夢から覚めない

久々に晴れて道路の雪も融けたのだが、夕方になってまた雪が降ってきて寒くなった。スパゲッティの夕食後、あんまり寒いので寝てしまうのを覚悟で茶の間のコタツに移動。すると、目が覚めると11時近かった。なんと4時間近くワープしてしまった。唖然。

で、夢を見た。悪夢のかたちをしていたが、悪い夢ではなかった。僕には恋人のような女性がいて、その女性は脳死状態で脳だけ保存されている。癌かなんかなのだが、保存されている脳にいちかばちか何かを施すと(その辺のディテイルは忘れてしまった)意識が戻るので、その何かをやろうかと試みる夢だった。もちろん、現実の僕にはそんな存在はいない。昔のSFのような悪夢だけれど、名前も定かでないそういう存在がいる(或はいた)というだけで悪い夢ではないような気がした。そこには微かに希望のようなものがあるように思える夢だった。

4時間も寝たというのに、かえって眠くなるというのはどういうことだろう。実際問題として、今日の夜の大半を失ってしまったようで、夢を見たお蔭であまりそういった喪失感のようなものはなかった。大体において、起きていてもさしてやることもないのだ。

昨日1日休んだせいなのか、業務→母の病院→自分の精神科という流れは思いの外疲れた。業務に関しては例によってただ流しているだけだし、母の病院にそれほど長くいたわけでもないのだが、業務から病院というのはそれなりに疲れることが改めて分かった。時間の配分とかに神経を使っているせいもあるのだろうか。気分的にはまだ休日モードだったのだが、夕方帰宅するころには今日が日曜日であることすら失念していた。

今日の母は病院に着いたころは比較的穏やかな表情をしていてちょっと安心したのだが、エレベーター前のロビーまで歩かせて椅子に座らせると、母はどこかあらぬ方向に視点を向けて放心しているように見え、そういった母を見ると何を思っているのか、どういう風に生きているのか皆目想像がつかず、なんだか少し辛くなってくる。今の母の楽しみというものはどこにあるのだろうか、それとも何もないのだろうか、とかそんなことを考える。そうしていると携帯に弟から電話がかかってきて、弟の次男が第一志望の国立大学に合格したとの知らせ。放射線技師を目指しているようだ。若くて、これから堅実に生きていこうとするのが羨ましいような、それに比べてこの僕はなんと好き勝手に自堕落に生きてきたのだろうかと思う。そこには埋めようのない落差があり、僕は自分の人生というものに酷い失望と落胆を覚えそうになるが、一方で僕は所詮堅実に淡々と生きることなど出来ない人間のようにも思える。つまりもう一方ではこれでよかったのではないかという思いもある。

なんていうか、僕はいまだに長い長い夢から覚めていないような気がする。そして、人生というものは案外とそういうもののようにも思える。今の母は確かに何を考えているのかさっぱり分からないけれど、母もまた、長い夢を見ているのかも知れない。

すべてがどうでもいいように思えてくる。それは投げやりではなくて、ひとつの肯定である。

そういえば昨夜、日記を書いてから3時近くまで本田先発のミランの試合を前半だけ見た。本田はある意味積極的にプレーしていたが、皮肉なことにそれがすべて空回りしていた。自分をアピールしようとゴールを狙える位置にポジションを意図的に取るのだが、ボールが回ってこない。チームから信頼されていないのが露骨に分かる。チームに入れていない。逆に、基本のポジションである右サイドにいるときにがつがつと行っているかというとそうではなく、結果、セルフィッシュにプレーしていることがすべて空回りしている。代表のように放っておいてもボールが集まって来るわけではない現状で、今のような姿勢でプレーしても今日のイタリアメディアのように存在感もやる気もないと酷評されるだろう。もっと目に見える必死さが彼には必要だと思う。ただゴールひとつ決めればいいんだろ的なプレーをしてもダメで、それを続けていると出番が減るだけだろう。実際、コーナーキックひとつ蹴るときでもやる気が伝わらないし、怖くない。同じ右サイドのデ・シーリオの方がずっと必死にプレーしているように見える。デ・シーリオの方がずっと走っている。試合の録画を見ればそういったことに気づかない本田ではないとは思うが。何故自分がこんなにもメディアに叩かれるのか、まったく評価されないのか、そろそろ気づいてもよさそうなものだ。


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