ロング・グッドバイ

朝からダメ。昨日のダメージから立ち直れてない。一応身体は動いているものの、精神的には死んでいる。一応業務に行くものの、4時間ほどであまりのストレスで逃げ帰ろうと思ったが、実際は泥酔した酔っ払いのような状態で帰宅。終日頭痛に悩まされる。

夜、他人の顔を被って少し足を引きずりながら向かいの障害者施設のベンチでオレンジのスパークリング・ウォーターを飲む。酷い気分だ。秋の虫が控えめに鳴いている。遠くで電車が無慈悲に走り、どこかで必要以上にスピードを上げて車が走り去る。僕は両手で顔を覆う。僕の中では「助けて」という言葉が増殖して溢れ出し、今にも破裂してしまいそうだ。しかし、誰かに「助けて」と言うと、とても、とても酷いことになる。昨日がそうだったように。足元の地面には青い草と同じぐらいの分量の枯葉がある。煙草を1本吸って、僕は何かを諦めたようにとぼとぼと戻る。途中の民家のガレージで、センサーが僕を感知してライトが点灯する。それがかろうじて僕が存在していることを示唆する。少なくとも僕は物理的に質量はあるようだ。明日はゴミの日なので、風呂に入る前にゴミを出す。出来ることなら自分もゴミ置き場にうずくまって、処理されるのを待ちたいところだ。しかし、明日の朝ゴミ処理の2人組がやってきて僕を見ても、一瞬はぎょっとしてもきっとこう言うだろう。「燃えないゴミは金曜日だよ。悪いけど」。そして口の端に侮蔑の笑みを浮かべるだろう。少なくともチャンドラーの小説ではそんな風になる。

そんなわけで、レイモンド・チャンドラー「ロング・グッドバイ」(村上春樹訳)読了。この小説に関して言うべきことはそれほどない。何故なら巻末に村上による過剰とも言える詳細な解説がついているし、この小説の出来がいいことは誰しもが知っていることだからだ。僕は清水俊二訳の文庫版を2度読んだし、エリオット・グールド主演の映画も見た。しかし、これだけぎっしりと中身が詰まった分厚い本を、2時間の映画にするのはそもそも無理だ。よく出来た小説というのは無駄がない。それがどんなに長い小説であっても。

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