孤独

今日は上手く日記を書ける自信がない。たぶんまとまらないだろう。

母が入院して弟が仙台に帰り、帰宅して夜、ついに一人ぼっちになった。あまりの寂しさに唖然とする。かといって、何一つすることが思いつかない。このままだとうさぎのように寂しくて死んでしまいそうだったので、先ほどまで久しぶりにHと長電話をして、2時間ほどかけて延々と喋ってしまったので、そこまで語らないと伝わらないものをここに書けるとは思えないのだ。

医師と11時に約束していたので、弟と11時前に病院へ。朝撮ったCTの結果、母の術後の経過は良好で命に別状はないとのことだった。ここから医師の話題は変わり、今回のことを警察に報告する義務がある(事件性ありということで)のだが、どうしたらいいか意見を聞きたいということだった。まず何があったか話して欲しいというので、僕はありのままに話した。医師の話では軽微な脳挫傷があり、それが原因で少しずつ出血して昨日具合が悪くなるに至ったということだった。

それからどういう経過か、いつの間にか僕は親戚や弟とも話をしたくないのだというような、自分のことを話していた。弟が同席していたにも関わらず。僕はぺちゃんこで、空っぽだった。いかに親戚の意見を聞きたくないか、それが無意味であるかなどという話もした。それで、結局、義務があるなら報告してくださいと言った。僕のうつ病のことまで話した。医師は、警察に報告した方が、今後の介護や僕自身のためにもいいことがあるだろうから、と言ったが、その「いいこと」の具体性はなく、ただの彼の想像の範疇を超えなかった。

正直言って、これを書いている今、報告してくれと言ったことを後悔している。たぶん、それでいいことなど何もないだろうから。万が一僕が罪に問われるようなことがあったら、誰にもメリットがない。母を世話する人間がいなくなってしまう。ただの時間の無駄だ。真実を知っているのは僕と母しかおらず、事実を立証出来る人間は誰もいない。いまさらながら、自責の念に駆られたとは言え、よい選択ではなかったように思えた。警察と話をする時間があるのなら、母に付き添っていた方がいい。

とはいうものの、昨日の日記に母のためだけに生きると書いておきながら、実際には4時過ぎには病院を後にした。数日前から左の膝が痛いし、疲れてもいたし、正直しんどかった。所詮、僕はその程度の人間であるのだ。それでいて、前述のように帰宅しても何一つすることが思いつかなかった。食欲はゼロ、寝てしまいたいところだが眠くもない。音楽を聴いても何をしても楽しくない。すべてがストレスに思える。

堂々巡りだ。気がつくと自分のことばかり考えている自分がいる。人間は所詮自分のことしか考えられないのだろうか。

ただひたすら煙草だけ吸った。喫煙を再開して最高記録の26本。

僕の世界には母と僕の二人しかおらず、後は皆実体を持たない書割のような存在に思える。その母がここにいない。もうここに戻って来れないかもしれない。そのことは、あまりにも重い。これが軽くなるのは母が元通りに回復したときしかなく、それまでは僕は薄氷の思いで過ごさなければならない。僕はもう一度母と歩きたい。

生きることはなんと苦しいのか。重いのか。明日からはせめてこの日記だけでももう少し軽くしたいものだ。

おっと、危うく書くのを忘れそうになったが、母は話しかけると身体を起こそうとする。まだ術後の出血を排出するために頭から管が出ていて、酸素も吸入している状態なので、そのたびに起きないように言い聞かせなければならない。まだ母の右側には麻痺があって上手く動かせないようだ。無事回復することを祈るのみ。

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母倒れる

母が午前中、デイサービスで嘔吐し、意識を失った。救急車で地元の病院に運ばれてCTを撮り、急性硬膜下血腫と診断され県立中央病院に移送して手術した。手術が終わったのはさっき、日付か変わってからだった。手術は無事終わった。

県立中央病院に運ばれて集中治療室に入ったころには母の意識は戻っていた。僕が話しかけると母は笑った。母の笑顔を見たのはいつ以来だろう。母はここ数カ月とは別人のような優しい目をして、僕が田舎に戻ってから一番いい顔をしていた。僕は号泣した。それから、手術のために母の髪は全部剃られた。

母の右半身には麻痺があり、どこまで回復するかは分からないと医師は言う。母の回復力次第だと。母がまだ生きていることに、母に、亡父に感謝した。

皮肉なことに、デイサービスの施設から病院までの道すがら、救急車の後をついていると、虹が出ていた。

rainbow

病院にいる10時間以上のあいだ、僕の頭の中をぐるぐると思念が回った。昨日も書いたように、人間は己の感情から逃れられないのだろうか、とか。そして、考えれば考えるほど、世界は自意識の中にしか存在しないのだった。結局のところ、人間というのは自分のことしか考えられないものなのだろうか。

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人は何故キレるのか?

頭に鈍痛。そのぼうっとした頭で、どうして昨夜の僕はキレてしまったのだろうかとさっきから考えている。確かに以前も書いたように、きっかけは母の挙動に対する恐怖だが、今覚えるのは自分自身に対する恐怖だ。どうして人はある瞬間から歯止めが利かなくなってしまうのだろうか。何故自分自身を制御出来なくなってしまうのか。恐怖や怒りを完璧に抑え込むことなど、果たして本当に出来るのだろうか。

昨日の僕は情緒不安定だったのではないかとも考えた。だが、そうだとすると僕は毎日情緒不安定だということになり、何故昨夜だけキレたのかという説明にはならない。確かに僕は怖かった。そして、最初に大声を張り上げてしまった瞬間から、自分自身に対して怖くなったのだ。そしてそれは止まらなかった。キリストも釈迦もガンジーも、ただの一度もキレることはなかったのだろうか。恐怖を、怒りを制御出来なくなることはなかったのだろうか。それはある種の無感動であり、無慈悲なのではないだろうか。そこに感情はあるのか。本当に慈愛はあるのか。すべての感情を遮断することは可能なのか。

昨夜、床に就いた母の頭を抱いて僕は泣いた。自分自身の欲望を完璧に殺すことは不可能だろう。少なくとも僕にとっては。だが、母を最優先することなら、80%ぐらいまでなら出来る。人間の感情は川と堤防の関係に似ている。とにかく決壊しないことが肝要だ。僕という人間は完膚なきまで未熟だ。恐ろしいほどに。

結局、答えなんか何処にもない。あるのは事実と言葉だけだ。

確か今朝は7時ごろに一旦目が覚めたと思う。だが、諦念の方が勝り、二度寝して自分の病院に行くのは諦めた。キャンセルして、予約を取り直した。今日は一日母と一緒にいて様子を見るべきかと思ったが、それも出来なかった。4時間弱の業務に行った。それは僕の欲望なのか、それとも逃避なのか、区別はつかなかった。確かに母は不安定だが、それぐらいの時間なら一人にしておける程度でもある。

さすがに明日の朝はゴミを出さなければならないので、今日は早く寝ようと思う。頭痛いし。昨夜はラリって寝たが、今夜はこれ以上安定剤飲むのはやめよう。ビル・エヴァンスの古い録音を聴きながら煙草を1本吸って、少しだけ寝床で本を読んで眠りに就こう。せめていい夢が見られるといいのだが。


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転落

母は完全に呆けた。もう無理だと思った。母はいくら言っても歯を磨かなかった。もう介護は出来ないと思った。地獄だ。もう生きていたくないと思った。父が死んで、母は統合失調症になって、狂って、ちょっと正気になって、そして呆けた。深更、母は急に優しくなった。とっくに入った風呂に入ると二度も三度も言う。深夜を回ってから夕飯を食べようかと言う。こっちに戻ってきて10ヶ月、どうして物事はこうどんどん悪い方悪い方に行くのだろう。

最悪だ。すべてが最悪。何もない。明日、自分の病院へは行けないだろう。煙草を好きなだけ吸って死んでしまおう。しかし、さっぱり煙草がおいしくない。ただただ酷い気分だ。僕が死んでも母は電話ひとつ出来ないだろう。

床に就いてから、母はしきりに僕に謝った。母は悲しいくらい優しく、母の半分は悲しいくらい正気で、残りの半分は悲しいくらいに呆けている。これ以上呆けたらどこにでも入ると母は言った。僕はこれから、一体どうすればいいのだろう。僕のこれまでの人生はなんで、これからの人生はなんなのだろう。

さっきまで、本気で死んでしまいたいと思っていた。頭の中には無理と嫌の2つしかなかった。それから、寝床の母の言葉を聞いて、どこにも入れたくないと思った。途轍もなく悲しくなって、それから僕は空っぽになった。指が痛い。風呂に入れるかどうかも怪しい。とりあえず思いつくのは、安定剤を飲んでラリってしまおうということぐらいだ。もう既に、僕の人生は終わってしまっているんだと思う。終わっていないと勘違いしていただけなのかも知れない。

もう何もかも分からない。僕に出来ることなど何もない。

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惰眠堕休

終日晴れ。だと思う。というのも、今日は外に一歩も出ていないから。

惰眠を貪り、無駄に休んだ。そんな一日。弟と母は午後に墓参りに出かけたが、僕は留守番を決め込んで、コタツでJリーグのC大阪×広島を見ていた。とにかく、コタツに入るといつの間にか寝てしまう。それ以前に眠くなる。それにしても柿谷、アシストしたスルーパスは見事だったが、シュートを打つ本数が少ないのが気になる。

弟は4時過ぎに仙台に帰った。話を聞くと、今は転勤して毎日5時半起きだそうで、それはそれで大変だなあと思う。ちなみに今日起きたのは8時半。それでも昨夜寝たのは3時近かった。

今日何かやったと言えば、Windows8.1の再インストールぐらい。ようやく再インストールする前にほぼ戻った。それにしても何もしていない。クリエイティヴィティゼロ。生産性ゼロ。

先月入れたばかりというのに、灯油が半分ぐらいになっていたので入れたら、あまりにも高いので危機感を覚える。少し節約しないと。夜、NHKスペシャルが認知症の特集だというので他人事ではないと思って見たのだが、介護する当事者(元NHKのディレクター)もスタジオの連中もへらへら笑ってばかりいて、まるで介護は楽しいというような(あるいは楽しい介護)雰囲気に不愉快になり、最後まで見なかった。大体において、定年退職して70を過ぎてから介護をやるのと、僕の年齢で介護をやるのでは人生を無駄にしている感が違う。排便の世話も週に一回のときもあった、などというのには何を騒いでおるのだ、という感じ。僕などは4・5日続けて毎日朝から晩までだったのだ。

それにしても、この何も出来ない状態のまま雪に閉ざされる冬に突入してしまうと、一体どうなるのだろう。4ヵ月もの間、ほぼ引きこもりになってしまうのであろうか。憂鬱である。今年の頭、父が亡くなってから春まで、自宅にいる間はほぼ何もしなかったが、あのときはそんなに危機感はなかった。今は本当に無駄に人生を費消している感じがする。明後日は自分の病院(悪性リンパ腫の予後検査)なのだが、それも行きたくなくて予約を取り直そうかと思っている。ひたすらモラトリアムに走っている。

今日の煙草は22本。


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から騒ぎ

aozora
午前中は久々に青空が戻った。

一夜明けてまた夜が来て、昨夜の僕の混乱も絶望も、ただ母の妄言・言動に動揺して一喜一憂しただけだと気づく。朝はさすがに脱力していたが、時間が経つに連れて結局母は昨日調子が悪かっただけではないかと思い直した。考えてみれば、似たようなことは定期的にあるのだ。そのたびに僕は大騒ぎをする。僕は母の妄言や奇妙な行動に恐怖を覚えるからだ。そのときは本当に怖くなる。この先、この調子でどんどん悪くなったらとしか思えなくなる。人間の心理なんてそんなものなのかも知れない。そのときそのときで何かが決定してしまったように思える。ある種の宣告のように思える。それはたぶん仕方がないことなのだと思う。そして、一眠りして朝が来ると救われる。夜と朝の精神状態の違いもあるだろう。それに、基本的に僕は日が翳って夜になるに連れてうつが酷くなり、悲観的になる傾向がある。

僕のから騒ぎはそれだけではなかった。夜になって、PCのブラウザの表示がやたらと重く、遅くなった。そういえば以前のフリーズは収まったものの、最近は画面がよく乱れて、よく分からない黒味が突然画面に現れたりしていた。タスクマネージャーを立ち上げてみると、ブラウザが32ビットで動作しているのでそれが原因かと思った(後で勘違いと分かったが)。いくら再起動をかけても、何をやってもやたらと動作が遅いので、まずは復元ポイントで復元してみたが変わらず。結局、ファイルをデータパーティションにバックアップを取って、PCのリフレッシュをした。完全な再インストールではないが、ファイルを温存してOSを入れ直す作業だ。これをやるとあとからインストールしたプログラムは皆消えてしまう。が、ここまで遅いとしょうがない。それに、例のオフィスの不具合や、他にも挙動がおかしい部分があったので。

で、リフレッシュしてWindows8.1からWindows8に戻り、データ以外はまっさらな状態に戻った。しかし、無線LANが動作しない。どうやってもダメなので、ひとまず有線LANでネットに繋いであれこれやっていると、いつの間にか無線LAN(WiFi)も繋がった。で、ブラウザの表示スピードも元の速さに戻った。まったく、PCのトラブルは疲れるしストレスが溜まる。無線LANが使えないときはどうしようかと頭を抱えた。持ち運んでネットが出来ないノートPCなんて、ノートである意味がないから。

で、結果的にはWordの不具合も治った。

ともあれ、結果オーライである。弟は予定通り来て泊まっている。特にそれで物凄いストレスを感じることもなかった。なにもかも、昨日から今日にかけての僕はから騒ぎである。しかし、泰然自若として一喜一憂しないなんて境地にそうそう至れるものなのだろうか。この先も、僕は何かとことあるごとに世界が終わったような騒ぎを、少なくとも僕の脳内では繰り返すのだろう。人生は疲れる。そんな風に人間は出来ている。

今日の煙草は23本。


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詰み

どうやら母は完全に呆けた。認知症であるかどうかは定かではないが、もはやなんら変わるところはない。まだ僕を忘れたわけではないが。

夕方、マイクロソフトのリモートサポートの2回目を受けたのだが結局問題は解決せず、バックアップを取ってOSをインストールし直すしかなさそうだという結論。2時間以上電話で話をしていたので昼寝が出来ず、夕食後にコタツに入っているといつの間にか寝てしまい、気がつくと10時近くなっていた。それで母を風呂に入れるのが遅れた。母の話によると、どうやら母も寝てしまったらしい。もしかしたらそれも原因があるのかもしれない。寝惚けという奴だ。

遅まきながら10時半過ぎに母を風呂に入れて身体を洗い、シャワーを停めるように言うと、母はどういうわけかしきりに温度調節のコックを捻ろうとする。そこじゃないと何度言ってもダメ。これにはかなりのショックを覚えた。で、それで急激にストレスを覚えたのか、その直後、母が風呂から上がるころに僕は猛烈な腹痛に襲われた。僕が台所の椅子の上で苦痛にのたうち回っていると、母は何の反応も見せずにただパジャマに着替えていた。僕の強烈な腹痛は治まらず、父が一度胃に穴が開いて死にかけたのを思い出し、僕も死ぬかも知れないな、と思った。そして、僕がいくら喚いても何の反応も見せない母を見て、

こいつは俺が死んでも気づかない

と思った。僕が死んで腐敗臭を漂わせるまで気づかないのではないかと。そして、よしんば気づいたとしても119番はおろか、誰にも電話すら出来ないだろうと。

僕は腹痛に身を捩りながら、完全に詰んだな、と思った。一向に治まらない腹痛をこらえながら、誰かと話したいのだが、思いつく誰とも話したくないことに気づいた。それは孤独の極北であり、絶望の極みだった。僕が唯一話したいと思ったのは、正気の母であり、元気で優しい母ただ一人だけだったのだ。

もう母はいない。そう思った。まるで怪物のように無反応な母を嫌いになった。救い難い。もう母の世話をする気も失せた。

そうは言うものの、もう12時を回ってから、結局僕は母に歯を磨かせ、薬を飲ませた。これは一体なんなのだろうと思った。亡父に心の中で問いかけてもみたが、答えが返って来る筈もない。

腹痛が治まるにつれ、僕は前々からうっすらと思っていたことを改めて思った。

愛は求めるものではなく、求めてはいけないものなのだ。愛とは、ひたすら与えるだけのものであるのだ。

たぶん、それだけの話なのだろう。僕が感じたのはまさに地獄だったが、これは地獄でも試練でもなにかの懲罰でもなく、ただの愛に関する教訓であるのだ、と。

明日弟が来て一泊すると言っていたが、本心を言えば来て欲しくない。弟に会いたくない。誰とも話したくない。かといって、母にどう接したらいいのかすら分からない。僕は今、世界の果ての断崖を、目隠しをしてふらふらと歩いているのだ。

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ベルギー×日本、2-3

正直今日はサッカーで舞い上がっております。相変わらず何も出来ない一日、朝起きて録画した試合を見てから、一日中試合関連の記事を読み漁った。試合も1回半見たし。とにかく勝っちゃったから、ベルギーに。

しかしながら、考えてみれば相手はブラジルでもアルゼンチンでもドイツでもスペインでもなく、ベルギーなのだった。どうも事前のFIFAランキング5位だの、スター軍団だの、個が凄いだの、フィジカルが圧倒的だの、歴代最強だのという前評判で途轍もなく強い相手のように思っていたけれど、やってみるとやっぱり相手はベルギーだった。ちなみに日本はこれまでベルギーと対戦してまだ負けたことがない。

確かにまたやっちまった。ルカクを警戒し過ぎたのか、GKの川島がサイドライン際のびっくりするところまで追いかけて挙句の果てに万歳し(本人曰く、退場を避けるためらしい)、ルカクがへろへろのクロスボールを送ると酒井(高)が普通にちょっと走れば楽にクリア出来るボールを何故か異様にぼんやりとしていて後ろから来たミララスにGKのいないがら空きのゴールに入れられるという、もうすっかりお馴染みになりつつある、ほとんどお約束のようなミスの連発から先制点を許す。こうなると、例のタラレバを使う気にもなれない。リアルタイムで見るよりも、録画再生してもう1回見てみると、唖然とするほどへろへろのボールなのだから。一体何が起こったのかというぐらい。

しかし、冷静に終始ゲームを見ていて、ベルギーはセットプレー以外は怖くなかった。全然。ルカクにしてもアザールにしても後半出てきたフェライニにしても、怖さはなかった。とにかく皆デカいから、セットプレーからの失点はある程度(あくまである程度だ)仕方がないが、崩されて点を取られるイメージは湧かなかった。個に関してはオランダの方が上だと思う。少々こちらも、それにベルギーの国民も、メディアに踊らされた感。ホント、FIFAのランキングは当てにならない。確かに、W杯予選で10試合で負けなし、4失点というのは数字では凄いけれど。

日本はオランダ戦から先発を6人入れ替えた。予想外だったのはディフェンスライン。吉田以外全部入れ替え(右から酒井宏樹、森重、吉田、酒井高徳)。だが、前述の高徳の超ボーンヘッド以外には破綻はなく、前回のオランダ戦から突如として(という印象だ)誰が出ても試合のクオリティは落ちない。嬉しい誤算。大迫に代わって先発した柿谷が今度は1ゴール1アシスト。今日の動きは守備も含めて素晴らしく、大迫の活躍がいい刺激になったようだ。前回序列が変わると書いたけれど、それも定かでなくなったのはいいこと。今日は逆に大迫が目立たなかった。

今日の本田は凄かった。一方、前回素晴らしい出来だった香川はミスとボールロストが目立ち、前回ほどの活躍は出来ず。その代わりと言ってはなんだが、オランダ戦ではぱっとしなかった岡崎が今日はよかった。もちろん、全員よければ一番いいのだが。今日も先発した清武はまだまだ線が細いというか、プレー強度が弱いというか。今回のメンバーから脱落する候補の一番手、今のところ。スピード、キレ、運動量、すべて足りない感じ。

なんていうか、選手も試合後に言っていたけれど、勝つべくして勝ったという印象。ベルギーが思ったほど強くなく、日本が僕らが思っている以上に強かった。課題は明確で、例の唖然とするようなミスをなくすこと、それとセットプレーの守備。

長谷部のシュートが枠に飛んだのにもびっくりしたな。

それにしても日本、強くなった。後は南米相手にどれだけやれるかどうか。次の試合が3月というのは待ちきれない感じだが、どことだっけ? まだ決まってないのか。出来れば南米とかメキシコとか、あの辺とやって欲しい気が。いずれにしても、前述のように誰が出てもある程度のクオリティがキープ出来るようになって、層が厚くなり、遠藤を後半から使うとか、バリエーションとかオプションも増えた。いい感じでチームが出来てきた。ここに来てようやく完成度が上がってきた。一度柿谷と大迫、両方を出すのを見てみたい。どちらかを2列目で使えばいいと思うが。気がつくとボランチも山口(螢)が出てきて結構選択肢が増えたし、後はセンターバックだけだな、層を厚くしたいのは。吉田麻也は試合に出れないなら移籍した方がいいと思う、マジで。森重が使える目途が立ったのはいいのだけれど、もう一人、サイズのあるセンターバックが欲しいところ。いずれにしても、数年前と比べるとホントに強くなった、日本。

そんなわけで最初から午前5時に起きられるわけはないと諦めて録画で見るつもりをしていたのだが、やっぱり気になるのか7時前に目が覚めた。なので睡眠不足気味、業務に行ったものの眠くて早々に引き揚げ、例によって午後は昼寝。なんでこう毎日寝てばかりいるのであろうか。他にすることがないのだろうか。あるのだ。やらなきゃならんことは。だが、寒い。寒いしめんどくさい。なので、毎日明日にしようという、小学生の夏休みの宿題みたいになっているが、かといって出かけずに家に篭って何かやるということも思いつかない。寝ることしか。こうなるとただのナマケモノである。ナマケモノですら動きが遅いだけでこう寝てばかりいるわけではあるまい。困ったものである。

今日の煙草は22本。母はまだ失禁したりする。今日もうんざりするほど雨。


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不調あるいは不良

窓外は凄い雨が降り続いている。それだけでも十分憂鬱だが、とにかく今日は調子、特に体調が悪い。何を飲んでも胃がむかむかして気分が悪くなる。最悪だ。ただでさえ精神的に何も出来ない日々が続いているというのに、体調まで悪くなるとホントに何も出来なくなる。午後から夕方にかけて例によって寝込み、夕飯の支度をするのが物凄く苦痛だった。早朝の5時からベルギー戦があるし、とっとと寝るしかなさそうだ。といっても、とても起きられないから録画で見るけれど。

朝も7時15分にアラームをセットしていたのだが、二度寝してゴミを出せず。母をデイサービスに送り出すのもバタバタでようやく間に合う始末。4時間ちょっとの業務も、連勝ストップ。どうも今日は何をやっても上手くいかない。

と、ここで4錠目のレキソタンを飲む。もうラリった方が楽。

母を風呂に入れている間、大嫌いな亀田興毅の試合を見てしまったが、なんですか、この試合。ボクシング見たこと自体が久しぶりだが。

今日の煙草は20本。しかし眠いな、実際。もうラリってきそうだ。ダルい。人間として。


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御先祖様万歳、オランダ戦再検証

タイトルは知ってる人は知ってると思うが、小松左京の短編ならびに同名の短編集から。

というわけで、午前中は母を総合病院に連れて行き、帰りがけに蕎麦屋で昼食を摂ってから、今月一杯やっているといううちの先祖(僕の曽曽祖父、高山文五郎:彫刻)の展示を見てきた。行ってみるとこぢんまりとした会場で、別に万歳というほどのものではない。で、展示されているものはというと、9割方が僕が書斎の隅っこにあったのを見つけて貸し出した箱の中にあった下絵で、後は全部写真だった。まあ彫刻といっても寺のものがほとんどなのでしょうがない。

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それにしても、「現在の高山家」として、今のうちの写真まで展示されているのにはびっくりした。これってプライバシーの侵害じゃないんだろうか。

帰宅後、疲れて例によってソファで気絶していると、母の友人やら叔母やらが立て続けにやってきて起こされた。

夜、買ったばかりのブルーレイディスクレコーダーに録画した、先日のオランダ戦をもう一度見てみた。

リアルタイムで見ていると流れとして日本が後半に劇的によくなったように思えたのだが(前後半で別のチームになったと書いているライターもいる)、本当にそうだったのだろうか。で、見てみると、実は日本は前後半通してよかったことが分かる。前半も日本はよかった。確かに後半に香川と遠藤が入った分、特に清武が好調時の香川に代わった分の上積みは大きいが、劇的によくなったというほどの違いがあるようには思えなかった。むしろ、オランダが前半よくて後半が明らかに悪かった。日本の場合、致命的だったのは内田の先制点に繋がるミスだけだった。内田はそれを除けばトータルでは特に攻撃面で非常によかった。

タラレバは禁物とよく言われるが(特に結果を論ずるに当たっては)、この場合、もし内田のミスがなければ前半は1-1、後半は1-0である。これが今回の試合の内容を的確に表していると思える。試合全体の内容、出来としては2-1ということである。同じようにもしファン・ペルシーがいたら、スコアは0-2とか1-2とかもしかしたら0-3になっていたかもしれない。

要するに何が言いたいかというと、今回の日本代表の出来、内容はいいときのオランダ(ファン・ペルシー抜き)と同等であり、よくないときのオランダを凌駕していたということ。つまり、現在の日本代表の力量はそれぐらいはあるということで、これは素直に喜んでいいと思う。

それはそうと、「大迫半端ない」のTシャツのサイトが今日落ちていた(アクセス過剰で)のにはびっくりした。確かにちょっと欲しくなる。

今日の煙草は21本。明日は母がデイサービス。ゴミを出さなければならないので早起きせねば。それと、本来は今日行く予定だった役場に行って、相続のための諸々の書類をもらわなければ。


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