大寒

佐久間正英が亡くなった。61歳。業界時代に接点はなかったけれど、若くして亡くなる人が実に多いことにときおり気づかされる。ミュージシャンの訃報も多いし。僕の作家マネージャー時代の前任者であるNも40代で亡くなった。してみると、自分が今こうしてただ生きているということのみにも感謝すべきなのだろうか。考えてみれば一昨年、たまたま首のところに腫瘍が出来たので癌だと分かったが、あれがなくて手遅れになっていたら僕もどうなっていたか分からない。しかしながら、以前人間不死身説というのを書いたが、僕らはありとあらゆる要素が絡み合って、必然として生きている。僕らは所詮、自分が生きている世界、生き残っている世界でしか生きられない。だからそれは幸運でも僥倖でもない。同様に、若くして亡くなった人が不幸であるとも言えない。それはあくまでも生き残った人の感覚であり、感慨である。

夜、例によって何もすることが思いつかなくなり、というか何をしたらいいのか分からなくなり、コタツで2時間ちょっと午睡した。で、悪夢のようなものを見た。それほど怖い夢でもないがそれほどいい夢というわけでもなかった。近ごろ思うのだが、例え悪夢であっても何も夢を見ないよりはいい。なんていうか、そこでも、夢の中でも僕らは生きている。

昼寝から起きて、途中からではあるが台所でNHKの「プロフェッショナル」を見た。ロボット研究者の話だったが、本当に頑張っている人を見ると感動する。そういう人は決して諦めない。何年かかっても試行錯誤する。続ける。たぶんそれが努力というものなのだろう。

今日は大寒だったらしい。が、晴れ時々曇り、朝晩は冷えるが日中はそれほど寒くなかった。業務後、母の病院に向かう途中の外気温4度というのを見て、今日は暖かいなと思う。どうやら僕もようやく山形の寒さに慣れてきたようだ。

今日の母は落ち着いていた。相変わらず話すことは明瞭ではないが、今日はちゃんと起きていた。それだけでもちょっとほっとする。途中、内科に呼ばれたので母を静脈血栓の診察に連れて行った。

業務では遂に3連敗。この連敗はことのほか応える。ネタもツキもない。だが、ツキなどを当てにしては生きていけない。それは向こうからやってくるものである。だから僕がやるべきなのはネタを探す努力だ。僕に必要なのは冷静さと非情さ。現実を見失わないこと。つまりは、無理やり現実を捻じ曲げようとしないことだ。

それにしても、僕の夜の迷走はいつになったら止むのだろう。途方もない閉塞感。毎晩毎晩煮詰まる。半端なく。このところは煮詰まって何も出来なくなったら、何も出来ないのだから何もしない、という風にして今日のように昼寝したりしているのだけれど、それは果たして方向性として正しいのかどうか。僕には前述のロボット研究者のような確固たる信念が欠けているのではないだろうかという疑念が常につきまとう。努力すべき方向自体を間違っている、あるいは見失っているだけなのではないか。だが一方で、自分ではそれなりに努力して、頑張っているつもりではあるのだ。だからそれなりに疲れる。これでも懸命に生きている。ただ、それでいいのだという確信が持てない。そこが苦しい。

それはそうと、昨日今日と二日続けて閉めたはずのガレージのシャッターが帰宅すると開いていた。まさか壊れたんじゃないだろうな。どういうわけだろう。出がけに閉まり始めたのを確認してから出ているのだが。


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