忘れない

FXでポジションを持っていると、数字ばかりが気になって何も手につかない。どうにも落ち着かず、気もそぞろでそわそわしている。機械的にこなす家事とかは出来るが、頭の中が相場の上がり下がりだけになってしまう。夜はそんな感じだった。振り回されている感強い。

東京は明日また大雪の予報だが、こっちは明後日からの土日が雪みたいだ。冬が来る前、雪に対して物凄く憂鬱になっていたが、業務の途中に休憩で外に出て、遠くの山並みや雪景色を見ると一体僕は何を怖がっていたのだろうと思う。

また眩暈。どうやら煙草が20本に達すると眩暈がするようだ。最近、朝起きるのが早いせいもあって、日中の煙草の本数が増える傾向にある。

今日も昼は安定剤を抜いてみた。確かに異常に眠くはならなかったが、安定剤を飲まない影響だろうか、立ち回りもブレたしやたらとツキがなかった今日の業務は途中から物凄く精神的に辛くなった。隣の人が異常にツイていたせいもあるだろうが、それにしても辛かった。単にツキのなさとかばかりではなくて。なんていうか、嫌だったな。途中から凄く嫌になった。なんでこんなことやってなきゃいけないんだ、みたいな。母の病院に着いたころには顔も痺れたりしていたので、抑うつ状態だったのだと思う。やはりまだ昼夜の2回飲んだ方がいいのだろうか、安定剤。

母は認知機能障害が見られる。父の戒名を何回教えてもどうしても覚えられない。途中から苛立ちを覚え、それから悲しくなった。もしかしたら母は僕のことも忘れてしまうのだろうかとふと思った。帰り際に僕はいつも母の頭を抱き締める。一度帰りかけて戸口のところで足が止まり、僕はベッドのところに戻ってもう一度母の頭を抱き締めた。すると、母は一言、「忘れないよ」と言った。それは父の戒名のことではない。僕のことを忘れないと言っているのだった。

何をやっても上手く行かない日、夕食後に心の中で亡父に問うてみた。すると、頭の中に返ってくるのはすべて優しい言葉なのだった。父は本当に優しい人だった。僕と父は十分なコミュニケーションを取ったとは言えない。父は僕を許すとき、優しい言葉をかけるとき、滅多に笑わなかった。そういうときはいつもむっつりした顔だった。それが父のスタイルであり、矜持だったのだろう。今思うと、本当に優しい人だった。

ときどき、波のように間歇的に悲しくなる。辛いとかそういうんじゃなくて、悲しくなる。自我の中で、主観的視野とか物事との距離が遠ざかったり近づいたりしながら僕は生きて、ときおりセンチメンタリズムに埋没する。埋もれる。だが人間はずっとそんな気分では生きていけない。それと同時に、まったくクールに即物的にも生きていけない。やはり人間とは、感情的な生き物だ。

寝る前に読んでいるジェイムズ・エルロイの「アメリカン・タブロイド」、たぶん今夜で読み終わるだろう。次に読むのはカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」。カズオ・イシグロは好きな作家だけれど、この小説は介護とか施設とかが重いような気がしてずっと敬遠していたが、今は逆にそれだからこそ読みたい。


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