5月6日、金曜日。
今昨日の日記のタイトル(ドカン)を見て唖然としているところ。昨日だったのか……。なんだか数日前と錯覚してた。ということは、二日続けて相場でドカン。日中は例によってコツコツとスキャルをして30ピップスほどではあるがプラスにしていたのだが、雇用統計後のぐちゃぐちゃで一気に沈没。指標時にスプレッドが物凄く開くので、それが普通に戻るのを待ってドル売りをかけたらその途端に反発を食らってまずドカン、その後は売っては上がる、買っては下がるという典型的なドツボにはまってボコられるパターン。気がつくとトータルで110ピップスのマイナスに落ち込み一日の損失限度額に到達して終わり。情けない。なんでこんなに難解な動きをするときに手を出してしまったのか。もう雇用統計直後にポジションを取るのをやめよう……。指標の数字が悪いと思い込んでしまった。実際悪かったとは思うのだが。何か今日の負けは納得がいかないというか、あまりの理不尽さに気が狂わんばかりになった。もちろんその大半は相場に対してではなく、自分自身の愚かさに対してである。
朝方二度ほど目が覚めたが起きたのは9時、起きてみると物凄く疲れていた。例によって前日の精神的ショックが身体に来たと思われる。と、今朝のことを書くと、昨日ボコられたことをようやく思い出す。なんでその感覚を忘れてしまったのか。たぶん、午後に昼寝をしたからだろう。正確には昼寝を試みたものの、妄想が渦巻くばかりでよく眠れなかった。それでも気がつくと1時間ばかり時間が過ぎていたので少しはうとうとしたのかもしれない。
それから母のところに行って。母は今日も二階の母の部屋からうちの木が見えると言う。見えるわけないのだ。距離的にも方角的にも。最近の母の被害妄想は例の着るものがないの他に、このうちの木が高過ぎて心配だというもの。木が高いと何が心配なのかよく分からないのだけれど、そもそも見えるはずがないものが見えると言い張るところに問題が。いまだに母の精神状態にはムラがあり、なかなか安定してくれないということか。
帰宅後はじっと雇用統計を待っていたのだった。そこまで我慢できるのだから、指標時にもただ様子見をしていればよかった。大体に於いて、雇用統計っていつも週末の夜だし。失敗するとどうにも取返しがつかない。週をまたいでまた気分を入れ替えなければならないが、今日のところはなかなか気持ちをリセットできない。こうやって日記を書いていると少しは頭が冷えるのだけれど。
冷えるといえば、今日は暑かった。これを書いている今、書斎の室温は23度もあるし、夕食にスパゲッティを茹でているときなんぞは台所が27度もあって驚いた。
それにしても、どうやって気分転換したものか。今読んでいるオルハン・パムク「黒い本」はなかなかに難物というか、改行が少ない長文でむしろ悪文と言ってもいいくらい、それでいて文脈が分かりにくいのでちっとも頭に入って来ない。訳文のせいもあると思うが。途中で投げ出してしまおうかと悩むことしきり。全然文章が違うけれどフォークナーの「響きと怒り」を読んだときに後半まではひたすら読むのが苦痛だったのとどこか似ているところがある。フォークナーのときは我慢して最後まで読んだら腑に落ちるところがあったので、今のところ登場人物の相関関係もロクに訳が分からないのだがそれでも機械的に読み続けている(だが苦痛だ)。たぶんこの分かりにくさは、ただ単にトルコの人名や地名に馴染みがないというだけではないと思う。多分に文体及び生硬な訳文のせいだと思われる。こういった読みにくい文章は決して褒められたものではない。とにかく親類縁者の登場人物が多いわりにはどれがどういう人なのかというところが分かりにくい。これはただ単に僕の読解力がないだけとは言い難い。こんなクソ読みにくい文章でノーベル文学賞を取ったのか。と、文句を言いながら果たして僕は最後まで読むのだろうか。