啓蟄

3月5日、土曜日。

今日は啓蟄、冬ごもりの虫が這い出てくるという日である。実際暖かかった。この時間でも書斎の室温は14度もある。

二度寝三度寝して9時前に頭が痛くて起きる。寝過ぎの頭痛という感じだったが、昨夜寝たのは1時半過ぎなので実際はそれほど寝過ぎたというわけでもない。

例によって休日の午前中というものを持て余して業務に行く。しかしつまらない。今日のネタはそれほど悪くなく、ただの不ヅキであって昔であれば期待値を稼げたと満足していたかもしれない。だが本当に面白くない。なんというか、愛想が尽きた感。ただストレスが溜まるだけだった。

帰宅して何やら天気がよかったので玄関先の庭木の剪定をする。庭先には雪はもうほとんどない。日差しはぽかぽかと暖かく、作業後庭に腰掛けて煙草を一服した。やけに静かな午後だった。ときおり風の渡る音が微かに聞こえる程度。こんなに暖かいのであれば虫が出てきても不思議ではない。もうすっかり春の気配。それにしても今年の冬は雪が少なかった。

昨日特養から電話があってまだしばらくは面会制限なのだけれど、母の足のむくみのこととかもあるので二三日に一度であれば面会してもいいということだったので面会に行く。母の足は太腿の辺りまですっかりむくみきっている。少し母を歩かせた。今日の母は比較的よく喋った方だ。話すこともしっかりしている。ホールのソファに座っていた最近入所した認知症と思われる老婆は、片時も休まずひっきりなしにぶつぶつと独り言を言っている。そばにいる人は大変だなあと思う。先般の川崎の事件があっただけに。

日中は南向きの書斎なら暖房はいらないくらいだった。しかし北向きの台所とかは微妙に2・3度寒い感じがまだして暖房を入れてしまう。今日はどうしても鹿島の試合を見たくて、清水の舞台から飛び降りたつもりでスカパーオンデマンドのJリーグパックを契約してしまった。そんなわけで鹿島対鳥栖の試合を見た。まあ金崎がゴールして勝ったのでそれはよかったのだけれど、来週の鹿島の試合はNHKで中継があるではないか。なんか損した気分。

休み休み見ていたドラマ「世界の中心で、愛をさけぶ」、ようやく最後まで見た。後半から終盤にかけては典型的な難病ものになって、原作を読んだときも僕にはセンチメンタル過ぎると思ったのだが、ドラマ版はそれよりさらにセンチメンタルだった。

夜、大好きなコーエン兄弟監督の「シリアスマン」を見始めるが何故かいらいらする。主人公の周りで微妙に変なことが次々と起こり、確かにもぞもぞとした感覚は覚えるのだけれど、こうした映画を腰を据えて見れないところが今の自分の精神状態の悪さを表している。たぶん余裕がない。何をしていても常に頭の片隅に疑問符が浮かんでいる。

昨夜から読み始めた角田光代「八日目の蝉」も乳児を誘拐して逃げるという展開に心がざわざわして落ち着かない。なんだか嫌な感じばかりする。

こんな風に疑念ばかりが浮かんで精神的な余裕がないので、夜が更けてくると寝ることばかり考える。だからちょっとずつ一日の生活リズムが前倒しになっていく。かといって、前述のように相場のない休日の午前中は何をしていいものかさっぱり分からないのだった。もう何度も同じことを書いているが、今の僕は「休む」ということをすっかり見失っている。休み方が分からないのである。

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