幻聴

2月12日、火曜日。

今日は母が病院に行く日なので8時2分起床。8時のアラームで目が覚めて、一瞬気絶して2分後に起きたという次第。8時5分にもタブレットでアラームをかけていたのだが。結果、人間の体内時計は当てにならないということが判明。台所に行くと外が雪でうっすらと白くなっていて焦る。実際のところは玄関前の飛び石にうっすらと積もった程度で車庫前は大丈夫だった。よって雪かきは2分で終了。

今日は当日予約が取れればCT検査をする予定だから、3時までに終わればいいなと思っていたが、CTだけではなく、レントゲン、採血、採尿、肺機能検査、それに入院の説明、足の傷の治療まであり、結局すべて終わったのは4時になろうとするころだった。丸々6時間かかった。この間に吸った煙草は1本。朝10時前に4本吸ったときはどうなることやらと思ったが、結果的には昨日よりむしろ本数は少なくなった。

母は3月の15日から入院することになった。19日の手術前までは一般病棟で、手術以降は集中治療室(ICU)に入ることに。入院前にもう一度検査があり、3月5日に心臓のエコーとリハビリ(全身麻酔のため?)を行うことに。半日かかったので確かに疲れたのだけれど、一番参ったのは病院の暑さだった。当たり前といえば当たり前だが、病院はパジャマ一枚の患者に合わせた温度設定をしているので、その中でダウンジャケットを着て6時間もいるとあまりにも暑くてぼうっとしてくる。母のCT検査が終わったときには廊下でうとうとしてしまった。

帰りがけに久しぶりにドトールに寄って隣接する書店をちょっと覗いたが今日は本を買わなかった。帰宅するともう5時過ぎ。そんなわけだから今日のトレードは様子見。夕食後、またYouTubeにハマる。今度は日本語がネイティブレベルのロシア美女の動画。この手の動画はなんでこう面白いのだろう。台所で珈琲の豆を煎りながら延々と見た。で、動画を見終わると幻聴が。人の話し声が聞こえる。女性ではなく男性の声だった。珈琲の豆を煎ったので換気扇を回していたから、その音の倍音を拾ったものと思われる。その後、またしてもYouTubeで今度はヤクザ関連の事件動画と右翼のドキュメンタリーを見た。実に胸糞悪い。それから風呂に入ると浴室でもまた幻聴。やはり換気扇の音から人の話し声を再合成。自分はどちらかというと音楽性の幻聴の方が多いのだが、今日は何故か話し声だった。

そんな感じだから夜もほとんど相場のチャートを見れず。今日のところは半ば諦めていた。それにしてもこのところのYouTube中毒酷い。なんとかならないものか。確かに面白いことは面白いのだが、これでは仕事にならない。なんでこうなったのか。どうにも中毒性があるというかある種の現実逃避行動とも言えるので、そろそろなんとかしないと。本当にダメ人間になってしまう。いや、とうになっているのだけれど。

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サイコパスたち

2月11日、月曜日。

9時18分、アマゾンからマウスが届いて起こされた。昨夜注文したものがもう届いたのだった。めっちゃ眠かった。あまりにも眠くて、結局朝食後にまたベッドに入って昼寝した。届いたマウスは案の定、まるで夜店で売っているおもちゃのようにちゃちなものだった。

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1000円ちょっとの安物だから当たり前、これは想定内。なんでいまさらマウスを買い直したかというと、今まで使っていたマイクロソフトのマウスのクリックが重いから。それで相場のポジションを決済するときに、ここぞというタイミングで渾身の力を込めてクリックしたつもりなのに決済されておらず「あれ?」みたいなことがよくある。というのも、スキャルピングでの決済はレートを凝視して緊張しまくっているので、指が強張ってしまいマウスを押し込む力が足りなかったりするからである。そんなわけだから、とにかくクリックが軽いものであればよかった。それで静音クリックのワイヤレスマウスを注文したのだった。実際使ってみるとクリック音がほとんどせずなかなかよい。ただ想定外だったのはちょっと使っていないとマウスを動かしただけでは動作しなくなること。不良品かと最初思ったが、どうやら左クリックでも右クリックでも一度クリックすれば再動作するということが分かった。これはちと面倒。そもそもそういう仕様なのかそれとも動作不良なのかよく分からない。確かアマゾンのレビューを見た限りではそういったことを書いていた人はいなかったように思う。

それはともかく、相場の口座のひとつから出金しようとしたら時間外でできなくて、ようやく今日が祝日で休日ということに気づく始末。ただでさえ週明けの月曜日の相場というのはよく分からないので、今日は必要以上に慎重になってしまった。で、夕方一番動いたころにこともあろうにYouTubeの生配信を見ていてトレードのタイミングを逸してしまった。今頃になってYouTubeにハマっているのは正直どうかと思うものの、昨日たまたまた見つけたアメリカ生まれのアメリカ育ちの日系アメリカ人であるが日本語が完璧にネイティブレベルの井上ジョーっていうミュージシャン(?)の配信があまりに面白くて、つい延々と見てしまったのだった。

夕食後の夜もYouTubeを見る。今日はサイコパス巡り。埼玉愛犬家連続殺人事件の動画からアメリカの稀代のシリアルキラーでサイコパスであるテッド・バンディの動画。なんでこう毎日気が滅入る犯罪の動画ばかり見ているのか自分でもよく分からないが。その後ウィキペディアでテッド・バンディの数奇な生涯を最初から最後まで全部読んでしまった。YouTubeの動画ではテッド・バンディはIQ160となっていたが、ウィキペディアではその記述はない。ただ頭がいいことは確か。それにしてもその行動や思考があまりにも常人とかけ離れていて驚きを禁じ得ない。恐ろしいのはバンディの殺人に対する嗜好嗜癖がなんとなく分かるような気がすることだ。つまりそれはまったく我々の埒外というわけではなく、ああたぶんそういうことなんだろうなというある程度の想像が及んでしまう。事件の捜査関係者は彼のことを悪魔そのものだとかブラックホールだと呼ぶが、それでも彼は人間なのだった。要するにいくら鬼畜のごとき所業であっても人間が行い得る範疇であるということ。当たり前だが。それが恐らく僕らの興味を誘うのだと思う。僕らは人間という底知れぬものを伺っているのだ。そしてそれがどこまでいびつであり得るのかということを知りたがる。

おっと、それはともかくとして、明日は母が病院に行く日なので朝8時に起きなければならない。今朝の眠気から想定すると遅くとも1時には寝なければならないだろう。そんなわけで以下次号。

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生活

2月10日、日曜日。

今日の印象はとにかく寒かった。朝7時台に二度目が覚めたのも寒いせいだったんじゃないだろうか。夕方、台所が暖まるのに二時間ぐらいかかった。

今日は4時に精神科の予約があるだけ。さぞ時間を持て余すかと思いきや、そうでもなかった。先日も書いたように、このところはめんどくさいと思えることから先にやるように心がけている。そんなわけで日中にやったことは、トレード用の口座を二つばかり申し込む。e-Taxで確定申告。ズボンのボタンつけ(針仕事)。洗濯。台所の床を掃く。トレードノートづくり。買い物。なんていうか、ただ生きて生活しているというだけで案外とやること、やらなければならないことは多いのだなと思った。そういう意味では、母はそういったものをすべて失って何もやらなくてもよくなってしまったわけで、それは本当に可哀そうだ。

例によって事前に何時に行けばいいか電話で確認して4時ちょうどに精神科に行くと、驚くべきことにまったく待たずに済んだ。最近の傾向から考えると奇跡に思える。相変わらず精神科の診察はすっかり世間話というか人生相談みたいになっている。要するに薬(内科の薬を含む)をもらうために行っているようなもの。帰りがけに隣町の業務スーパーに行ってポーランド製のジャム(異様に安い)を買い込む。ひと瓶130円とかなので、原価は一体いくらなんだろうと不思議に思える。

夜はDAZNで昌子先発のトゥールーズの試合を見る。結果は1-1の引き分けだったが、安定して先発フル出場を続けている昌子を見て安心する。

雪は積もらないものとすっかり油断しきっているが、買い物に出るときに見ると玄関先の飛び石の一部にうっすらと積もった跡があり、朝方に少し降ったのか。

Life goes on.

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アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

2月9日、土曜日。

ハナから何の予定もない土曜日、今日は6日ぶりに母に会えただけでもありがたいと思わなければ。東京や千葉では雪が降ったらしいが、山形のここではちょっと雪がちらついた程度。

夜、アマゾンのプライムビデオでリドリー・スコット監督「ブレードランナー ファイナルカット」を見た。

初めて見るファイナルカット版ではラストのレイチェルと車で逃げるハッピーエンドがカットされており、そのせいもあって終始とてつもなく暗い。レプリカントの寿命が短いというのは、所詮寿命がある人間のメタファーである。いろんな意味で救いがない。デッドエンド感。こうやって改めて見ると、果たしてこれは巷で言われているほどの傑作なのだろうかという疑問を覚える。映像は終始ありとあらゆるガジェットで満たされているが、どこか決定的な何かが欠けている気がする。主要な登場人物はとても少なく、それ以外の町を歩く人々などは省略された記号のようだ。結局のところ、映画というものは尺の限界もあるので、すべてを語り尽くすことは難しいのかもしれない。リドリー・スコットはその分を映像に詰め込めるだけ詰め込んだ。たぶん最初に見る人はそれに圧倒されて終わるだろう。だがここでは背景を持つのはレプリカントだけで、人間の側にはそれがない。だからメタファーとしての劇を見ている感じが強い。それがなんかしらのアンバランスさをもたらしている。ディテイルにはこだわっているだけに。ここにあるのは80年代の人が考えた猥雑な未来。劇中はほとんど都市の一角だけで話が進む。それだけにリドリー・スコットにとっては蛇足だったラストの引きの映像(今回はカットされている)が唯一その外の世界を映して救いをもたらしていたのだが。思うに、40年後の未来は今とさして変わらないのではないか。そしてその変わらない部分こそが希望なのである。

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人間失格

2月8日、金曜日。

昨夜あれから、こんなことを考えた。

かように、このところの僕を苛んでいるのはダメ人間感なのだった。なんだかんだ、いろんなことが結果的にできていない。自分の思念に行動が伴っていない。そういうことが歯噛みするほどもどかしいし自責の念になっている。ときどき、そういうことに圧し潰されそうになる。ある意味、いつまで経っても夏休みの宿題ができない子供のようである。

今日もまた、ハナから雪かきしなくていいものと思って9時47分に起きると、どうも外の景色がおかしい。ちょっと白い。よく見るとブロック塀の上に雪が積もっている。朝食後に玄関を開けてみると、飛び石の上にうっすらと雪が積もっていた。とはいうものの、2センチほどで日が差したら融ける程度、雪かきというよりもただ掃いただけで一瞬で終わった。車庫前は積もっていなかった。そういえばその後一歩も外に出ていないのでその後の様子は分からないのだが。

前述のようにいろんなことを棚上げにしている感が物凄く、無意識下で面倒に思っていることをできるだけ先に済ませるようにする。例えば、県立中央病院に連絡して母の最新の血液検査の結果を伝えて、再来週になっていた診察の予約を来週の火曜日にしてもらった。これは別に面倒なことではないが、診察の日を先延ばしにしているような感じがしてなんだか気持ち悪かったから。夕方に寺に電話して七回忌の日時をもう一度確認して、近所の料理屋に会食の予約を済ませ、夜になって親戚に法事の連絡をした。これは本来であれば父の命日の前に連絡すべきだったかなとずっと気がかりになっていた。

なるべく朝早く起きようというのもそういう行動の一環。だが、そうすると煙草の本数が増えるというジレンマがある。今日もまた日中はずっと相場のトレードをしていたため、ストレスで煙草が増える。朝起きたときの感じからどこかの時点で昼寝するかなと思っていたのだが、そのタイミングもなかったし眠くもならなかった。今日もまたツイッターで何本吸ってもオーケー宣言をしたのだが、7時の段階で18本に達したときはさすがに今日こそは30本に到達すると観念した。それで、食後の一服以外はストレス緩和のために煙草を吸っているようなものなのに、その煙草を我慢することがストレスになっては本末転倒なので、開き直って吸いたいだけ吸ってみてそれで何本になるか試すことにした。実際問題として4ヶ月禁煙して以降の一日の最大本数は28本なのだが、それが30本になったからといって何がどれほど違うのだろうか? 僕が恐れているのは煙草の本数が際限なく増えることであるが、かといって28本までならオッケーというのもなんか変な気がする。例えば経済的な意味合いでいえばできれば一日20本以内、つまり一箱以内にしたいものだ。それはちょっと今のところ無理、ならば28本も30本も大差ないのではないか。そこにはたった2本の差しかない。この2本が天地がひっくり返るほどの差であるとは思えない。だが人間には自制心というものがあって、今のところ僕にとってそれは28という数字なのだった。それが29になるということはある種聖域を侵すような気がしてしまうのだ。もちろん最初から28本だったわけではなく、ある日の時点で28本に達してしまったわけだが、今となってはそれがいつでどういう日だったのか覚えていない。つまり、聖域のわりには自分にとってそれほど重要ではないらしい。いかにもダメ人間らしい考え方だ。

失礼、ここで25本目の煙草に火をつける。

もうお気づきの人もいるだろうが、好きなだけ吸おうとやけっぱちになったわりには、不思議なことに昨日と同じペースに結果的になった。昨日は27本だった。こんなことが果たしてめでたいことなのか、一体何の意味を持つのかさっぱり分からないが、明日は何の予定もない土曜日、特に早く起きる必要は何もないので、今日も27本で収まるかどうかは定かでない。

とまれ、早く真っ当な人間になりたい。無理かな。かなり手遅れっぽいが。

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迷宮

2月7日、木曜日。

次回母が病院に行くときに早起きしなければならないし、毎日起きるのがあまりにも遅いので少しずつ改善しようと昨夜はいつもより早く寝たのだけれど、朝起きてみると10時ちょうどとあまり効果がない。ということはもっと早く寝なければならないということなのか。

いつものように朝食後に玄関を開けて雪かきが必要かどうか確かめるのだけれど、昨日に引き続き開けた途端に大丈夫というか、上手く言えないけれども終日雪が降る気配がない。夕方には雨になり、コンビニに買い物に行くついでにスタンドに寄ってガソリンを入れてきたのだが、外気温は3度と冬にしてはそれほど寒くなかった。しかし終日家にいると暖房を入れている書斎以外は特に廊下とかが寒く感じてしょうがない。ひとつには冷え性で手足が冷えるということもある。

今日も終日相場のトレード。なんとか3連敗は免れたがドル円を下手な損切りをしてしまい一時マイナスに転じ、その後プラスに戻したが危ういところだった。ピップス的にはそれほど酷くはないのだが、今日は途中でロットを半分にしたり元に戻したりしたのが逆に上手くいかなかった。結果的に損切りを食らったときに一番大きいポジション(今日の最小ポジションから考えると4倍)を持っていたという羽目になり、おまけにその後戻したので結果的には無駄な損切りになってしまった。それにしても終日籠ってトレードをやっていると精神的に煮詰まる。もちろん四六時中ポジションを持っているわけではないのだが、ずっとチャートを見ているといまひとつ息を抜くところがない。ストレスが溜まって煙草の本数が増えた。今日は早々に何本吸ってもオーケー宣言をツイッターでしたのだが、もろもろ考えると煙草の本数が減る要因が見当たらない。業務から引退宣言をしてしまったけれど、今になって考えると業務はいい息抜きになっていたのだなと思う。かといっていまさらゼニを使って業務をする気にもなれず、かといって雪のあるうちは散歩することもできない。母のいる特養が面会禁止になっているのも痛い。要するになんにせよメリハリがつかないのだ。結局夜になって軽い抑うつ状態になり久しぶりに手が痺れてきた。気分的には八方塞がり。このところ毎日YouTubeで見ている犯罪関連の動画も気が滅入る要因になっている。気がつくとやっぱりペシミスト。生来悲観的な人間なんだけれども、実際の生活はある意味物凄く楽天的な行動になっていて(単に自堕落とも言えるが)その辺が大いに自己矛盾に陥っている。

25本目の煙草に火をつける。

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うたかたの日々

2月6日、水曜日。

9時35分に県立中央病院から電話がかかってきて起こされた。大分の先生の都合で母の治療の日程を早めたいということだった。それで、3月19日に治療をすることになった。ごくごく常識的な時間にかかってきた電話だけれども、このところずっと10時半過ぎに起きていたので寝起きで対応するのはしんどかった。今日も雪は降らず雪かきはしないで済んだが、なんだかそれを当たり前のように思っていることが考えてみれば不思議。午後眠くなり昼寝。今日も終日相場のトレードも連敗。それにちょっと手法に対する迷いもある。たぶんそれはロットにまだ慣れがないせいもあるだろう。とはいうものの、都合5回も損切りしたのに7.5ピップスのマイナスで済んでいる。昨日今日と連敗と言っても二日合わせて10ピップスも負けていないということは、少なくとも損切りに関しては多少の進歩がみられるということかもしれない。実際、以前の3分の1程度のストップの設定にしているのだが、昨日も今日もストップがつく前に成行で切ることができている。しかしながら利食いに関してはまだまだ。いずれにせよ、今日も難しい相場ではあった。

ということぐらいしかしていないので、他にあまり書くこともない。今は映画「ノーカントリー」の原作であるコーマック・マッカーシーの「血と暴力の国」を読んでいるのだが、例の読点がほとんどない独特の文章ながら読みにくさというものはなく、むしろところどころに垣間見えるユーモアに驚かされる。で、まるで映画の脚本を読んでいるかのよう。つまり、映画がいかに原作に忠実に映画化されたのかということが分かる。

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無常

2月5日、火曜日。

とりたてて書くほどのこともない一日。相変わらず朝は起きられない。10時45分に起きると、外は素晴らしい晴天だった。日中は相場のトレードも、今日の相場は難しく連勝がストップ。たかが1.9ピップスとはいえ負けは負け。午後隣町の税務署に行ってe-TaxのためのIDとパスワードをもらう。夕食に分不相応なステーキを食したら食後腹痛、天罰か。夜になっても一応相場のチャートを見てはいたのだが、日中はずっとユーロドルを見ていたのに夜になってドル円を監視し始めたら余計分からなくなった。結果的には初っ端の損切りが響いた。今日も夜になってYouTubeで犯罪関連の動画を見たが、いわゆるところの再現フィルムというのはどうにもリアリティと緊迫感に欠けて。いずれにせよ、ひとまず明日頑張ることにする。それにしても毎日よく寝る。

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無知の涙

2月4日、月曜日。

なんだか今日の日記はツイートをただ貼り付けるだけで出来てしまいそうだ。

午前中は暖かく、前述のように玄関の屋根の雪が融けて落ちてくるぐらいだったのだが、午後になって風が強くなり雪が舞い、よく分からない天気だった。日中は相場のトレード。週明けの月曜日なので恐る恐る。ちなみに先週から今日まで一応6連勝中。夜はYouTubeで犯罪関連の動画を見た。中でも圧巻だったのは連続射殺犯永山則夫のドキュメンタリーで、不運というよりも不幸のあまりの質量に圧倒された。

まさに絶句。長い長い精神鑑定の最後に撮った写真の永山の幸せそうな笑顔に胸が潰れる思い。一体どうしてこのような不幸な人生に人は陥ってしまうのか、果たして人は人を裁くことができるのだろうかという答えのない問い。そして、自分はいかに幸運(つまり幸福)であったのかという感謝の念を抱かざるを得ない。たとえそれが愚かな誤りばかりの人生であったとしても。

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雨の日

2月3日、日曜日。

雨の音がする。雨の音がしている間は少なくとも雪ではない。

気がつくと田舎の実家に戻ってきて丸6年が経った。日付が変わって2月4日は父の命日である。今年は七回忌。雪の都合で法事は4月にするけれども。フェイスブックを見たらかつての同僚の日比谷の誕生日で、45歳になったという。とすると、日比谷と夜のワシントンDCをさまよってからもう16年か17年が経つということだ。16年や17年があっという間なんてことはない。もちろんその間に16年か17年分の何かがあったのだ。そして、6年の間にも6年分の何かがあった。簡単に言うと、父が倒れて田舎に戻ったのがまるで昨日のような感じなどしない。むしろ随分と前の出来事に思える。だから人生はあっという間なんかじゃない。

今日は弟夫婦がやってきた。3人で寺に行って位牌堂に線香をあげ、それから一寸亭本店に行って蕎麦の昼食を摂った。

それから3人で母の面会に行った。考えてみると母には火曜日に会ったのでたかが5日ぶりということになるが、その間に母はちょっと老けたように見えた。年齢の割には皺のない顔にいくつか皺があった。たぶんその5日間の間に僕自身もちょっと老けたのだろう。

弟夫婦が帰ってから今日もやっぱり眠くなって昼寝をした。昨日今日となんでこんなに寝るのかよく分からない。とにかく眠りたいという衝動がある。

つまるところ、父に6年会っていないということか。久しぶりに父に会いたい。僕が聞いた父の最後の言葉は「3人でご飯を食べよう」だった。雨はやっぱりいつか雪に変わるのだろうか。

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