記憶

8月9日、金曜日。

母の顔が覚えられない。つまり今現在ジャストナウの母の顔が。5年前に母が特養に入ってから、死ぬほど体調が悪いとき以外は一日たりとも休まず、今日に至るまで毎日毎日母のところに面会に行っている。もしかするとあまりにも毎日会っているので、その間にほんのちょっと、少しずつ少しずつ年老いていく母の変容をすべて覚えられないということなのかもしれない。母の顔を思い出そうとすると、何故か自分が高校生のときに亡くなった祖母の顔が浮かんだりするのだ。そして、少し努力をして母の顔を思い出すと、それは特養に入る前の母、眼鏡をかけていたころの母だったりする。今日も1時間ばかり母のところにいて、ずっと母の顔を見ていた。今日こそはなんとかして今日の母の顔を覚えようとした。しかし帰宅すると、思い出す母の顔が一年前だったり、二年前だったりする。今現在のディテイルがどうしても覚えられないのだった。

考えてみれば人間の記憶なんていい加減なものだ。自分の最初の記憶は、うちの前の道に馬糞が落ちていたというものだが、この町に馬がいたという記憶はなく、牧場のようなものは最上川を渡ったところにしかないし、そこには恐らく牛はいるかもしれないが馬はいない。そもそも何故馬糞と認識したのかも定かではない。その次の記憶は幼稚園でおしっこを漏らしてスカートを穿かされたという記憶だ。うちは両親ともに教師だったこともあり、2歳のときから幼稚園に通ったので、そのころの記憶だ。たぶんこれは間違っていない。何故か幼稚園の窓から日が射しているのを覚えている。いずれにせよ、自分の記憶なんて実にスカスカなのだ。考えてみれば当たり前で60年生きて60年分の記憶があるとすれば、それを全部思い出すのに60年かかってしまうことになる。とすると、その思い出している60年間の記憶は……という具合にパラドックスになる。だから、すべてを覚えていることなど所詮無理だ。

つまり僕らの記憶というものは取捨選択されプライオリティによって選ばれている。それはいいのだが、それでは何故今朝見た夢の内容すら思い出せないのだろう? 数時間前に見た母の顔を克明に思い出せないのだろう? 単なる記憶力の低下、経年劣化という奴なのか。例えば弟の顔はすぐに思い出せるが、それが正確にいつごろの弟の顔かというと途端に怪しくなる。よくよく考えてみると、それが最後に会った一か月前の弟の顔とは限らないのだった。それは父の顔も同様で、僕が思い出す父の顔は晩年の父ではなく、もうちょっと微妙に若いときの父である。結局のところ、少なくとも人の顔の記憶というのは、いろんな時間軸の記憶がブレンドされて最大公約数的な記憶、つまり印象になっている。っぽい。

待てよ、そう言われてみればさっき風呂上がりに洗面所の鏡に映っていた自分の顔さえそれほど正確には覚えていないではないか……。

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今日もほとんど何もしていない。朝は固定電話が鳴って起こされた。シカトしているとそのうち切れたが、次に携帯にかかってきたので出ないわけにはいかなかった。病院から来週の母の入院の確認の電話だった。この、たかが数十分早く起こされたというだけで、なんだか少しばかり寝不足のような気がして、午後昼寝をしてしまった。そしてまたなんらかの夢を見たのだが、目を覚ましたときにはほぼ忘れていた。

それなりに相場のポジションを持ったが、落ち切るまで待てずに微益で利食ってしまった。しかしこれはしょうがない。米長期金利が上がっていたから。スキャルピングとしては切るしかなかった。

夜はベッドに横になって珍しく(つまり寝る前じゃないのにという意味で)本を読んだ。で、馳星周の小説なのに主人公が非情じゃないというだけでなんだかがっかりしてしまった。主人公が最初の殺人を犯すまでに100ページ以上かかるなんて。しかもその後震えて涙を流すなんて。想定外のセンチメンタリズム。

僕らは日々忘れている。いろんなものを。まあいい。すべてを忘れているわけじゃない。しかし、例えばひょんなときに、自分の人生とはほぼまったくかかわりのない中学の同級生(下の名前すら出てこない)の顔が浮かんだりするのは何故なんだ?

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全裸監督

8月8日、木曜日。

意志が弱い。驚くほど勇気がないし根気も根性もない。ただひたすらバテているだけ。あまりにもダルくて、起きて数時間は人間としてまるで役に立たない。かといってベッドに寝転がってもダルいからどうしようもない。というのが最近の日中の僕だ。煙草をやめられない晩年の父を意志が弱いとなじったことがあるが、もしかしたら父は意志が弱いのではなくてそれだけ煙草を吸うという意志が強かったのかもしれない。母はいつの間にか、トイレも全介助になってしまった。庭はすっかり荒れ放題。僕がうだうだと生きている間に、時はちょっとずつ流れているのだ。

さすがにこれではいけないなと思い、夜のニューヨーク時間から相場のトレードを全力でやろうと思っていたのだが、巷で話題のNetflixオリジナルドラマ、「全裸監督」が今日から配信というので見始めたらこれがやたらと面白く、トレードをする決心はどこかに行ってしまった。

村西とおるを一度見かけたことがある。雲母社にいたころ、ちょうどバブルの終わりごろだったと思うが、青山通りと骨董通りの交差する角で擦れ違った。一目で村西だと分かった。思ったより背が高く、まるでプロレスラーのようにガタイがよかった。当時まだ珍しかった大きな携帯電話を持っていた。昔彼の自伝みたいな本を読んだことがあるのだが、幼児期の凄まじい貧困だけが記憶に残った。

村西の半生がなんで面白いかというと、自分とはまるで正反対な人間だからだ。是か非かはともかく、彼は僕にない勇気を持っている。それこそ無謀なくらいに。だから「全裸監督」には自分にはとてもできない生き様がある。Netflixの無料期間がちょうど来週まで残っていたのもラッキーだった。

納戸一杯にごみが溜まっていたので、午後全部車に積んでごみ処理場に持って行った。

この後雷が鳴って、申し訳程度の雨が降った。毎日永遠に続きそうに暑いが、よくよく考えてみると9月から秋だとすると夏というのは実に短い。来週は盆で母が入院して手術だ。母が退院するころには夏は終わっているのだろう。この調子だと夏に何かを成し遂げることはできそうにない。ただ生きるだけで精一杯。

それはそうと、例のパソコンの画面が一瞬真っ暗になる症状、メインディスプレイをHDMIで繋いでから今に至るまで一度も出ていない。ようやく解決したっぽい。

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盆踊りの夜

8月7日、水曜日。

相変わらずスパムコメントが凄い。いつからだろうか、先週ぐらいからかこの日記のアクセス数が以前の1.5倍ぐらいに増えているんだけれど、実際に読んでいる人はそのうちのどれぐらいなんだろうか。増えているのはスパムコメントを発するボットからのアクセスだけのような気がする。本当の読者はごくごくほんのわずかなんじゃないだろうか。だってそれほど面白いことを書いているとは思えないもの。

今日も日中36度まで上がった。台所とかその奥の洗面所とかが異様に暑い。冷房のある書斎に引きこもるしかない。ここ数日相場のボラティリティ(変動率)が高くなって東京時間にかなり動くようになった。そんなわけだから昼過ぎから目一杯売りのポジションを抱えたのだが、こういうときに限って逆行して売り上がる格好になる。で、前述のように東京時間にもかかわらず結構動く。最初ストップの逆指値を30ピップスにしていたのだが、どうも旗色が悪いしポジション量も多かったので20ピップスまで下げた。すると、東京市場が終わらないうちにストップがついてあえなく撃沈。かなり悔しかった。こういうときはむきになってすぐにポジションを取るとろくなことはないので、ひとまず気持ちを静めるために昼寝。で、案の定というか、結果的にはストップを30ピップスのままにしていればぎりぎりセーフで生き残り夜には70ピップスも下げたので余裕でプラスに転じていた……というたらればの世界。ま、仕方ないかな。相変わらずコツコツドカンで損大利小になってしまうが、どうしてこれが逆にドカンと勝つときがないのかいつも不思議に思う。利食いが下手すぎる。

夜は母のいる特養の盆踊り大会だった。このところ夕方でも暑いので心配していたが、盆踊りの始まるころには風も少しでてきて気温も少し下がった。

いや、この聞いたこともない高校の生徒たちの演舞がなんかよかった。なんていうか、ちゃんと訓練されていて演出もされているというか。

この恐ろしく不味い蕎麦を食べたせいでさっきから胃がむかむかして気持ち悪いのだった。夜も一応ちまちまとトレードをして、ちまちまと少しだけ取り戻した。なんだか今日は疲れた。

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Underground

8月6日、火曜日。

夏だからしょうがないのだが、それにしても悪夢のように暑い。それでも35度だから一昨日よりは1度低いのだということがいまひとつ信じられない。

気になるのは、昨日からうちから二軒隣の空き地を重機で整地していること。その隣、つまりうちの隣もまた空き地で、要するにうちの左隣は空き地が2軒続いている。同じ不動産屋の看板。実家に戻ってからこの方、どちらの土地も売れる気配すらなく、うちとしては売れない方がありがたいのだが、これまで何年も放置してきたところを急に整地しているとなると、もしかして買い手がついたのかもしれない。最悪なのはうちの隣の空き地が売れることで、そうなると塀からはみ出し放題になっているうちの庭の木の枝を全部切らなければならなくなる。何より隣に何かが建ったら窮屈。売れなければそれでいいのだが、そうじゃなければ向かいの寺が買い取って寺の駐車場にしてくれるのがありがたい。もうすぐやってくる盆になるとうちの前は寺の駐車場に入りきれない車の路上駐車が物凄く酷いのだ。

日中はあまりにも暑くて冷房の効いた書斎から出る気がしない。今日はマウスコンピューターのサポートから電話をもらうことになっていてそれを待っていたのだが、12時から2時までの間にかかってくるはずなのに2時を過ぎてもかかってこない。LINEでどうなっているのか問い合わせると、どうやら不手際で2時から4時と勘違いしていたらしい。それならそうと早めにLINEで連絡をくれればいいのに、3時間近くもただ電話を待ってしまった。

クソ暑い(本当に地獄のように暑い)台所で珈琲を淹れているとようやくサポートから電話。要件は買い換えた新しいデスクトップパソコンのメインディスプレイだけがときどき2・3秒ほど真っ暗になる現象。あらかじめググってみたところ同じ症状の人が2人ほどいて、どちらも同じNVIDIAのグラフィックボードが原因で、グラフィックボードのコントロールパネルの設定で改善するとあったのだが、自分のパソコンのNVIDIAのコントロールパネルにはその設定する項目自体がない。これは恐らくディスプレイポートをVGAに変換して接続しているせいだろう。自分の持っているモニターディスプレイにはディスプレイポート端子がついていないのでしょうがないのだった。前回同じことでサポートに相談したときは、症状が出ないサブディスプレイに繋いでいるアダプタと交換してみたらどうかという提案を受けたのだが、やってみても改善されずやっぱりメインディスプレイだけに同じ症状が出る。

というようなことをサポートと相談。結局、どうもディスプレイポートに問題がある可能性があるので、違うポートに繋いでみるか、HDMIで繋いでみて欲しいということ。電話を切って、パソコンの電源を落とし、メインディスプレイを接続しているアダプタをディスプレイポートから外して隣の端子に入れようとすると入らない……。なんでだ? と思ってよくよく見ると大きさが違う。3つ目のディスプレイポートと思っていたのはHDMIの端子だった。そんなわけでHDMIケーブルを引っ張り出してメインディスプレイをHDMIで接続してみる。すると、先日アダプタを交換して変になった色味が改善された。で。それからかれこれ8時間ぐらい経過したが、今のところ真っ暗になる症状は出ていない。これで改善されればめでたしめでたし。っていうか、大枚をはたいて買い換えたものだから不具合があっちゃ困るのだ。

サポートとの電話が終わってから車で図書館に本を返しに。外はまさしく炎天だった。恐ろしく暑い。同じ馳星周の「夜光虫」を借りてくる。

明日は母のいる特養の盆踊り大会が夕方の6時半からあるのだが、今日と同じだったら6時半でもまだかなり暑い。去年までの盆踊り大会ではそこまで暑かった記憶はないのだが、今年はとりわけ暑い気がする。老人たちは大丈夫なのだろうか。

今日もまた夜の散歩。何か理由をつけないとなかなかできないので、大回りして歩いて煙草を自動販売機で買ってくる。それが散歩。

今夜もまた、神社の境内と町役場が隣接する辺りだけでやかましく蝉が鳴いていた。他の場所では夜鳴いていないのに何故あそこだけが夜中でも鳴いているのだろうか。

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夜の蝉

8月5日、月曜日。

どうも今日(というかもう昨日だが)が月曜日だということがピンと来ない。今朝も11時過ぎに起きたからだろうか。すべてがシームレスにだらだらと続いている感じがする。いずれにせよ、煙草を吸い続けると目が見えなくなるというのはただの都市伝説か、あるいは自分の思い込みに過ぎなかった。

ともあれ、今日はそれなりにトレードして延べでのロットは結構な量になるのだが、ロットが多ければ多いほどびびって利食いしてしまうので実りは少ない。ただ負けないことが大事。

ドラマ「フルーツ宅配便」、昨夜あれから最終回まで見たがやっぱり面白かった。お約束的な結末だったがちゃんとカタルシスはあった。だが同時にまだ未体験のデリヘルという風俗に幻滅したのも確か。デリヘルって娼婦じゃないのか……。とすると、現在の日本の娼婦はほぼすべてソープにいるということになるのかな。

馳星周「鎮魂歌 不夜城Ⅱ」読了。

登場する人物ほぼ全員が殺されても仕方がないかなという人間ばかり。そして皆殺される。生き残るのは本当に非情な者だけ。愛した者も愛された者も殺される。いびつな愛。そしてそれを利用する者。考えてみれば凄まじく殺伐とした世界で救いがないのだが、そうしないと成立しない物語。

深夜、また散歩に出た。

一見すべてが寝静まっているような田舎町なのに、誰かしら起きてうごめいている。隣町の深夜のモスバーガーに行ってみたい衝動に駆られる。一体どんな人間がいるのか。

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感傷生活

8月4日、日曜日。

たぶん幸せになるにはそれなりの体力が必要で、今の自分にはそれがない。

相変わらず日中は何もできない。ベッドに寝転がっている時間の方が長い。横になって、スマホを見る元気すらない。そもそもスマホが万能なツールだなどとは思ったことがない。今日は4時に精神科の予約。だが母のところから何時に行けばいいか電話してみると、5時に来てくれという。一旦帰宅するもすることがない。煙草を吸うこと以外に何も思いつかない。ツイッターのタイムラインでは何も起こっていない。

物凄く混んでいるであろうことを想像して5時前に精神科に行く。すると、思ったよりも待たずに済んだ。医師にドグマチールを飲むのをやめることにしたことを報告。医者は特に反対はしない。むしろ何か薬を減らすのであればドグマチールから減らすのは妥当だと。診察が終わって処方箋を持って処方薬局に行くと、薬が減ったのに薬代はあまり変わらなかった。

夕食後、トイレに行こうとしたらスマホの緊急地震速報が鳴ってビビった。慌てふためいておろおろしている間に揺れは収まり、お陰でどれぐらい揺れたのか分からなかった。いつも思うのだが「強い揺れに備えてください」と言われてもどう備えればいいのかが分からない。子供のころだったら机の下に隠れるとか教わったが、いまどき机やテーブルの下に隠れる人はいないと思う。どうやらこの辺は震度3か2だったようで、台所の電気の紐がしばらく揺れていた。それにしても緊急地震速報の音ってどうしてあんなに気に障る音なんだろうか。

それからはアマゾンのプライムビデオでドラマ「フルーツ宅配便」をしばらく見る。30分ドラマなのだがテレビ東京もなかなか侮れない。面白い。主人公がデリヘルの雇われ店長なのだが、デリヘルというものを一度も利用したことがないだけに興味津々でもある一方で、デリヘルというものに対する幻想(?)も崩れる。やっぱりそんなもんなのか的な。それはともかくとして人間ドラマとしては面白く、この後たぶん最終回まで見てしまうだろう。

結局のところ、今日もまた何もしていない。何かをする気力も体力もない。勇気もない。だから幸せになれないのだと思う。

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ペシミズム

8月3日、土曜日。

昨日から減薬を始めた。抗うつ薬のドグマチールを飲むのをやめている。ドグマチール(スルピリド)は元々胃潰瘍の薬だから、胃潰瘍を予防する意味もあって長年飲み続けてきた。しかし副作用として性欲が減退する。かれこれもう20年近くも飲み続けているのだから減退どころか枯渇しそうだ。最初にこの薬を飲み始めたころはよく効いた。最初はそれこそ劇的に効いた。しかし、数年後には医者に性欲が減退しているのでなんとかして欲しいと懇願するようになっていた。用賀の心療内科医はそこはパートナーに理解してもらって、としか言わなかった。いつの間にかそこから10年以上が過ぎ、もう飲むのが当たり前になってしまっていた。

SSRIやベンゾジアゼピンといった薬とは違って、ドグマチールに強い依存性はない。だがこれだけ飲み続けていると、少しは離脱症状というものがあるのかもしれない。そのせいなのか、昨日今日と気分が塞ぎがちで何かと悲観的になっている。いろいろ考える。もしかしたら自分はもうこの先一生セックスすることはないのかもしれないとか。今日決定的だったのは鹿島の敗戦だった。

湘南 3-2 鹿島。後半になって2失点して2-0となるまでの鹿島の出来はおよそ酷いものだった。まったくボールを繋げない。ビルドアップできないし組織的な攻撃もできない。特に左サイドバックの小池の出来は酷かった。あまりにも内容が悪すぎるので、これはいいところでドローじゃないかと思って見ていたら案の定2失点してしまい、その時点でほぼ試合を諦めた。見ているのが苦痛になるくらい惨憺たる気分だった。しかしそこからセルジーニョのゴールで1点返し、ゴール後にセルジーニョはサポーターを煽るアクションをした。彼らはまだ戦っているのだ。三竿が惜しいシュートを放ち、彼もまたサポーターを煽った。そして白崎がPKをもらい、伊藤翔が決めてとうとう2-2の同点に追いついた。2-0は危険なスコア。鹿島は前半とは別のチームのように攻める。これは流れからいって鹿島の勝ちパターンに見えた。引き分けでも儲けもののように思えた。しかし、アディショナルタイムの最後の最後、ラストワンプレーのコーナーキックから勝ち越しゴールを決められてしまった。呆然自失。物凄く悔しかった。あまりにも悔しすぎて言葉も出なかった。しかし考えてみれば前述のように2-0とされるところまでの鹿島は、およそ勝てるサッカーがまったくできていなかった。中13日の湘南に対して鹿島は猛暑下の中2日。恐らく想像以上にコンディションの差があったのだろう。試合後に湘南の曺監督が公平じゃないとコメントしたように。だが鹿島というチームはそれでも勝たなければならないチームなのだ……。

ただでさえ今日は日中何もできなかった。そこに来てこの敗戦だった。悲観、悲観、悲観。もしかしたらこの先何もいいことがないのではないかという強迫観念。絶望寸前の崖っぷちにいるような気分。これもまた、ドグマチールを飲むのをやめたせいなのだろうか。実際のところ、薬の影響というのはどれだけのものなのだろう? とにかく飲まないで様子を見るしかない。それこそずぶずぶに悲観しても。真夏というタイミングもよろしくなかったかなという気がしないでもないが。それにしてもなんでこんなに辛いんだ? なんでこんなに希望というものがないんだろう?

相変わらずドライアイで右目がよく見えない。だから世界の半分しか見えない。

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見える?見えない?

8月2日、金曜日。

とうとうスパムコメントの数が3桁になった。一体何がどうなっているのか。そういえば以前、いわゆるDoS攻撃を受けたこともあった。それに比べればましか。

暑いというのはもはや当たり前のことだから、今月は何も言わなくてもとにかく暑くて当たり前。今日も台所の室温は34度、外気温も34度だが、東京は36度だったらしいからそれよりはましなのか。とはいうものの、二階に荷物を置きに上がったら台所の比ではなく物凄い暑さ、40度近くあるんじゃないかという。

あまりにも目が見えない(少なくともそういう気がする)ので、町に一軒しかなくクソ混んでいるのは分かっている眼科にしょうがないから行った。4時半ごろ。案の定無茶苦茶混んでいた。とはいうものの、受付をした以上しょうがないから待つ。小さい子供連れが多くて子供がうざいことこの上ない。それを気にし始めると気が狂いそうになるから、持ってきた本を読んだ。ここ最近、寝る前に寝床で睡眠薬を飲んでからしか本を読んでいないので、寝床以外で本を読むのは物凄く久しぶり。それこそ何年ぶりという世界。読んでいるのは馳星周「鎮魂歌 不夜城Ⅱ」。ところが読んでいると途轍もなく面白く、没頭してしまった。いつも寝床で睡眠薬を2錠飲んだ上に安定剤を舐めながらぼうっとした頭で読んでいるので、そうじゃない状態で読むとちゃんと頭に入ってくる。

結局1時間以上待たされてようやく呼ばれた。で、驚いたのは視力検査をしてみると眼鏡をかけた状態で両目とも1.2ということ。見えないから来ているのに数字上は見えているということになる。もちろん眼鏡を外すと一番上ですら見えないが。それで診察の結果、特に病気とかそういうものはないから安心するようにと言われた。少なくとも煙草を吸い続けたら目が見えなくなる(高校のときの先生が眼科に言われたという)とは言われなかった。何年か前と同じドライアイ用の目薬だけ処方された。効果がないのは分かっているのだが。

そんなわけで、最近急に目が見えなくなった、ああ見えない見えない、もしかしたら煙草を吸っているせいかもしれない、という懸念は払拭され、実は見えているのだということが判明。ときどき見にくくなる(例えばこれを書いている今がそうだ)のは恐らくドライアイ。

それはともかくとして、今日は夜に米雇用統計。僕はこの雇用統計とはことのほか相性が悪く、雇用統計後に相場のポジションを取って上手くいった試しがない。なので最近はトレードせずにただ見てるだけにしていたし、このところは雇用統計と言っても以前のようには相場が動かなくなっていた。自分のスタイルからしても週末の金曜日の夜にポジションを取るというのはらしくない。にもかかわらず、何の加減か、魔が差したのか、今日は雇用統計後にポジションを取ってしまった。今日は結果如何にかかわらず下がるだろうと思っていたから。で、売りポジションを持った途端に逆行して売り上がる格好になった。で、目一杯ポジションを持ったときに限って50ピップス近くも動く。結果、トランプの発言で一瞬だけ持ち上がった相場のよりによって天井で損切りしてしまった。あと数分、いや1分待っていれば下落し始めたのに。とはいうもののこれは致し方なかった。一日の損失限度額を超えていたから。ここ最近ボラティリティ(変動率)の低い日が延々と続いていたが、考えてみれば昨日から200ピップスも動いていて、今日も久しぶりにボラティリティが高く、それについていけなかった。結局その後ドル円は案の定下がり、そのままポジションを保持していれば100ピップス以上のプラスになっていた。まったくなんてこった。その後ちょびちょびとスキャルをやって申し訳程度は取り戻したが、結局一週間以上かけて取り戻した分をまた失ってしまった。あと2分我慢していれば……ということだからこれ以上悔しいことはないはずで、普通だったら地団駄を踏むところだが、案外と今夜は冷静だった。100ピップスぐらいの負けになったがそこまでのショックはなかった。よく考えてみると業務だったらこれぐらいの負けは実に普通だから。それほど大敗というほどのことでもない。自分の選択自体も間違いではなかった。ただトランプが余計な一言を呟いただけである。

いずれにしても僕の目は見える。それだけで十分じゃないか。

そういえばNetflixオリジナルドラマ、「ナルコス メキシコ編」、見終わったけど相変わらず面白かった。本当に酷い話なんだが、現実がそうだったんだから仕方がない。つまり現実ほど酷いものはない。

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軌跡

8月1日、木曜日。

10時54分起床。今週はずっと10時台に起きている。起きられない。お陰で睡眠時間だけは足りている。とにかく暑い。今日が34度というのは信じ難い。台所の室温は34度だったが、茶の間はそれよりずっと暑かった。それでも夕方日が沈むころには外はそれなりには涼しくなるのだが、理不尽なことに家の中は窓を全開にしていても涼しくならない。

今日の相場の読みは完璧だった。特にドル円。しかし、レンジを間違えた。結句、日中の上げを取るだけに留まる。それにしてもFOMC明けでドル円が100ピップス以上も動くとは。結局母のところに行ったり夕飯の支度をしている間に相場は動き、夜は完全に乗り損ねる。見てるだけ。

買い換えた新しいパソコン、ときどきメインディスプレイだけ一瞬真っ黒になる症状。すぐに復帰はするのだが。先般メーカーのサポートに相談して、ディスプレイポートからVGAに変換するアダプタを取り換えてみたらどうかと言われたので、今日の夜になってようやっとそれを試してみる。左側のサブディスプレイとメインディスプレイのアダプタを交換してみる。すると、メインディスプレイの色味が変わった。今まで灰色だったところがなんか青っぽい。ディスプレイの取説を見て設定をいじってはみたが、どうしても今までと同じにはならず。ひとまずこれで様子を見ることにする。それにしても変換アダプタはまったく同じものを2つ買ったのだが、付け替えただけで違うとは。

それにしてもしかし、この田舎町で夜の11時過ぎに犬の散歩をする若い女性がいるというのはちょっと不思議な気がする。

連日冷房フル稼働だけれど、今日から8月、考えてみれば暑いのは当たり前。先ほど風呂に入ったのだが、台所の奥、つまり一階の奥の風呂場近辺、両親の部屋の蒸し暑いこと。冷房もなしに両親がここで寝ていたのが信じられない。そういえば以前は夏に帰省したときは二階の自室で寝ていたのだが、二階は一階よりも暑く窓を全開にして深夜でも30度はあった。結局は慣れの問題なのだろうか。つまり、今は冷房に慣れ過ぎているのだ。

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Another side of the moon

7月31日、水曜日。

スパムコメントが凄い。昨日の倍以上。

僕が生きているのはどの世界なんだろう?

どうやらこの辺は昨日で梅雨が明けたらしい。というのも今日で東北の北部が梅雨明けだということだから。この辺りは南部と言えるかどうか分からないが少なくとも北部ではない。そのせいなのか、今日は36度に達した。台所の室温は34度だった。昨晩の夜中の散歩が効いたのか、夏バテも併せて日中はグロッキー。FOMCも控えているので相場にも手は出せず。

浦和 1-1 鹿島。後半鹿島が先制してほぼ勝ちを手中にしていたのに同点に追いつかれ落胆。正直浦和でマークすべきは興梠一人だったのに、その興梠にフリーでヘッドで決められるとは。負けたわけじゃないのに精神的なダメージ半端ない。上田綺世のデビューを見ることはできた。実際のところ、今の僕はあまりにも鹿島に入れ込み過ぎているんだとは思う。

右目がよく見えない。たぶんドライアイ。

帰り道もやっぱり不審車は停まっていた。運転席に人の影はない。目の前に寺の駐車場があるのに一体誰が? 気味が悪いので玄関の鍵をかける。帰宅後もスマホのツイッターはログインできず。「アカウントが作成できません」と出る。作成? パスワードの変更もできず。と思って一度アプリを閉じて再度立ち上げたら普通にログイン状態に戻っていた。とすると、さっきのは一体。

蝉って夜は鳴かないんだな。

昨日書いたものを訂正しておこう。やはり非リア充と非モテは同義だと思う。そこそこのレベルで。

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