終の棲家

寒い一日、都心でも雪が降ったようだが。こちらは雪がときおりぱらついたが積もりはしなかった。とにかく寒い。明日も予報では最高気温が氷点下。

今日(4日)は父の命日。弟は11時半ごろに到着、僕がスパゲッティを作って昼食を済ませた後、2人でまずは寺へ。墓の周辺は雪が凄くて墓に辿り着けず、本堂の中にお参りすることにとどまった。そこから母の病院へ。昨日のベッドを一人で抜け出したことを訊ねると、独力でベッド脇の簡易トイレに行った後、水道で手を洗おうとして転んだようだった。見たところ、特に問題はなさそう。母のリハビリを見学した後、地域医療部で担当の師長と先日自宅まで来たケアマネージャーと町役場の担当者を交えて今後の話を相談。当初は言わないつもりだったが、まず病院に何か言いたいことがあるかと師長に問われたので、医師の言動・態度があまりにも酷いことを一通り一気に話してしまったが、それでどうこうしてくれというわけではなく単なる愚痴。それからようやく本題に移る。師長の説明によると、2・3週間とか1ヶ月で移れ云々というのは、個々の病院の役割というものがあって、今回の病院は2次救急病院に当たり、急性治療の病院から短期リハビリを目的とした回復期の病院、あるいは長期療養型の病院への橋渡し的、ハブ的な役割の病院になるからという説明だった。なので、2・3週間とか1ヶ月というのはあながち誇張ではないのだと。それで今後の移動先だが、回復期の病院は急性治療2ヶ月以内でないと断られるということ、長期療養型の病院は保険診療でもおむつ代その他をぼったくって入院費が倍近くになることが分かった(あくまでこの町の隣町の場合)。それ以外の選択肢は介護保険を使った施設ということになり、それには介護老人施設と特別養護老人ホームがあり、後者の方が安いのだがいわゆる「終の棲家」であり、誰かが亡くならない限り空きが出ず、順番待ちが何年という世界らしい。介護老人施設は療養型の病院よりは月々の費用が安く、候補に挙がったのは同じ町内で手術前まで母がデイサービスに通っていたところだが、こちらは冬の間だけ入っている人がいるので、春に空きが出る可能性とさくらんぼの季節(この辺りらしい)に空きが出る可能性があるということで、まずはそちらに先に申し込んでおくのが先決ということになり、療養型の病院は入院費は高いが1ヶ月ほどで入れるらしいので介護老人施設に入るまでの場繋ぎ的に入ればいいので、まずは施設への申し込みを先にすることにした。

というわけでその場で師長に連絡してもらい、弟と介護老人施設に行き、説明を聞いてから申し込みを済ませ、部屋を見学した。ちょうど夕飯時で、食堂に大勢の車椅子の老人が集まっており、去年母が入院していた精神病院を想起させられた。部屋はちょっと広い病室という感じで、施設全体も広々とした造りにはなっているのだが、もしかしたらここが母の終の棲家になるかも知れないのだな、と考えると気分は重くなった。だが、以前精神病院に入院させたときのように、僕の感情的側面で考慮する事態ではもはやなくなっている。可哀想とかそういう感情をある程度抑えて物事を進める局面になってしまっている。

介護施設を後にして帰宅するころにはもう夕飯時になっていた。弟は仙台に帰っていった。そんな感じで一気に物事を進める展開になったこともあり、今日は精神的にも物凄く疲れた。10時ごろに物凄く眠くなり、少し寝ようと携帯のアラームをかけてソファで寝たが、一度アラームで起きたもののそのまままた寝てしまい、目が覚めると1時を過ぎていた。何故かその間、いい感じの夢を見た。

なんだか、物事に否応なく流されていく感じがして、それは去年の今ごろ、父が亡くなったころにどこか似ている。必死で現実についていく側面と、ある種の諦念と、母のことを考えると寂しさというようなものが同時に僕の中に混在していて、正直疲れ果てている。なんていうか、結局はしょうがないというところで物事や現実というものは進んでいくのだなあという感慨を抱く。当面はすべてに必死になって生きていくしかないのだろう。弟と話して、繋ぎで次に行く療養型病院への申し込みはそんなに急がないでいいだろうということにはしたけれど、それもすぐに病院からせっつかれるだろう。

明日は僕自身の病院、CTの検査。なんだか忙しい日々。


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