いか娼婦か客引きのように見えてなんだか怖い。渋谷や新宿よりも、もちろん赤羽よりも、ニューヨークのマンハッタンのタイムズスクエア辺りよりも怖い。自分の場違い感があまりにも凄まじくて。考えてみれば渋谷でも新宿でもニューヨークでも、夜中に歩いている連中は皆自分のようによそものである感があって、そこまでの違和感というか疎外感は感じない。だが「男の案内所」とかがあり、その癖何をしているのかまったく不明な若い婦女子(大概独り)がほっつき歩き、どこから来てどこへ帰っていくのかまったく意味不明な若者たちがそぞろ歩く夜の繁華街は、なんだか見知らぬ祭りに迷い込んだような気がして実に居心地が悪い。夜も更けてから一階のセブンイレブンに買い物に出ても往来の人通りは一向に衰えず、一体こいつらはこんな時間に何をやっているのかと不気味に思え、ちょうど今見ている「ウォーキング・デッド」のゾンビのように見えてしまう。ひとつには、この部屋がこれまで泊まった中で歴代最低級に狭いせいもあるのかもしれない。うちの玄関ぐらいしかない。それもまた、居心地の悪さに拍車をかけている。

泊ってもすることがないのはハナから分かっていたことで、だからこそイヤフォンを買い直したり、ノートPCやタブレットを持っていけるようにリュックを買ったりしたのだが、それにしてもこの妙にざわざわする不安感は一体何なのかと思ったが、さっき夕食後の薬を飲み忘れていることに気づいた。その辺もあるのかもしれない。ちなみに、飲食店は掃いて捨てるほどあるのに、僕のような者が一人で入れるような店などひとつもないように思えて、結局何年ぶりかで吉野家で食べた。すると、驚いたことに吉野家のメニューから牛丼というものが消えてなくなっていた。まったく、リップヴァンウィンクルにでもなった気分だ。どうでもいいけど夜はやっぱり静かな方がいい。自分の住んでいる田舎町がいかに平穏で安心して暮らせる場所であるのかということを、改めて痛感した。その分、何も起こらないのだけれども。しかし旅なんか最低だ、早くうちに帰りたいと思う。去年久しぶりに東京に行ったときはそんな風に思わなかった。たぶん僕は仙台の夜の繁華街が嫌いなんだと思う。なんだか本当に、自分と同類の人間がさっぱり見当たらないような錯覚にとらわれる。

母も武蔵浦和に来たときはこんな居心地の悪さを感じたのだろうか……。きっとそうなのだろう。

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それはともかく。

ACL決勝第1戦、鹿島 2-0 ペルセポリス(イラン)。

終わってみると快勝だが、今思うと序盤のゴール前でのペルセポリスの決定的なシュートをスンヒョンが顔面でブロックしたのがすべてだったような気がする。あそこでゴールを許していたら、試合はまったく違うものになっていただろう。特に前半はどこに蹴っても相手がいるような感じで、見ていても非常にやりづらそうだった。何はともあれ、2-0というスコアで勝てたのは大きい。次が10万人入る大アウェイであるのだから。

で、原尞「それまでの明日」読了。

とまあそんな感じで、作者がいまどき携帯(スマホ)を持っていない探偵をカッコいいと思っている(たぶん)という勘違いがすべてのような気がする。固定電話だけで仕事をしているというか、固定電話だけで生活している人間を見つけるのは、山形の片田舎であってもほぼ不可能。もう今から15年も前かな、六本木の交差点で公衆電話を探し回って10分以上探しても見つけられなかった。もう今はSNSの時代。知らないでは済まされない。

どうでもいいけど早く帰りたい……。

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